小学⑥ つ、もる危機からの脱出
ガチャ、パタン。
恋バレした週の金曜日、22時近く。
仕事から戻って食事の準備をしたあと、理由も告げずに慌ただしく出掛けていったお母さんが漸く帰ってきた。
眉間にシワを寄せていつになく険しい顔で、挨拶もそこそこに手荷物を部屋に片付けると口を閉ざしたまま洗面所へ直行し入浴。
それを見届けて、寝る準備が済んでるオレはお父さんに促されるままベッドへ潜り込む。
「おやすみなさい」
キッズスマホの充電満タンを確認し、部屋の電気を消して眠りにつく。
が、どうしてもお母さんの事が気になってなかなか寝付けない。どんなに疲れても、どれだけ頭に血が上ってもオレたちにはあんな姿を見せた事がないだけに心配で、0時近くになっても布団の中でモゾモゾしていたら。
「……トイレに行きたい」
コッソリする必要は全くないのだけれど、何時まで起きてるのかと咎められそうで音を立てないように部屋のドアを開ける。何となしに様子を窺いながら忍び足で廊下に出ると、小さく開かれたままのリビングのドアから二人の会話が洩れてくる。
「……あなたの事が何度も頭に
「考え直すことは出来ないの、ユリさん? 」
「気持ちは固まってるから……」
「……判った。ならば、俺は従うよ」
「ごめんなさい、シュウジくん……」
「まあちゃんには、ふたりで話そう」
何で聞いちゃうかなぁ、オレ。
激しく後悔しながらそっと部屋に戻り、気持ちを落ち着けてからごくごく自然にトイレに起きたふりをする。レバーを引いてザバーっと勢いよく水を流し洗面所にて手を洗うとポヤポヤしながらベッドへと戻る。
誰が見ている訳でもないが完璧な演技。
きっとふたりも気付くまい。
壁に向かって横になり暗闇に目を慣らす。
あの会話の真意は?
夫婦間に亀裂?
もしかして家庭崩壊の危機!?
そんな訳ないよ。
未だに名前で呼びあってるんだよ?
二人はオレから見てもラブラブだし。
状況からみてイケナイのはお母さんの方?
いやいや有り得ない、絶対に有り得ない!
オレたちの事を一番に愛してくれてるお母さんに限って、それは絶対にないっ!
無心になりたいのに頭の中で幾人もの自分が大騒ぎしている。
ああぁぁぁ、と枕に顔を埋めようと動いたその瞬間にカチャッと部屋のドアが開き、ビクッと身体を強ばらせる。
バレないようにしなくちゃ!
オレの様子を窺うふたりの気配が消えるまで、一定の小さな呼吸を繰り返してその場をやり過ごす。
きっといつかは事の真相を聞かねばならない。
今夜ばかりは朝が来なけりゃいいのに、と思わずにはいられなかった。
翌朝は、いつもより睡眠時間が少ないにも関わらず〈サトちゃん時計〉が鳴る前に目が覚める。先に起きる勇気など当然なく、声が掛かるまで布団の中でモゾモゾする。漸くベッドから離れれば、立ち聞きの気まずさをいつもの寝ぼけ
「ふわわぁぁ、おはよう」
「「おはよう、まあちゃん」」
いつもと変わらぬ朝ご飯。
「いただきます」
「たんと召し上がれ」
◆ ◆ ◆
全国的に浮き足立つGW。
それ以降のお母さんは、週に一度の頻度で仕事から帰って夕食の準備をし、お父さんが帰宅するかしないかの絶妙なタイミングで身支度を整え、いそいそと出掛けては二時間ばかり家を空けて疲れた顔で戻ってくる日常が続いた。 時には22時を過ぎることもあり、オレはひたすらやきもきするしか出来なくてもどかしい。
事の発端は春休みのとある会合。多数意見の応酬からの大紛糾の末、これ以上の議論は無意味と判断したお母さんがついに行動に移した結果が、例の会話となる。
さて、何があったのか。
あの日の朝に、時を戻そう!
シュシュシュビンーー!
「まあちゃん、実はあなたに話さねばならない事があるの、落ち着いて聞いてね」
朝食も終わりミルクココアを飲み干そうとマグカップに口を付けたそのタイミングで、お母さんが昨晩の核心に触れ始めた。
朝から聞くのキツいなぁ。
そんな言い方されたら、例の会話を廊下でコッソリ聞かずともさすがに身構えるよ。
「実はね……私たち、子供会のキックベース大会の担当になったの」
……はい?
「最近、まあちゃんが外で俺達と連れ立つのを嫌がるだろ、俺も男だからその気持ちが痛いほど判る。ユリさんも成長だからと距離を置こうと考えて、係りも裏方に徹するつもりでいたんだ」
子供会のイベントには高学年の保護者がどこかで必ず関わっている。大概の係りは片親の参加で済むが、キックベースは指導と管理の二役があるため両親の協力が必要になってくる。たまに土曜出勤するお父さんやお年頃な時期に入ったオレの事を考えて、何とか避けて通れる道を探っていたようなのだが。
「だけど、毎年恒例の揉め事が始まっちゃって。共働きは理由にならないとか、前年やったからパスだとか、三役だから無理だとか、結局
「ユリさん、そういうの無視できない性格だろ?」
「で、つい言っちゃったの、『私がやります!』って。手まで上げちゃった。ウフフ」
……今のは、笑うところなの?
