第23話23.天使と眠る


 キリルがアレを連れてきたのは、キリル自身の部屋だった。自分の机の脇に、子供用の小さな机を用意させ、先日アレが忘れていった本もそこに積んで置いた。

 赤い漆塗りの机には、螺鈿で虎が描かれていた。真新しい帳面と筆も用意してある。


「わ! おおきいねこちゃん、リュウホみたい!」


 アレが指させば、リュウホは机の上に手をつき、伸び上がって見る。


(俺の方が格好良い)


 リュウホは鼻を鳴らす。


「もしかして、これ、リュウホの?」


 机の足下に置いてある黒い漆塗りの箱には蒔絵で金龍が施されていた。中には柔らそうな布団も敷いてある。


 キリルは頷いた。


「天使の護衛殿だからね。気に入ってもらえれば良いけれど」

(別に嬉しくないけど! 気に入るか分からないし!)


 そう言いながらもまんざらでもない様子で、早速布団をフミフミとし始める。

 

「にいたま、ありがとう」


 たった一晩でこんなに準備をしてくれるなんて……。いくら皇太子でも大変だったはず。

 

 アレは胸がいっぱいになった。皇帝の命に反して、アレを保護しようとするだけでも大変な決心が必要だったはずだ。

 それなのにリュウホのことまで手厚く迎え入れる準備をしてくれた。

 あくまでアレの気持ちを優先しようと考えてくれたのが分かるのだ。


 涙が溢れそうになる。どうやって感謝を伝えて良いか分からずに、ギュッとキリルの胸元を握りしめた。


「リュウホのことも、ほんとうにありがとう」

 

 キリルはアレから潤んだ瞳を向けられて、キュンと胸が高鳴った。

 つたない一言だったが、それに誠心誠意が込められていることが分かったからだ。

 皇太子として、礼を言われることはそれなりにある。大げさな美辞麗句(びじれいく)にうんざりしていたところだった。どんなに飾り立てられた言葉であっても、誰もキリルには感謝しない。キリルの持つ皇太子の力を利用したいだけだとわかるからだ。


 こんなに嬉しい「ありがとう」は母上が亡くなってから初めてだ。


 キリルは思う。

 母がこの世を去ってから、父は変わってしまった。笑うことも無くなり、言葉少なくなった。周りへの関心も無くなり、皇帝としての職務だけをこなす空っぽの人形のようになってしまったのだ。

 始めはキリルも父の笑顔を取り戻そうと努力した。父に喜ばれるようにと、勉学も武術も頑張った。疲れた父を労るようお茶の淹れ方も学んだし、ときには道化を演じたりもした。それでも父はキリルに微笑まなかった。

 すべては母を奪って生まれてきたアレが悪いのだと、それなのにマルファに守られ悠々自適に暮らしているなど疎ましいと、そう思っていたのだ。


 しかし、実際にアレに会ってみれば想像してた暮らしとは違った。

 悠々自適とはかけ離れた粗末な家に服。小さく細い身体。三歳児とは思えないほど萎縮し、殺されまいと必死に学んでいる。

 同じ兄弟でありながら、皇宮で何も知らずのうのうと暮らしていた自分が恥ずかしかった。父の愛は得られずとも、自分は何も恐れることのない暮らしをしていたのだ。

 

 私は恨まれても仕方がないのに、この子は素直に「ありがとう」と言える。


 キリルはアレの頭を抱え込むようにして、ギュッと抱きしめた。


「ううん、ごめんね、今まで気がつかなくてごめん」

 

 アレはキリルの中で頭を振った。

 なぜだか分からないが涙が溢れてくる。

 キリルは泣き出したアレに慌て、よしよしと頭を撫でる。

 幼子の小さな肩が震えている。

 オロオロとキリルが謝って、アレはブンブンと頭を振った。


「にいたま、わるくない、うれしいの」


 アレは涙に濡れた顔を上げて、キリルに向かって微笑んだ。

 キリルはその姿が健気で胸が苦しくなる。

 アレはそんなキリルの目尻にそっと指を伸ばした。


「だから、にいたま、なかないで?」


 キリルはアレの言葉にハッと息をついた。


 母上が亡くなってから、泣くことなんてなかった。私は今泣きそうな顔をしているのか。


 キリルは頬に伸ばされたアレの手に自分の手を重ねた。


「天使がいてくれたら私は泣かないよ」

「なかない?」

「うん、なかない」

(いつまでやってんだ! 早く下りろ! つまんない! つまんない!)


