長野編 2-7
「――いったい何をしてるんですかっ! たかが二人を見つけるのにっ!!」
光和会本部である屋敷の前で、戻ってきた男衆の一人の報告を聞くなり夢瑠はヒステリックに怒鳴り散らした。
この村で携帯電話を持っているのは玲実を除けば夢瑠と室伏だけだ。そもそも地場の関係か、電波が入りづらく役に立たないのだ。こういう捜索になると連絡を取るには人を送るしかない。
「だ、だけんど夢瑠……もうだいぶ暗くなっちまってるし、連れの方はともかく玲実はこの村にも詳しいから……」
「言い訳は聞きたくないですっ! 詳しいのはあなたたちも同じでしょ!? それなら数が多い分、こちらの方が有利なはずですっ!!」
「そりゃそうだけども……」
報告に来た男は気圧されたように口ごもる。
「次来る時は何か成果を上げてから来てくださいっ! 戻っていいですっ!!」
「う……はい……」
ぴしゃりと言われ、男は肩を落としてしょんぼりと石段を下っていく。夢瑠は大きく息を吐き、隣に立つ室伏に目を向けた。
「海江田たちはどうしてますか?」
「特に何も。くつろいでいるとは聞いたが」
「……そうですか」
ぎりっ、と奥歯を噛みしめ、夢瑠は宙を睨む。
室伏とお抱えの親衛隊五人を残して、残りの男衆は村に放った。しかし狭い村とはいえ、闇夜に紛れれば隠れる場所はある。最悪なのは追い詰められたと見て山に入ってしまい、そのまま遭難してしまうことだ。
正規の道でも夜になれば迷いやすい。玲実はわかっているはずだがあのメガネがヤケになり、無理やり玲実を連れて山中に潜ってしまえば、見つけるのは難しい。
――どうしてこんなことに……姉さん……!
焦燥が胸を焼く。自ら探しに出たいところだが、自分が指示を離れて若い衆がまともに動くとは思えない。
従順だが、自身で思考することのできないコマ。だからこそ夢瑠の妄言も信じたし、彼女のために尽くしてくれる。
夢瑠の妄想が本当にこの村を救うと、信じて行動しているのだ。
「……室伏。わたしはどうしたらいい……?」
不意に表情に翳を落とし、途方に暮れたように夢瑠はつぶやいた。
「それは俺が決めることじゃない」
低く落とした声で、室伏は答える。
「何かをしたいのなら、自分が望むままにすればいい。頼子はその手助けをするよう俺をお前たちにつけた」
「……そっか」
顔を伏せ、夢瑠は小さくつぶやいた。
「そうだった……そうでしたね。あなたは、いつだって……」
「夢瑠っ!」
その時屋敷の四方にいた親衛隊の一人が、大声を上げてやって来た。
「玲実とあのメガネが裏道、遠頼山の方にっ! 浜吉さんと護衛の一人が追っていますっ!!」
「――! 全員で行って捕まえてくださいっ! 早くっ!!」
夢瑠の指示を聞くや、親衛隊の男は走り出した。あとを追おうとする夢瑠の肩を室伏が掴む。
「屋敷より上の山中は陽が落ちたら入るな。頼子が言っていただろう」
「でも……!」
室伏は咎める目で夢瑠を見た。怯んだように、夢瑠は顔を逸らす。
「玲実が一緒にいるなら深いところまでは入らないだろう。裏の登山道なら、この村で誰よりも上り方をわかっている」
「……うん。そうね……もう、追い詰めたようなものよね」
力なく言った夢瑠から、屋敷の上方――闇に染まった林へ顔を向けて、室伏は目を凝らすようにした。
「本当に、玲実が裏の山に行ったのならな……」
※
「――あっちだ! 山頂の方へ続く道へ向かったっ!!」
「――懐中電灯照らせっ! 足元気をつけろよっ!!」
浜吉さんと、男衆の一人がこちらに気づき大声を上げたのを聞いて、僕は一目散に走り始めた。
よし……うまいこと、こっちに来た……!
