第11話11.ななしの皇女と名のあるモフモフ 1
帝国軍が遠征に出かけてから、アレは周りから見てもわかるほど落ち込んでいた。
魔法文字を教えてくれる人とやりとりができなくなり、さみしく心配だったからだ。生きて帰ってきてほしいと願うばかりだ。
寂しさを紛らわすために、二階で手に入れた本を一生懸命読むアレである。
ある昼下がり。竹林の奥から、獣の唸るような声が聞こえてきた。洗濯を手伝っていたアレは、棒きれを持って竹林へ入っていく。
「姫様、竹林の中は危ないのです!」
騎士が慌てて追いかける。
「だいじょうぶ!」
アレは自分の行く先を木の棒で叩きながら先に進んだ。
竹林には罠が仕掛けてあるのだ。
獣や賊を捕らえるためではない。アレを傷つけるためだけに作られた竹製のトラバサミで、殺傷能力は低い。アレは前のループで逃げ出すときにトラバサミにかかり、傷を負ったので知っている。
獣のうなり声を頼りに先に進めば、追いかけてきた騎士に抱き上げられた。
「これ以上はいけません」
「でも、ほら、あそこ、ねこちゃんが」
アレは持っていた棒で竹林の先を示した。
抱き上げられたことで、先のトラバサミにかかっている猫の姿が見えたのだ。オレンジの毛色に黒い縞模様のトラ猫だ。大きさからすると大人だろう。大きく固太りしている。しっかりとした体躯にツヤツヤとした毛並み。耳には金色の輪になったピアスがついていて、一見して野良猫ではないとわかる。
騎士はアレから棒を受け取ると、下草を棒でかき分けて猫へと近づき、姫を降ろした。
猫はフーフーと毛を逆立てて威嚇してくる。火眼金睛の瞳が怒りをたぎらせている。
アレは猫から視線をそらして、人差し指を猫の鼻先にちらつかせた。
猫は怪訝な顔をして、アレの指先のにおいを嗅ごうとする。下町で生活していたとこに覚えた技だ。野良猫と共存する下町では、そうやって猫とふれあっていた。
「だいじょうぶ、わな、はずすからじっとして?」
アレはそう言うと、猫の足を挟み込んだ罠に手をかける。その手に騎士がそっと触れた。
「私がやります」
「わたし、ねこ、おさえるね」
アレは逃げ出さないように猫の脇に手を入れようとした。猫は毛を逆立てて、アレをひっかく。柔らかな幼女の手に、赤いミミズ腫れが走った。じんわりとした熱とともに血がにじむ。
「姫様!」
「だいじょうぶ!」
騎士が慌てる。アレは騎士を制した。
「ここにはほかにも罠があるの。逃げたら危ないんだよ」
アレが猫に言い聞かせる。
「ごめんね、いたいよね。わたしのせいでごめんね」
アレを痛めつけるために作られたトラバサミが、罪のない猫を傷つけたことが悲しかった。
私は生きてるだけで周りに迷惑をかける……。
アレの瞳から涙が落ちる。
騎士はそんなアレから思わず目をそらした。猫よりもアレの方が痛々しく思えたのだ。
猫の逆立っていた毛がゆっくりと下りてゆく。そして謝るように上目遣いで、ナァ、と鳴いた。アレはそっと猫の顎の下を撫でた。猫はそれを嫌がらないどころかアレに額を押し当てた。
アレはねだるような様子を見て、さらに優しく猫を撫でる。猫はうっとりとして目を細めた。
これでも、下町ではナデナデのスペシャリストと呼ばれていたのよ。ミンミンちゃんからモフモフまでたくさんナデナデしてきたかいがあった!
「気持ちいい?」
尋ねれば、猫は小さく鳴く。
まるで人の言葉がわかるみたい。やっぱり誰かの飼っていた猫かな?