 リュウホが尻尾を床にタシタシとたたきつけながら、長く低い声でナーンナーンとしつこく鳴く。


「リュウホつまんないって」


 アレが言えば、キリルは部屋の扉を開けた。扉の先は縁側のようになっており、その先に中庭があった。


「この庭は私の庭だから自由に遊んで良いよ」


 そういって、アレを中庭におろす。同時に侍女が美しい鞠を持ってきて、アレに手渡した。


「これでリュウホと遊ぶといい」


 リュウホはキラキラとした刺繍の施された鞠に目をランランとさせた。


(べ、べつに、興味とかないし)


 そう言いながら、フヨフヨと尻尾がうずいている。


「リュウホ、遊ぼ」

(しかたないから遊んでやる)


 キャアキャアと声を上げて遊ぶアレとリュウホの姿を、キリルは微笑ましく思い眺めていた。



 そして、その夜、アレはキリルの寝室に案内された。

 キリルは自分の寝室にアレとリュウホのベッドを用意させたのだ。

 アレに部屋を用意することも考えたが、皇帝の許可を得ていない状態では、目の届かない場所は危険だと判断したのだ。

 皇帝の意志を汲んで、アレを害そうとする者がいるかもしれない。


 アレは用意されたベッドに大人しく入った。

 真新しく柔らかい布団に満足する。そこへリュウホもちゃっかりと収まる。


「リュウホにも寝床は用意したよ!」


 キリルがむっとして注意すれば、アレはリュウホをギュッと抱きしめた。


「ずっといっしょにねてたの、だめ?」


 不安そうに尋ねるアレを見てしまえば、キリルに反対することはできない。


「~~! しかたが……ないなぁ……」


 キリルはため息をついた。


(ざまぁみろ!)


 リュウホが優越感に浸った顔で、馬鹿にするようにキリルを見た。

 キリルにはリュウホの言葉はわからなかったが、馬鹿にされているのはわかった。


「私もいっしょに寝よう」

(はぁ!?)

「にいたまもリュウホとねたい? リュウホ、フワフワであったかいの! にいたまはとくべつね!」

(そーじゃねーだろ!?)


 アレは人といっしょに寝るのが久々で嬉しくなる。

 アレにとって、共寝をしたのはミンミンだけだった。ミンミンのお昼寝の寝かしつけ担当がアレだったのだ。たまにいっしょに寝落ちしてしまったことを思い出す。心優しい酒場の主人は、それを咎めることはなかった。


「そうか、リュウホは温かいんだね」


 天真爛漫に喜ぶアレを見て、キリルも心が温まる。

 リュウホは相変わらず不満げにナーナー言っている。


「はい、リュウホはここね」


 アレはリュウホを中央に据えた。

 リュウホを中心に、アレとキリルが左右に分かれる。


(は?)

「え?」

「おやすみなさい、おにたま」


 キリルは釈然としないまま、部屋の明かりを消した。せっかく妹と眠れると思ったのに、隣にあるのは大きな虎の子の背中である。


 どうしてこうなった?


 キリルは長いため息を吐いてから、静かに目をつむった。


 アレはぬくぬくの布団に、大好きなリュウホと優しい兄がいることに幸せを感じた。

 そしてなぜか、ふと、魔法文字を教えてくれた騎士を思い出した。


 あの人は戦場で寝てるのかな? 帰ってきて標樹に私が行かなかったら心配するかな?


 アレの二度目のループの際に教えてもらった記憶では、この遠征はフェンロン率いる帝国軍が初めて苦戦をさせられ、長引いた戦いのはずだ。この戦からフェンロンの力に陰りが現れ、求心力を失っていったのだ。


 ケガしてないかな? 無事に帰ってくるよね?


「えんせい、いつおわるのかな」


 アレは思わず呟く。自分ばかり幸せで申し訳ない。


「みんな、はやくかえってくるといいな」

「心配ないよ。皇帝陛下は負けたことがないのだから」


 キリルの答えにアレは頷いた。


 戦いが終わったら標樹の元へ行こう。話したいことがいっぱいあるから、手紙を書こう。



 アレはめまぐるしかった一日にすっかり疲れていた。

 目をこすり、いつものようにリュウホの胸にすっぽり収まる。

 リュウホは、嬉しそうにクスクス笑い、(俺がいるから安心しろ)と囁いた。



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