第22話22.天使のお風呂
すっかりお腹がいっぱいになったところで、キリルはアレとリュウホに風呂へ入ることを勧めた。
リュウホは思いっきり威嚇して、メイドたちを寄せ付けず、事なきを得た。
アレは喜んでメイドについて行く。温かい湯船に浸かることはできなかったからだ。お湯を用意するのが大変で、髪を洗い、身体を拭くくらいしかできなかった。
「どちらの香油になさいます? お好きな香りをお選びください」
キリルの専属の侍女が、香油の瓶を開けて香りを確かめさせてくれる。
キリルは最も信頼している侍女をアレにつけたのだ。
「……これを」
「標樹の香油ですね」
アレはそのうちの一つを選ぶ。魔法文字を教えてくれた騎士と同じ香りのものを選んだのだ。
侍女は驚いたような顔をして笑った。
「なあに?」
「いえ、皇太子殿下もお好きな香りでしたので、好みも似ていらっしゃるのだなと」
「にいたまも?」
「ええ、皇帝陛下が皇后さまに作られた香油です」
アレは少し気まずい気分になった。どう考えても自分が使って良いとは思えなかった。
「あの、やっぱり」
「申し訳ございません。余計なことをお話ししました」
侍女は慌てて頭を下げた。
「キリル殿下からはすべて天使さまのお望み通りにと命じられております。どうか、聞かなかったことにしてくださいませ」
アレはとりあえず話題を変えることにした。香油の件は、次回があったらそのとき変更すれば良いと思ったのだ。
「ほかにもにてる?」
「ええ、おちいさいときの殿下によく似てらっしゃいますよ。髪のウエーブなどは本当によく似ておいでです」
「そうなんだ」
アレは不思議な気持ちで心の奥がくすぐったかった。初めて会った兄。髪の色も目の色も違う。似ていると思ったことはない。それなのに他人から見れば似ているように見えるのが不思議だった。
本当に、兄弟なんだ……。
血縁には縁がないとずっと諦めて生きてきた。
一度目のループで、皇宮から逃げ出したとき、父と兄が惨殺されたと聞いてもなんの感情も湧かなかった。逆にスッキリしたくらいだった。
そののち、ミンミンと暮らした酒場で徐々に家族や仲間とのあり方を知ったアレは、血の繋がった家族にそう思ってしまう自分が怖くなった。そんな自分が家族を求める資格はないと思っていた。
でも、実際に会った兄様は優しく手を差し伸べてくれた。
香油の入れられた湯船に浸かり、顔を洗う。温かいお湯が身体にしみて、不思議と涙が溢れてきたのだ。
「天使様?」
「なんでもない」
「……髪を洗いましょうね」
「うん」
「お体にクリームも」
「うん」
「綺麗にして殿下に見ていただきましょう?」
「……うん」
侍女は隠れるようにしてポロポロと涙を流すアレを見て、胸が苦しくなった。
細い身体、傷んだ髪、乾いた肌に、弱々しい爪。
耳の後ろに薄い金の鱗を見て、侍女は息を呑んだ。皇位継承権の証し『逆鱗』がある。
この年でこの逆鱗。間違いなくこの方は生まれながら皇女なのだわ。それなのに、こんなに苦労をされて……。
労ってあげたいと侍女は思い、丁寧に丁寧にアレの身体を磨きあげた。
サッパリとしたアレはクローゼットルームに通された。すでにリュウホも通されている。
見たこともない豪華な服が沢山並んでいる。ジンロン帝国の伝統的な服から、ナンラン国風の服、ユール国風のものまでそろっている。ジンロン帝国の皇太子だからできたのだろう。
「わぁぁぁ!」
下着姿のままのアレは目を輝かせ、豪華な服に駆け寄った。
「すべてキリル殿下が天使様のために用意したものです。時間がなかったのでサイズは合わないかもしれませんが」
