エピローグ
翌日。荷物をまとめた僕らは稲村亭の玄関にいた。
「お世話になりましたー。ご飯もお酒も美味しかったですー」
三和土で靴を履きながら、見送りに出てきた女将さんによもぎが言う。
「喜んでくれたならよかったずら。この辺りは冬景色も映えるから、また来てくれると嬉しいだに」
「ええ、ぜひ!」
最後まで愛想よく応対してくれた女将に挨拶して外に出ると、実里沢と浜吉さんが待っていた。
「見送るよ。夢瑠はまだ外に出たくないらしくて」
「そっか。……ま、室伏さんのこともあったしね」
よもぎがつぶやくと、犀川が口を一文字に結んだ。
「おめーのせいじゃねぇぞ」
その仕草に、浜吉さんが声をかける。
「あの人は、もともと村を出る機会を窺ってた。頼子さんが亡くなってからな。玲実と夢瑠がいなくなるなら、もう自分がいる意味はないと思ったんだろう」
「ああ、わかってる」
頷き、犀川は口元を緩めた。
昨晩、僕が山の中を彷徨い実里沢が夢瑠を説き伏せていた頃、犀川は室伏さんにリベンジを果たし、彼はこの村を去って行ったそうだ。
夢瑠はそれにもショックを受けたらしく、しばらくはこの村を離れられそうにない。光和会絡みで後始末しなくてはならないこともあるから、その間、実里沢も一緒に残ることを決めたそうだ。
「夏が来る前には戻るよ。夢瑠と一緒にね」
紐に通して首に掛け、胸元に垂らしたタイガーアイの勾玉を握り、実里沢は微笑んだ。
いつの間にかよもぎが渡していたのか。
「うん、待ってる。サークル棟の部屋でも確保してねっ!」
「夏前じゃまだ無理だろ……何の実績もないし」
意気揚々と告げるよもぎに、僕は呆れた顔で突っ込む。
「実里沢。向こうで力になれることがあったら言ってくれ。できる限りのことはする」
その僕らの横で犀川はいつもと同じ淡々とした調子で言った。
「ありがとう。とりあえず……部屋探しと引越しの手伝いをしてほしいかな。夢瑠と同居するなら、今の部屋じゃ狭いし」
「力仕事なら役に立てそうだ」
表情を和らげて犀川は答える。実里沢は嬉しそうだ。
「軽井沢までどう行くんだ? バスの時間までは二時間以上あるし、軽トラ出してやってもいいが」
「ありがとうございます。でも、知り合いが車で近くに来てるんで」
浜吉さんによもぎが答えたのを合図に、僕らはそれぞれの荷物を手に取って歩き始めた。
※
村外れまでの道を歩く。まだここに来て三日ほどしか経っていないのに、ずいぶん長い時間を過ごした気がする。田畑と山に囲まれた風景も見慣れてしまった。
先頭に浜吉さん、続いて僕とよもぎ、少し間を空けて犀川と実里沢という順番に並び、僕たちは畑の間に作られた道をのんびりと歩いて行く。
「……ねぇねぇ、浜吉さん」
不意に声を潜め、よもぎが前の浜吉さんに囁いた。
「何だ?」
ぶっきらぼうに、振り返りもせず浜吉さんは応える。
よもぎは犀川と実里沢にチラリと目をやってから、それからさらに声を小さくし、
「――浜吉さんって、もしかしてレイミーのこと、好きなんじゃないですか?」
と言った。
浜吉さんは一瞬足を止めかけたが、それでもどうにか持ち直して歩き続ける。
また余計なことを……と僕がハラハラしていると、そのままだんまり決め込むかと思っていた浜吉さんは一度咳払いをして、
「ああ、好きだ」
と、平然と答えた。
「やっぱりっ! それなら村を出る前に告白とか考えなかったんですかっ?」
何故このタイミングで恋バナなのだ。とはいえ突っ込むのも野暮なので、僕はよもぎに視線だけで訴える。
「あいつには好きなヤツがいたからな」
低く抑えた声で、浜吉さんはつぶやくように言った。
「ガキの頃から、見ることはできても話すことはできなかった相手が。そいつの目が好きだったらしい。まさか東京に出て本当に会えるとは思わなかったが……」
浜吉さんは首を振り向かせた。視線は僕らよりも後方、ぽつぽつと雑談を交わす実里沢と犀川に向けられている。
実里沢は笑顔。犀川は無表情だが心なしいつもより楽しげに見える。
よもぎの目が輝いた。
「わお。硬派ですねぇ、カッコイイ!」
「……待て、どういうことだ?」
いまいち話の流れについていけない僕は、茶化すようなよもぎの言葉に首を捻る。よもぎは両掌を上に向け、「鈍いなぁ、要っちはぁ」と嘆息した。
「レイミーの傍にはいっつも室伏さんがいたわけだよ。その室伏さんに見えたモノ。彼の心が囚われていたこと。忘れたくても忘れられなかったこと――それは何だと思う?」
「室伏さんの心が囚われていたこと? ……何で君にそんなモノがわかるんだ?」
「あ、そっか。要っちは知らないんだ」
うっかりしてたというように、よもぎはポンっと手を叩いた。
「だから、何をだよっ?」
「うーん。そうねぇ~ここであたしから言うのものねぇ~」
「いや、そこまで言ったんなら教えろよっ!」
僕らがそんなやりとりをしていると浜吉さんは舌打ちし、立ち止って深く息を吸った。
「――おいっ! 犀川っ!!」
浜吉さんが発した大声に、犀川と実里沢が驚いた顔を向ける。
「玲実と夢瑠のこと、任せたぞっ! もし二人を泣かすようなことがあったら、オラがオメーをぶん殴りに行くかんなっ!!」
「……ああ、心得た」
虚を突かれた犀川だったが、浜吉さんの本気には気づいたらしく、応えるように頷いた。実里沢は困惑した顔で二人を交互に見ている。
