長野編 2-6
稲村亭の裏玄関から屋内に入り、浜吉さんに案内された彼の私室で囲んで座ったところで、ようやく僕は身体の力を抜くことができた。
六畳半。大きめの学習机の前には古い映画のポスターが貼り付けられ、机上には漫画本が乱雑に積まれている。畳の上には飛行機のプラモデルや使いさしのノート……まるで昭和の小学生が使っていたような部屋だ。
部屋の入り口横には客用に使う蒲団が重ねて場所を取り、それが室内の三分の一を占拠している。
「で……これからどうするつもりなんだ、玲実?」
腕を組み、ドカッと胡坐かいた浜吉さんが言う。
「夢瑠の暴走を止めるって言ったが、何か手は考えているのか?」
「……うん」
伏し目がちに、正座した実里沢が答える。
「夢瑠は、この村を再興するために新たな光和会を立ち上げたって言ってるけど、本当の目的はそうじゃない。あの娘は……ただウチをこの村に戻すためだけに、みんなと光和会を利用しているんだ」
膝に置いた拳に力を込め、実里沢はつぶやくように言った。
「五年前……ウチがこの村を出て両親の元に戻るって言った時、夢瑠は反対した。あの人たちはウチらに関心なんてなかったし、仕事の方が大事な人たちだったから。ウチに見鬼の力があるとわかってこの村に預けることになった時も、むしろあの人たちにとっては都合がよかったんだと思う。夢瑠はそんな両親が嫌いでウチに懐いてて、だからこの村に来ることになった時も、一緒に付いてくることを望んだんだ」
「玲実……でもよう、頼子さんはお前らのことを大切にしてくれただろう?」
「うん。でも浜吉にい、あの人はやっぱり、ウチのことを見鬼の力を持つ道具として見ていたよ」
自嘲じみた笑みを実里沢が浮かべると、浜吉さんはぐっと唇を噛んで押し黙った。思うところがあるのかもしれない。
「村のみんなも親切にしてくれたけど、それはウチがお祖母ちゃんの孫で、見鬼の力を持つ巫女だったからだ。ウチはお祖母ちゃんに言われるまま色んなモノを〝見て〟きた。おぞましいモノ、悲しいモノ、決して救えないモノ……でも、中には綺麗なモノもあった。この目を持って産まれたことは恨んでいたけど、嫌なことばかりじゃなかった」
遠くを見る目をして、実里沢は懐古するように言った。この村で過ごした日々を思い出しているのだろうか。
見鬼の巫女として――祖母の元で過ごした、幼い頃の日々を。
「……聞いていいかな、実里沢」
「うん?」
実里沢の視線が僕に向く。
「三年後、つまり今になって……どうして君はこの村に戻ってきたんだ? 実の妹を見捨ててまでして、出て行った村に」
「おいっ!」
声を荒げ、浜吉さんが僕の肩を掴む。しかしこれは訊いておかなければならない。
周囲に男衆がいたあの状況じゃあ海江田と犀川は夢瑠に捕まっているだろう。マヨイガ探索隊で自由に動けるのは、もう僕しかいない。
二人を助けるためには実里沢の協力が必要だ。でもその前に、彼女の真意を知っておく必要がある。
僕が、実里沢を本当に信頼するためにも。
「いいよ、浜吉にい。――三年前、お祖母ちゃんが亡くなって、次代の語り部がいなくなり光和会は解散した。ウチはそのまま村に残ることもできたけど、これはチャンスだって思ったの。この村を出て、違う環境で生きていくための」
実里沢は浜吉さんを見る。
「ごめんね、浜吉にい。ウチはこの村を出たいと思っていた。東京に行って、古い慣習や繋がりに縛られず、自由に生きてみたいと思っていた」
「……ああ。仕方ねぇさ。若い連中は、そうやって村を出て行く」
目を逸らし、低い声で浜吉さんはつぶやく。
「東京に出れば、今までと全く違ったことが起こる。面白いこと、楽しいことが待っている。両親と一緒に暮らせなくても友達や恋人ができれば寂しくない。そんな期待をして、玉林大学付属の高校に入学して……ウチはそこに馴染めず、浮くことになった。東京に行きさえすれば何もかもうまくいくと思っていたんだ。でも、それはウチの勝手な想像だったよ。ウチは何も知らない子供で――そういう意味じゃ、夢瑠の言っていたことは当たってたんだ。この村を出ても、ウチを受け入れてくれる場所なんかないって」
自嘲じみた笑みを深める。
抱いた期待が打ち砕かれ、実里沢は孤立した。海江田が大学で彼女の同級生から集めた情報。見鬼の目のことを打ち明けて、それが色眼鏡で見られることになった高校時代。気味悪がる者、からかう者、興味本位で絡んでくる者はいても、誰も実里沢の友人にはなってくれなかった。
「ウチが東京に行く時、夢瑠はついてこなかった。正直、ウチはそれにほっとしていたんだ。……でも、夢瑠は諦めていなかった。ウチがこの村に必要だと思わせるために、語り部としての勉強と訓練を積んで新たな光和会を作り上げた。ねぇ、御堂。あの娘はずっと〝憑かれた〟ままなんだよ。三年前、ウチが見捨てて一人でこの村を出て行ったばかりに、覚めない夢を見続けている」
〝憑かれている〟。実里沢ははっきりとそう言った。
実里沢が東京で孤立し苦しんでいたことは事実だろう。良かれと思ってしたことも空回りして、自分が想像したようには運ばなかった。
でも――それでも彼女は、この村に戻りたいと思うだろうか。
離れたいと思っていても、長い時間を過ごした村だった。それなりに未練はあっただろうし、結果的に置いていったとはいえ夢瑠のことも気がかりだったはずだ。