アレはブンブンと頭を振った。今までだってサイズがぴったりな服が用意されたことはなかった。マルファが悪いわけではない。少ない予算でやりくりするためには、大きめなサイズを長く着るしかなかったのだ。子どもの成長は早い。
アレは水色のドレスを見て目を輝かせた。
キリルの瞳を思わせるサックスブルーの詰め襟ワンピースだ。身ごろには紺色の紐ボタンが四段並んでいる。ワンピースのウエストあたりから切り込みが入り、スカートは剣のようにとがった形で六枚に分かれ、白いレースのアンダースカートが切り込みから見えている。ワンピースには銀色の刺繍でシャクヤクの花が刺繍されていた。
「きれい!」
白ではない服。沢山のフリルに刺繍、とても綺麗で豪華だった。
アレは触れようとして、手を止めた。
触ったら汚してしまうと思ったのだ。
「天使様、どうされました」
「え、と、あの、こんなにすてきなふく、きれません。もっとふつうの、ありますか」
メイドは優しく微笑んだ。皇女であればこの程度普通なのだ。
「天使様ならこちらが普通です」
「でも、よごしちゃう」
「よごしていいんですよ」
「でも、あらうのすごくたいへん」
メイドはモジモジと答えるアレを見て不憫に思った。まだ三歳なのだ。それなのに洗濯の心配をする幼女が痛々しかった。
「洗濯係の仕事を奪ってはいけません」
メイドがニッコリと笑い、アレはオズオズとドレスに手を伸ばした。
「これにします」
指先にドレスが触れた。今まで触ったことのないツヤツヤとした布は上質な絹だ。
麻や木綿しか着たことのなかったアレはそれだけでも心躍った。
「ではお着替えいたしましょう」
メイドはテキパキと着替えさせ始めた。髪を結い、造花の髪飾りをつける。白いシャクヤクだ。
リュウホはつまらなそうに部屋の片隅であくびをしていた。
すべて着替えを終えると、アレはトテテテとリュウホの前に駆けていった。
「リュウホ」
リュウホは怠そうに目を開けた。前足で顔を洗う。
そしてアレを見て、ユルユルと目を見開いた。
(……天使)
思わずそう呟いて、リュウホは慌てて口を押さえた。
アレはエヘヘと嬉しそうに笑う。
リュウホは目を逸らして続けた。
(うん、まぁ、それなら天使に見える)
「ありがと」
アレはそう言って寝転んでいるリュウホにギュッとしがみついた。
(おい、毛がつくぞ。その服好きなんだろ?)
「いいの! リュウホの方が好きだから」
アレが言えばリュウホはベロリとアレの頬を嘗めた。
(俺もお前が好き)
まるで子猫同士のようにコロコロとじゃれ合うふたりをメイドたちは微笑ましく眺めていた。
そこへ、ドアがノックされた。入ってきたのはキリルだ。
キリルはアレを見てデレリと頬を緩ませた。
「うん、かわいい」
アレはトトトとキリルの前に駆け寄った。
「にいたま、ありがとうございます」
キリルはお礼を言うアレをすぐさま抱き上げた。
リュウホがグルと唸るが、キリルは無視を決め込む。
「かわいい」
もう一度そう言って、アレを見て、三度「かわいい」と呟いた。
アレは反応に困ってしまう。
「あの?」
「天使の部屋を案内するね」
そう言ってキリルはアレを抱いたまま歩き出した。
リュウホは、ワァワァと鳴きながらキリルの足下をグルグルと邪魔して歩く。
(下ろせよ! 下ろせー!)
「リュウホ、危ない。天使を落としたら困るだろう?」
キリルが窘めれば、リュウホはピタリと鳴くのを止め、渋々とキリルの横を歩いた。
(くっそ! お前が下ろせばいいだけなのに!)
アレを抱いているキリルを襲うことはできない。
キリルはリュウホを流し目で見て笑った。
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