「……秋吉くんも八十年代ラブコメ主人公並の朴念仁ぶりだからねぇ。レイミー、苦労しそう」
その光景を眺めながらしみじみとつぶやいたよもぎの横で、僕はへっ、と鼻で笑う。
「よくわからんが、それがちまたで言うところのアオハルってもんなんだろ。僕はごめんだがね」
「捻くれてるなぁ。――でもまあ、同感」
皮肉っぽい目つきで僕を見上げ、よもぎはニヤリと笑って言った。
※
村の入り口にある立て札を通り過ぎ、アスファルト道路が通る山道へ出る。
猫バスが来そうなバス停の近く、青い軽自動車が一台、エンジンをかけたまま止まっていた。
「あ、きなこさーん!」
よもぎが運転席に駆け寄ると、エンジンを切って中から小柄な女性が出てきた。
「ずいぶん早かったね。取材はどうだった?」
「まあまあ使えそうなものは撮れたよ。しかしこの辺り、全然車通ってないわねぇ……」
感心と呆れの入り混じった目で辺りを見回し、女性はその視線を僕らで止めた。
「あ、ども。よもぎの友達だよね」
三十代半ばぐらいだろうか。垂れ目にメガネでセミロングの髪を首のうしろで括った女性。Gパンと青のカーディガンというラフな格好は、どことなくよもぎのセンスに通じるものを感じさせる。
「わたし山田きなこ。この娘の同居人なんだ」
「きなこさん漫画家なんだよ~。あんまり売れてないけどねぇ」
隣でニコニコと笑って言うよもぎを睨み、「一言多いの、あんたは」と囁く。
僕と犀川、実里沢も名を名乗り、浜吉さんは少し離れたところから会釈をした。
山田さんは僕をまじまじと見つめ、それから興味深そうに目を細めた。
「ふーん、君が御堂くんか」
「はあ……漫画家さんですか……」
漫画で食ってる漫画家って初めて見た。そんな感想を思ったが、失礼な気がするので言わないでおく。
「よもぎのこと、よろしくね。ちょっとブレーキ利かないトコあるから」
僕の肩に手を置き言うと、山田さんは運転席に戻って車のトランクを開けた。
「じゃ、荷物入れちゃって」
持ってきたスポーツバッグや鞄を詰めて、よもぎは助手席、僕と犀川は後部座席に乗り込む。
「待ってるからね、レイミー」
「向こうで不動産屋を見ておくよ」
「うん……お願い」
窓を開けて言うよもぎと犀川に実里沢が頷く。僕も何か言おうとしたが、気の利いた言葉は浮かばなかった。
「まあ、すぐ会えるだろうけど……元気でな」
「締まりがないなぁ、要っちはぁ」
すかさず言ったよもぎの呆れ声に笑いが飛ぶ。仕方ないだろ、こういう場面には慣れてないっての……。
手を振る実里沢、見送る浜吉さんをうしろに、車はゆっくりと走り出す。
「まったく……ずいぶん濃ゆい旅だったなぁ……」
二人の姿が見えなくなったところで、僕は窓の外を眺めながらつぶやいた。
道路の両端に広がる木々は整備されている。昨夜、僕が彷徨ったあの森のような混沌さは感じない。
人の手が入り変わる場所もあれば、放置されたまま昔の形を残す場所もある。この日本にそんなところはあとどれだけあるのだろうか。いずれなくなっていくのだろうか。
それとも……忘れ去られたまま、ずっと変わらず昔のままで在り続けるのだろうか。
「そうだな。こんなにも色んなことが起こるとは思わなかった」
独り言のつもりだったが犀川が同意した。声には感慨深さがある。
前の座席ではよもぎと山田さんが昼食について話している。美味しい蕎麦屋があるから戸隠に寄って行こうとか、ここからだと二時間はかかるとか。
身体の力を抜き、僕はシートに背中を預けた。
上着のポケットを探り久しぶりにスマホを取り出してみると、留守番電話が入っていることに気づく。
あの村では電波が入らなかったがここにきて通じたらしい。留守電ダイヤルにかけ、録音を再生する。
『……あ、こんにちわ。吉岡書店店長の吉岡です。先日はアルバイトの面接に来ていただきありがとうございました。……えっと、結果なのですが、採用となりましたのでお電話させていただきました。折り返しご連絡いただけるようお願いします』
失礼します、と告げて録音は切れた。
僕は黒くなったスマホの画面をじっと見つめ、そして、川上さんが書いた小説のことを思い出す。
僕には一生届かないかもしれない。書き続ければ、その劣等感に苦しみ続けるかもしれない。
――でも、まだ〝勝負〟はついていない。
戦う相手は川上さんでなければ他の作家でもない。誰でもない、僕自身だ。
僕が僕として自分を納得させるだけの小説を書けるか、これで自分のすべてを出し切ったと思える小説を書けるか――それをやり遂げるまで、僕は書くのを辞めるわけにはいかない。〝マヨイガ〟に腰を落ち着けるわけにはいかないのだ。
僕にとって、それが生きる意味を示すということだから。
「――要っち、どうかした?」
バッグミラー越し、見つめていることに気づいたのか、よもぎがこちらを振り向く。口元には不敵な笑みが浮かんでいる。
その不誠実な笑顔を見て、何故かひどく安堵してる自分に気づき、僕は苦笑する。
「おかげさんでね……新しいバイト、決まったよ」
END
バイトはクビになるし大学ではボッチだし、でも意識だけは高いワナビな僕が煽り女と民俗学サークルを作るのだ!~行け、マヨイガ探索隊~ なつくもえ @natukumoe
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