第7話7.皇帝 フェイロン・シン・レイ
その日の夜。標樹の下には一人の男が立っていた。木の幹に手をついて、薄く光る木を仰ぎ見ている。
花の光が優しく彼を包み込んでいた。サラサラと夜風の揺れるストレートの銀髪。薄い水色の瞳は、氷山でできたかのように冷え冷えとしていた。
その姿はこの世のものとは思えぬほど美しく妖艶で、月の女神すら恥じ入るかと思われた。
彼は、アレの父、フェイロン・シン・レイ。このジンロン帝国の皇帝である。圧倒的な魔力と武力を持って、この国を統治し魔族から守っている。
圧政を敷いていた自身の父である前皇帝を倒し、皇帝となった男だ。前皇帝の血縁者は親兄弟にもかかわらずすべて殺し、自分に従わない貴族たちも殺し尽くした。
その振る舞いから、冷酷、冷徹、鉄仮面などと人々の間でささやかれ、魔族からは残酷王、鬼畜王などと呼ばれる男だ。結婚し少し落ち着いたかに見えたが、愛する皇后を失ってからは、より非道さを増し、心まで失ったと言われていた。
そのフェイロンが今日、この標樹が花開いたと聞き、ひとり確かめに来たのだ。
この場は愛する皇后と二人の思い出の場所でもあった。彼女を失い、二度と来ることはないと思っていた。
「なぜ、ここだけ咲くのだ」
つぶやき、苦々しい顔で唇を噛む。
ふと足下を見れば、懐かしいものがあった。
ドングリで『天使の守護印』を模った子ども騙しのまじないである。
木の枝で書いたかのようなつたない文字が、闇の中で薄ぼんやりと光って見えた。魔法の残り香だ。子ども騙しのまじないでも、魔力の持つものが行えば、まじない以上の効力を持つ。彼の妻もこうやってこの木の下で戯れていたことを思い出す。
「これか……? まさかな。花を咲かせるほどの魔力は無い」
標樹を見上げる。それでも、これがきっかけになったとしか思えない。皇后が亡くなってからこの樹は喪に服すかのように一度たりとも花開かなかった。
「だれが書いた?」
答えるものは当然いない。
この北斗苑にいるのはアレだけだ。アレは生きていればまだ三歳。文字などかけるはずがない。
アレが生きているかどうか、それすら関心は無い。
会いたくない見たくない聞きたくない。彼女を殺した存在と同じ空気を吸うのも嫌だ。そんな空気に一瞬でも触れたら、殺してしまう。
「喪は明けたといいたいのか?」
フェイロンは一つため息をつくと、アレの書いた文章を添削したするようにまじないの外側に魔法文字を書いた。
アレには興味は無かったが、この文字を書いたものには興味があった。
アレの周囲に標樹を咲かせる能力があるものがいるのなら捨て置けない。ただ、こんなまじないで花が咲いたとも思えないため、正式な調査をさせるのも気が引けた。アレ周辺に興味を示すこと自体が忌ま忌ましい。
『大いなる標樹よ。その輝かしい光をもう一度我に与えたまえ』
どんな反応があるか、試しに正しい呪文を書く。アレの書いた文字よりも数段強く輝く魔法だ。
子どもだましのまじないでも、正しく魔法文字を使えば魔方陣になり得るのだ。
気がつくだろうか? 反応がなければその程度の者だったということだ。
そして、フェイロンは標樹を手折り、一振り寝室へ持って帰った。
翌日、アレは標樹の元へやってきていた。お気に入りの場所になったのだ。
すると、昨日書いたまじないの外側に、魔法文字でまじないの言葉が書いてある。アレはキラキラと目を輝かせた。魔法文字は一般には普及していない。帝国アカデミーへ行ったものしか使えない特殊な文字で、虐げられていたアレは当然読むことはできなかった。
しかし、きっと同じような意味が書かれているのだろうとアレは思った。昨日より標樹が元気に見えたからだ。
魔法文字を勉強したい! そうすれば二階の本も読める!
アレの住む土蔵の二階には、魔法文字の古い書籍が沢山あるのだ。昔そこに住んでいた皇女が使ったものなのだろう。しかし、魔法文字を読めるものは多くない。そのままになっていたのだ。
以前から思ってはいたが、魔法文字を習いたいと言っても叶えられる可能性は低かった。マルファたちも魔法には詳しくないのだ。北斗苑から出ることはかなわないアレが帝国アカデミーに行ける可能性はない。願っても、家庭教師をつけてもらうことすらかなわないだろう。
マルファにわがままを言って困らせたくはない。アレの望みが、周囲の人を殺すこともあると彼女はわきまえていた。
だから、アレは魔法文字の隣に、普通の文字で手紙を書いた。
―― 魔法文字を教えてください ――
この文字を書いた人が、また来るとは限らない。それでも、アレは書いてみた。一縷の望みをかけたのだ。アレだと知らなければ教えてくれるかもしれないと思ったのだ。
そしてその翌日、アレは急いで木の下にやってきた。
そこには、魔法文字とそれを普通の文字で説明する文章があった。
アレは慌ててそれを標樹の葉に枝で書き付けた。騎士は姫が絵を描いていると思っている。そうしてメモをし終わると、魔法文字のにアレは『ありがとうございます』とお礼の文章を書いた。
夜、フェイロンが標樹の下に来てみると、魔法文字の下にお礼が書いてある。稚拙だが一生懸命さの伝わる文字だった。
魔法文字でないのに、なぜかうっすらと光っていた。あのドングリのまじないと同じ人物が書いたのだろう。
なぜか心温まるもの感じ、フェイロンは微笑んだ。
そうして、そんな自分に驚いた。
こんな風に笑ったのは何年ぶりだ?
気まずい思いを振り切るように、頭を振ると銀の髪がサラリと音を立てる。
フェイロンは新しい魔法文字を書いた。
こうやって、互いに相手を知らないまま二人の交流が始まった。
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