実里沢の屋敷からさらに山奥へと続く道。しばらくはならされた山道だったが、やがて岩肌のようなデコボコ道となる。
それでも、木々が分けられた方向がまだ道だとわかる。空から煌々と射す星明り、それを頼りに僕は実里沢に教えられた道を駆け上る――。
※
『――うちの家の裏からまっすぐ、道なりに山を上れば山頂に着く』
一時間前の稲村亭。浜吉さんの部屋で実里沢は紙とペンを借りて、屋敷と山の簡単な位置関係の図を描いて僕に見せた。
『道は昼ならわかりやすいけど、夜目だと踏み外す危険はある。遠頼山は子供の頃によく上ってたんだ。村の人は滅多に近づかなかったけど……霊山だから、無暗に入ると罰が当たるって言ってね』
浜吉さんはその間にどこからか持ってきた藁で人形を拵えている。持ってみると大きさの割に驚くほど軽い。これなら背負って走ることもできそうだ。
『道をよく見て、真直ぐ行くってわかっていれば迷うことはないと思う。それでも、夜の登山はリスクが大きいことを覚えておいて。一度森林の中に迷い込めば、元の道に戻るのはほぼ不可能だから』
『……気をつけるよ』
実里沢が着ていたパーカーを藁人形に着せながら、僕は彼女に顔を向けた。
『こいつと一緒に時間を稼ぐから、その間に海江田と犀川を助け出してくれ。もし室伏さんが夢瑠についたままでも、犀川がいれば何とかしてくれる』
『でも……犀川は一度室伏に負けてるんだよ?』
言い辛そうに言った玲実に、僕は笑って首を振ってみせた。
『親しくなったのは最近だけど、あいつは真面目なだけじゃなく執念深いところもあるからさ。一度負けたくらいじゃあへこたれないよ』
浜吉さんが神妙な顔で頷いた。
『……わかった。正しい山路を行けば、山頂へ着く前の分かれ道で道祖神の石像と立て札に当たるはずだ。そこまで逃げられていれば、時間は充分稼げてるはずだよ』
図の分かれ道のところから山頂までを指でなぞり、それから実里沢は、顔を上げて僕を見つめた。
『立て札に従って、山頂に向かうなら問題ない。でももう片方の道はけもの道だから……間違えないで』
『うん、わかった』
『任せておいてなんだけど、無理しないで』
すまなそうな顔をした実里沢へ、笑みにシニカルなものを混じえて、僕は言った。
『無理なんてするもんか。だいたい僕はマヨイガ探索隊の文系担当なんだ。こんな役目は、これっきりだよ』
実里沢は、ぎこちないながらも笑い返してくれた。
※
空から降り注ぐ星の光は周囲を思った以上に見やすくしてくれる。この辺りは木の密集率も低い。懐中電灯は、まだ使わなくてもいいだろう。
背中に括りつけたのは実里沢のパッションピンクのパーカーを着せた藁人形。近場で見ればバレバレだろうが、暗がりで遠目には二人でいるように映るはずだ。実里沢のファッションが個性的かつ派手でよかった。
足元に気をつけながら、必死に走る。幸い地面は乾燥して固くぬかるんでいるような場所はない。が、いかんせん足場が悪く整備されていない道は、僕の体力を急速に消耗させていく。
……くそ……運動不足だな……海江田と会ってから酒も呑むようになっちゃったし……。
ここを無事に乗り切ったら犀川に空手でも教えてもらうか。でも三日坊主で終わりそうだ。あいつ、そういうのは厳しそうだしな……。
追手からはどれくらい離れているだろうか。姿を見せた時点で、浜吉さんたちからはずいぶん距離を取っていた。しかし油断はできない。向こうの方が山道には慣れてるだろうし、気を抜けばあっという間に追いつかれてしまうだろう。
徐々に周囲の木々の存在感が濃くなっていく。足元に目をやり、道を確認しながらできる限り急ぐ。時折林の間から弾けたような音が聞こえる。小動物の移動、リスでもいるのだろうか。クマやイノシシが出ないといいが……。
身体は鉛のように重くなっている。軽いと感じていた藁人形も、今や大きな負担だ。投げ捨てたくなるが、もしそれを見つけたら彼らはすぐさま引き返すだろう。上へ、少しでも上へ。
走ってる内に呼吸が乱れて、とりとめのないことが頭に浮かんでくる。
……どうして僕はこんなところにいるんだっけ。ああ、そうだ。海江田に誘われて……。
ここに来る前、バイトの面接受けたな。古書店。中々面白そうな本がありそうだった。
そこで出会った人――川上さん。彼女も小説を書いていると言っていた。話してて楽しくて、気が合いそうで……何というか、控えめな言い方をするなら、僕は彼女に好意を抱いたのだろう。
彼女から冊子をもらって、彼女が書いた小説を読んで、それで……。
崖のような急傾斜を登り切ったところで、僕は不意に足を止めた。
じわじわと、胸の中に湧いてくる気配がある。不安の虫。絶望の前兆。何で今、それを思い出してしまったのだろう……。
川上さんが書いた小説は面白かった。プロと遜色なく――いや、それ以上に。同年代でこんなモノを書ける人がいたのか、というぐらいに。
衝撃だった。今まで現文研の連中の書いたものを見て、面白いなどと思ったことはなかった。所詮素人大学生がお遊びで作るレベルの小説。同世代で文芸を書くヤツらなどこの程度。僕が負けるはずはない。
なのに――認めたくないのに、認めずにはいられなかった。僕と彼女との才能の差を。
主観性も客観性もない、有無を言わせず面白いと言わせる天碔。その輝きは僕には無い。これまで散々書いてきたからわかる。彼女は天才で僕は凡才。彼女がダイヤなら僕は路傍の石。いくら磨いても努力しても、越えられない一線がそこにある。
そんな僕が、自分を〝普通〟だということに気づいてしまったが僕が、これ以上何かを書く意味はあるのだろうか。仮に作家になれたとしても、世に溢れかえっている雑書を一つ増やすことに、何の意味があるのだろうか。
でも……それなら。作家になることを諦めるというなら。
僕が生きる意味とは何なのか。何のために、僕はここまで書き続けてきたのか……。
「………………っ」
顔を上げると、道祖神の石像が目の前にあった。すぐ横に立て札。懐中電灯を向けると左に山頂と書かれ、右には掠れた文字の上に×印がされている。
ゆっくりとその前に近づき、僕は道祖神の像のうしろに抱えてきた藁人形を隠した。
ここなら見つからないだろう。もし見つかったとしても、この場所まで来たなら時間はそれなりに稼げているはずだ。
そして、足を右側の道に向ける。
今までかろうじて道とわかっていた足場はすぐに消失し、もはやどちらへ進むのが正しいかもわからない、けもの道へと化していく。
……いや、正しい道なんて必要ないのだ。
僕はどこかを目指しているわけではない。ただ、〝ここ〟ではない違う場所に行きたいだけだ。自分が自分でなく、何であったかも忘れてしまうような、そんな場所に行きたいだけだ。
思考はぼんやりとして意識も定まらない。それでも足は勝手に動いていく。
そうすることで崩れそうになる自分を、どうにか保っているかのように――。
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