「んんん?昨晩話してたのは、その事?」
「「き、聞いてたの!」」
しまった、墓穴を掘った。
二人ともごめんなさい。
立ち聞きはイケナイ事とは承知の上ですが、いつも楽しく話してるはずの声のトーンが落ちてるし、更に深刻そうな会話を聞いてしまったら誰だって足を止めるというものです。
真相がハッキリして安心したこともあり、オレの正直な気持ちを二人に伝える。
「別に担当でも構わないんじゃない?」
「でも、ずっと親が練習にいるんだぞ?」
確かにみんなの前でベタベタするのは勘弁だけど、見守りや指導の声掛け程度なら何が問題なのかサッパリ判らない。
「お父さんは嫌なの?」
「逆だよ~、最近絡みが少ないから寧ろ嬉しい」
本来クールなはずの目尻をだらっと下げる。何だろう、サトちゃんにお株を奪われてたのか、負けじとデレてくる気がする。
「もしかして夕べは寝付けなかった?まあちゃんには心配掛けちゃって、ごめんね」
あぁ、さすがお母さん、バレてたか。
「ともかく家庭崩壊の危機でなくて良かったよ」
「「なんという事を!」」
「まぁ、オレは練習に励むだけだから、二人とも頑張って下さい」
まさかのネガティブワードに慌てつつもホッとしたように顔を緩ませて、二人は今後について話し始める。
「指導担当のシュウジくんは、今から基礎体力を上げて鍛えないとね」
仕事ばかりで体力強化が怠りがちなお父さんが槍玉にあげられる。
「練習開始は2ヶ月後。通勤の歩みを早めるかな。小さなことからコツコツと、だし。まあちゃんが土曜日に道場に行くついでに走るのもいいな」
「オレも走る羽目になるのは避けたいなぁ」
「そう言うなよ!」
あはは!
「ではお二人とも、我が家の団結力で今年こそ優勝をもぎ取ろう!」
「「おーーーっ!」」
◆ ◆ ◆
「……という事があった訳ですよ。今日のこの日を迎えるまでに」
校内のフェンス沿いに並ぶ桜の青々とした葉を眩しく眺めながら、我が家の一大事をボソボソと口にする。
「それは大変だったな」
校舎前から降りる階段に俯いて座り込み、けんちゃんの力ない慰めの言葉が
「おれだったら泣いてるなー」
感情のない棒読み台詞のアッキーが、配布されたスポーツ飲料の空ペットボトルを太股にパンパン打ち付ける。
校庭では、この日の為に描かれたダイヤモンドの一つに固唾を飲んだ参加者一同の視線が注がれている。そこには目を輝かせて自チーム男子を応援するカノチャンの姿もあった。
梅雨明けと同時に入った夏休み初回の土曜日。
今年で最後の子供会対抗キックベース地区予選大会が絶賛開催中なのである。
ピピーーッ、ピーーーッ!
試合終了のホイッスルが高らかに響き渡る。
「整列!ひふみ子供会8点、むなや子供会7点で、優勝はひふみ子供会!」
きゃあぁぁ!やったぁぁ!
くそーーー!やられたぁ!
どちらも良くやったぞ、おつかれ!
様々な思いが入り乱れて、決勝戦の熱気と余韻が一帯に残る。
「今年は予想外だったな」
「まさか、あの2チームとはね」
「あっさり決められちゃったもんなー」
オレたちの子供会はどこも一回戦敗退。
腹立たしいほどじっとりと暑い中、埃と陽射しにまみれて真っ黒になりながら練習したというのにこの結果。今となっては、去年同様、互いに牽制し合った日々が恥ずかしくもあり懐かしい。
そして、自分たちの試合後も続く準決勝、昼食からの決勝戦の先の閉会式を、紫外線Maxの快晴の空の下でただひたすら待ち、終わってしまえば燃え尽きる情熱の行き場に戸惑いながら、沸き立つ最終戦を何の感慨もなく眺め続けてきた。
ので、余りの暇さに思わず例の話をしてしまった訳です。
「でも、危機は回避できて良かったな」
全くです。
「まーくん家はウチ以上にラブ度高いからなー」
そう見えてるんだ、恥ずかしい。
「一人っ子だと相談できないから相当焦ったんだよ、もうあんな思いは懲り懲りだよ」
「「あはは、激しく同意ー」」
4時間近くも見学してるだけで終わる、疲れたオレたちの電池切れな乾いた笑いが漏れる。
「閉会式始まるから行くか」
「「おー……」」
この日は、参加児童と担当保護者全員で打ち上げバイキングを開催するため、オレの味噌汁はお休み。子供会の仲間たちと焼き肉をたらふく食べて、サラダを選べと怒られて、デザート用にてんこ盛りソフトクリームを作って、みんなで負けた悔しさをチャラにした。
保護者の皆さんは、市大会に関わる事なく無事に終われたことを密かに喜んでいたけどね。
そちらは暖かくなりましたか?
サトちゃんは、元気に運動してる?
◇ ◇ ◇
「例の噂、大丈夫なのか?」
「全員納得済みだから心配ご無用、サトルには万にひとつもないよう手配してあるから安心して」
「俺はどうでもいい、お前に何か有ったら……」
「だから終わりにすると?やっと想いが通じたからそれは飲めないよ。どうしてもというなら話は別だけど」
「……俺も無理だ」
「ならばこの手は離さないで、お願い」
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