「じゃあ、いっぱいナデナデさせてね?」
アレが言い聞かせれば、猫はもっと撫でろというように喉を伸ばしてみせる。
騎士はその瞬間を見計らって、一気にトラバサミを押し広げた。そして憎々しげにバキリと壊す。猫とアレは驚いて騎士を見た。騎士は気まずそうに肩をすくめた。
猫は壊れた罠から後ろ足を抜いた。そしてそのまま大人しくアレに抱きしめられると、アレの頬をペロリとなめた。
「ザリザリしてる」
猫のザラザラとした舌になめられて、アレの柔らかな頬がプルリと揺れた。アレは思わず笑う。それを見て騎士も笑った。
(リュウホ)
アレの頭の中に声が響いた。アレは思わず周囲を見回す。
(俺の名前はリュウホ)
アレは猫を見た。猫が話したように思ったのだ。
しかし騎士は無反応だ。アレは騎士に問いかける。
「ねぇ、」
(し! 俺が話せるのは秘密。俺とお前の秘密)
アレは猫を見た。そして問う。
「リュウホ?」
アレの問いかけに、猫はピンと尾っぽを立ててニャァンと答えた。
アレはフフフと笑う。
「リュウホ、いっしょににおいで、ケガしてるでしょ」
(もっとナデナデしてくれるならついていってやってもいい)
「たくさんナデナデさせてちょうだい?」
そう笑うアレに猫はナァと答えた。
アレは猫を抱いたまま立ち上がった。猫は大きく、ビヨンとのびる。小さなアレが抱き上げても、後ろ足は地面についたままだ。
アレは騎士を上目遣いで見た。
「なおるまでめんどうをみてもいい?」
騎士は微笑んで頷いた。このところ気落ちしていた様子のアレに小さな友達ができるのは喜ばしいと思ったのだ。
騎士はアレと猫を一緒に抱き上げて土蔵の前にもどっていった。
マルファとメイドは可愛らしい幼女と猫の取り合わせに、キャイキャイと盛り上がった。
アレは、猫の後ろ足に軟膏の塗ってやり包帯を巻く。
「姫様、名前はどうしましょうか?」
マルファが尋ねる。
「このこはリュウホ」
「良い名前ですね。では、寝床を作ってあげましょうね」
マルファはそう言うと土蔵の二階から古びた箱と服を持ってきて、箱の中に枯れ草を敷き服をかけ、簡単な寝床を作った。
猫は不満げな顔で寝床をフミフミし、クルリとそこに収まった。
(なぁ、お前名前は?)
リュウホの問いにアレは苦笑いした。
「ここの人たちは姫と呼んでくれるけど、他の人たちは『アレ』と呼ぶの」
(『アレ』? 変な名前、物みたいだな)
リュウホは悪気なく笑った。
アレはカラ笑いをする。
「ほんと可笑しいわよね。名前をつけるのも嫌だったんだって。だったら初めから殺せば良かったのにね」
リュウホはそう笑うアレに飛びかかって押し倒す。
(笑うな! 面白くない! 泣け!)
「だって」
リュウホの言葉に思わず涙がにじむ。
その涙をリュウホがなめる。
そのザリザリにアレはホッとして思わず笑った。
(笑うな)
「だって、リュウホが笑わせるから」
リュウホは尻尾でアレをパタンと叩く。
(……俺がもっと大きくなったらお前をここから連れて出してやる)
「リュウホが?」
(うん。約束だ)
アレの髪にリュウホの尻尾が絡みついた。
(オレたちは尻尾を絡ませて約束するんだ。でもお前尻尾ないから)
「うん、約束」
アレはリュウホの言葉に、ニッコリと頷いた。
一日を終え、アレはベッドに入った。リュウホは静かに寝床で寝ている。今までひとりぼっちで夜を過ごしていたが、生き物の気配があるだけでずっと幸せな気持ちになった。
翌朝、モフモフの感触に包まれてアレは目を覚ました。
オレンジ色の縞模様。温かい体温。規則正しい心音がアレを包み込んでいた。
リュウホが夜の間にベッドに忍び込んだらしい。
傷ついた足はベッドに登れるほど良くなったとわかり、アレは嬉しかった。
思わずリュウホの体に顔を埋める。竹の葉とお日様の匂いがする。外を冒険してきた匂いだとアレは思った。
ウルルとリュウホの喉が鳴っている。機嫌が良い証拠だ。リュウホは尻尾でトントンとアレの背中を叩いた。
心地よいリズムにアレはあくびを一つつくと、ゆっくりと眠りに落ちていった。
リュウホとアレの生活はこうやって始まった。
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