そんな思いを振り切って、そしてうまくいかないことばかりでも、実里沢は東京に居続けた。
僕が最後に大学で会った時、彼女は学生会館でバイトを探していた。それは悩みながらもこの場所で、自分の居場所を見つけようとしていたからではないのか。
この村で見た彼女の表情は、自分の立場を望んでいたようには見えなかった。
ならばやはり、実里沢が戻ってきた理由は……。
「都合のいいことを言って、思惑通りに事を運ばせて……でもこんな茶番、すぐに破綻する時が来る。あの娘は自分が描いた妄想に魅せられて、それが現実になると信じ込んでいるだけだ」
モノはそういう人の心に憑く。盲目になっている人の、心の隙に。
「本当はオラも気づいていた。夢瑠の……光和会のやり方は、村のモンに一時の安心を与えているだけだ。過疎化し、朽ちていくこの村をどうにかするための解決にはなっちゃいねぇ……」
項垂れ、浜吉さんは鼻の下を擦った。
「それでも……オラたちは夢瑠が示した希望に乗っかった。他にどうすればいいのかわかんなかったから。あの女の言う通りだ、夢瑠の指示通りに動いて、それが村を救うことになると自分に思い込ませていた。オラたちも夢瑠と同罪だ。あの犀川って男に投げ飛ばされて……頭冷えて、ようやく気づけた」
「ううん、浜吉にいやみんなは被害者だよ。悪いのはウチと夢瑠だ。ウチがあの時夢瑠を残していったから……夢瑠と向き合うよりも、自分のことを優先したから」
実里沢は顔を上げ、決意を固めた目で僕を見る。
「だから――ケリはウチがつける。夢瑠に憑いたモノを払ってみせる。でも、そのためには夢瑠と一対一にならないといけない」
「そうなると、厄介なのは夢瑠の取り巻きの男衆……それに室伏さんか」
犀川が敗れた室伏という男。夢瑠も頼りにしているようだし、彼女が纏う壁の中で一番厄介な相手だろう。
「だけど実里沢、君をここに連れてきて僕に会わせたのも室伏さん――なんだよな? 行動が矛盾してるように思うんだけど……あの人は君と夢瑠、どっちの味方なんだ?」
「どっちの味方でもないよ」
薄く笑って実里沢は答えた。
「あえて言うなら、あの人はお祖母ちゃんの味方。お祖母ちゃんにウチたちのことを頼まれて、だから両方が望むことを手助けしている。ウチが東京に行けたのも、室伏の協力があったからだよ」
「この村での、君らの養父ってとこか?」
「ちょっと違う。ウチらが言えば大抵のことには力を貸してくれたけど、それはお祖母ちゃんの遺言だったから。お祖母ちゃんが生きてた頃から世話を焼いてくれて……でも誉めたり叱ったり、ウチらの事情に干渉することはしなかった」
「……そうか」
言うべき言葉が見つからず、僕は視線を彷徨わせた。
見鬼の力を持って産まれ、それを理由に祖母に預けられた実里沢。彼女に懐き付いてきた夢瑠。その祖母の元にいた室伏。
いったい彼女らがどういう距離感と関係でこの村の日々を過ごしていたのか、想像するのは難しかった。
「室伏さんは村の入り口で倒れてたところを頼子さんに拾われたんだ」
黙っていると、浜吉さんが口を挟んだ。
「以前は東京の方にいたらしいが、詳しいことはうちのおっかあも知らん。来た時は衰弱してて頼子さんの介抱でよくなり、そっから光和会の仕事を手伝うようになったそうだ」
「ウチらがこの村に来るより前からいるんだ。もう、十年以上前から」
実里沢が付け加える。
「その間、ずーっとあのスーツ姿で通してきたの?」
「あれはお祖母ちゃんが街に出た時買ってあげたんだって。似合うから、一張羅にしろって。多分、からかいもあったと思うんだけど」
「はぁ、そうなのか……」
以前の光和会の中心的存在、語り部を務めていた実里沢の祖母、頼子さん。彼女亡きあともその命に従って、今は実里沢や夢瑠のために行動する。
確かに室伏が主観的な意思を見せるような場面はなかった。姉妹に影のように貼り付き、行動をサポートしていた。そう考えれば一応の納得はできる。
――だが、それならどうしてあの時……。
「親衛隊と室伏を排除して、他に頼るものがなくなったところで、ウチが夢瑠と話す。口論になるかもしれないけど、それであの娘を止める自信はある」
自身に言い聞かせるように、実里沢は言った。
「問題はどうやって周りの連中を剥ぐかだな。他の男衆はともかく、夢瑠お付きの親衛隊の奴らはオラが言っても離れねぇ。それでも遠ざけるには、夢瑠に直接指示させるしか……」
「――一つ、案があります」
顔を渋くする浜吉さんと実里沢の前で、僕は口を開いた。
重い気分とは正反対に頭の中は明快だ。まるでここでこうすることが、最初からわかっていたかのように。
もし海江田がいたら、やはり僕の意思など気にせず同じ提案をしたのだろう。
〝大丈夫、要っちならできるよ〟……などとほざいて。
「光和会の男衆は浜吉さんが味方だと思っている。夢瑠は実里沢が僕と一緒にいると思っている。それを利用するんです」
「つまり、どうするの?」
顔を覗き込むようにして、実里沢が大きな瞳に僕を映す。
ため息をつきたい気持ちになりながら、それでも僕は気を張り、作戦の内容を告げる。
「僕が囮になる。そして夢瑠の傍から、親衛隊を引き剥がす――」
喋りながら、海江田はどこまで考えてあの時僕に逃げるよう言ったのだろうかと、ふと思った。
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