第6話6.標樹


 アレの住まいは、皇帝たちのが生活する北辰宮の北側、北斗苑の中にある。裏山との境界は竹林で区切られていた。北斗苑は人工的に作られた庭園で、昔は酒池肉林が繰り広げていた。しかし、先々代の皇帝がここで自殺して以来、公的に使われなくなり、荒れ果てている。


 アレはこの北斗苑の一番北の端、境界の竹林に隣接した土蔵に住んでいる。元々は、とある皇女を幽閉していた土蔵で、二階には皇女の残した魔法に関する本と、鍵のかかった葛籠箪笥があった。アレは何度か鍵を開けてみようとしたが一度も開くことはなかった。

 小さな窓が天井近くにあり、窓には竹の柵がついている。扉は分厚い扉で、外からかんぬきがかけられていた。


 毎朝、アレが目覚める頃を見計らい乳母のマルファとメイドが一人やってくる。それと同時に警護の騎士がやってくる。警護の騎士は、アレを守るのではなく、アレが皇宮に近づかないようにするのが役目のため、歩き回ることない夜の警護はなかった。

 そもそも皇宮内に人工的に作られた庭には、大きな獣などはいないので土蔵から出さえしなければ危険はない。しかし、夜間の警護がなかったため、はじめの人生ではクーデター側の兵士に襲われたのだ。

 年老いた騎士が犠牲にならなかっただけ良かったと思うアレだ。


 記憶が戻ってからのアレは、警護の騎士やメイドたちと積極的に関わるようになった。今までは気がつかなかったが、大切にされていたことがわかったからだ。孫のようにかわいらしい姫から話しかけられることを相手も喜んだ。警護の騎士とは散歩や運動を楽しみ、メイドたちとはおしゃべりしながらお手伝いもした。友達もおらず、暇を持て余す姫がやりたいと言えば、断る大人はいなかった。

 

 今日もアレは、北斗苑の探検に精を出していた。体力作りと地理の把握のためだった。北斗苑の中は自由に歩くことが許されていた。

 警護の騎士は小さいアレをかわいがり、ドングリのありかだとか、美しい野鳥だとか、いろいろなことを教えてくれた。しかし、竹林へ入ることは許さなかった。竹林には罠があるのだ。騎士はハッキリとは言わないが、二度目のループで抜け出そうとし、アレはその罠で怪我を負ったのだから間違いない。

 本来皇宮は魔法シールドで外敵から守られている。そのため罠を張る必要などない。ミオンがアレに対して嫌がらせのために設置した加虐を楽しむための罠だ。


 北斗苑は荒れ果てていたが、昔の豪華だった庭の面影は未だに残っている。

 酒を流したといわれる人工池は、雨水がたまり、今では睡蓮が咲いている。池にかけられた橋は朽ちていたが、豪華なものだと推測できた。

 肉をつるしたという庭木は、手入れがされず伸び放題だったが、それでも花は咲き誇り、珍しい果実もなっていた。


 庭の中央は少しだけこんもりとした丘のようになっている。その丘の中心に、白い幹で白い葉の大木が空に向かって大きく枝を広げていた。その木の下には座るのにちょうど良い豆のような形をした石が二つ並んでいる。

 白い枝と葉の間から木漏れ日がキラキラと注ぎ、二つ並んだ石がまるで玉座のように見えた。


 アレは目を輝かせた。


「しゅごくきれいな木」

「標樹(しめのき)という木です。今は花がありませんが、花は夜になると花の中心が黄色く光って、ちょっとした明かりになりますよ」

「すてき! いつさくの?」

「それがよくわからないのです」

「わからない?」

「咲く木は一年中咲いています。咲かない木は咲かないのです。少し前まで咲いていたので、また咲くかもしれませんね。それはそれは美しかったですよ」


 白髪交じりの老騎士が笑う。傷のある強面の顔が幸せなときを思い出すかのように目を細めた。


「すこしまえって? いつ?」

「花をつけなくなって、三、四年になりますか……」


 思い出すかのように空を見上げる。


「さんねんまえ……」


 アレがつぶやくと老騎士はハッとしたようにアレを見て、取り繕うように笑った。


「いや、思い違いです。もっと前だったかもしれません」

「ママ、いなくなって、さかなくなった?」


 アレは老騎士に聞いた。老騎士は困ったように口をつぐむ。


「ママのこと、しりたいの。困らせる?」


 じっと見上げるアレに、老騎士は根負けしたように肩をすくめた。


「姫様のお望みなら」


 老騎士はそう言って話し出した。


「皇帝陛下と皇后陛下が初めて出会ったのがこの場所だと聞いております。すでに寂れた庭でしたが、よくお二人でここにおいでになっていました。あの二つの石に腰掛けて、語らう姿は美しく神々しくあらせられました」


 荒れ果てた北斗苑でふたりが出会ったのは意外だった。


「パパとママはなかよしだった?」

「ええ、ええ。お二人ともそれはそれは仲睦まじい様子でしたよ」

「そっか」


 その日はアレは標樹の下で遊んだ。花を摘み花束を作り、石や葉をならべて図形にした。老騎士が標樹の葉を枝でひっかき、絵を描いて見せてくれた。標樹の葉は厚く、爪でこすると青い線が残るのでとても面白い。


 ふと思いつき、ポケットに詰めてきたドングリを並べて見る。幸せの到来を願うとき、この国では楕円の三つ放射線状に並べるのだ。それを人々は『天使の守護印』と呼んでいた。アレの左手の痣と同じ形である。前回のループで覚えたおまじないだ。

 そして、その周りに円になるようガリガリと枝で文字を書く。


『標樹がいつかまた咲きますように』


 そう書き終わったところで、老騎士が声をかけてきた。


「姫様。そろそろ帰りましょうか?」


 もう日が傾き始めた。

 

「うん!」


 アレは笑って立ち上がり、標樹の幹を優しくさする。


「ふたりがいなくて、あなたさみしい? でも、わたし、またくるよ」


 その瞬間、標樹がポンと音を立てた。驚いて頭上を見ると、乳白色の釣り鐘型のつぼみがついている。ちょうどアレの拳と同じ大きさだ。

 一つのつぼみを皮切りに、続くようにポンポンポンと次々につぼみが現れた。


「わぁぁぁぁ!」

「……すごい……こんなふうに……初めて見た……」


 老騎士も驚いて木を見上げている。


「これいまからひかる?」


 アレの問いに老騎士は頷いた。


「まだ堅いつぼみですが、夜に向かって花が膨らんできます。咲いた花びらは半透明で、中央の黄色い芯が光るんですよ」


 老騎士は標樹に話しかけた。


「姫様に一輪分けてください」


 標樹は諾と言うように、ポンともう一つつぼみをつけた。騎士はそのつぼみを手折る。そうしてアレに手渡した。


「まだ光ってはいませんが夜には光ると思います」

「ランプみたい」

「ただ、一晩しか持たないのです」

「そうなの?」

「一晩たつと花は消えてしまうんですよ」

「ふしぎね」

「ええ、不思議です」


 そんな話をしながら、アレと騎士は帰路についた。



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