長野編 2-5


「――っ!」


 周囲の皆の目がこちらに向くよりも早く、僕は実里沢の手を取り走り出していた。


「追いなさいっ! 早くっ!!」


 背後では夢瑠が男衆に命じる声が聞こえる。が、振り向いて確認する余裕はない。


「くそ……逃げるたってどこに行けば……!」


 稲村亭の裏手から入った薄い竹林の中を走っているとすぐに行き止まりが見え、村方面か、山の中に逃げるしかないようだった。

 村を通り抜けて逃げる土地勘は僕にはないし、向こうは数で勝っている。しかし、夜の山中に入り込むのも危険だ。


「おいっ! 何してんだっ!!」


 考えあぐねて足を止めかけた時、突然端から怒声が聞こえた。目をやれば浜吉さんが道脇のほったて小屋の前で立っている。

 しまった! 回りこまれたか!? ――と肝を冷やした瞬間、浜吉さんは小屋の戸を開け、声を落として手招きした。


「早く入れ! 早くっ!!」


『――あ、浜吉さん! ここらにあの都会から来たメガネと玲実が』

『村の方に行った! 逃げ込める場所はないはずだ、分かれて捜すんだっ!!』

『わかりましたっ!!』


 大声でのやり取りのあと、走り去る足音が聞こえ、しばらくして小屋の戸が開いた。


「……大丈夫だ、とりあえずやり過ごした」


 外から射しこんだ僅かな光で周りに置いてあるものが目に映る。神輿や飾り、装飾した丸太などが収められているようだ。


「ここには神事や祭りの時に使う祭具がしまってあるの」


 実里沢の説明を聞きながら、僕は彼女について小屋を出た。表では浜吉さんが周囲の様子を窺っている。


「……ありがとうございます。でも、何で助けてくれたんですか?」

「あの犀川って男には借りがある。それに」


 ぶっきらぼうに言って、浜吉さんはちらりと実里沢を見た。


「……オラは光和会の一員だが、その前に玲実と夢瑠、両方の味方だ」

「ありがとう、浜吉にい」


 ほほ笑み、実里沢が礼を告げる。浜吉さんは気恥ずかしさを誤魔化すように頭をかいた。


「でもよぉ、玲実。お前はいったいどうしたいんだ? 事情はおっ母から聞いたが……夢瑠に黙ってコイツに会いに来て、夢瑠はえらい立腹だぞ」

「うん、わかってる」


 視線を下げて、実里沢は頷いた。


「でも、そもそもあの娘がああなった原因はウチにあるから。喧嘩することになっても、やらなくちゃならないことがあるんだ」


 つぶやくように言って、実里沢は僕を見た。


「お願い御堂、力を貸して。夢瑠の暴走を止めるために……」


                  ※

 

「――屋敷の中にこんなモノを拵えてるなんてね。こんなん見ると、結構ヤバイこともしてたんじゃないかって疑いたくなるわ」


 山間にある村の中でもより高い位置にある光和会本部――すなわち、夢瑠と玲実が住まう屋敷。

 男衆に連行されて三度この場所を訪れたよもぎと秋吉は、奥深い廊下の先、座敷牢の部屋に捕らえられていた。


「代々見鬼の力で霊媒師のような役割を果たしてきたんだ。今でいう精神病……正気を失った人間を閉じ込めておくこともあったかもしれない」


 壁に背を寄りかけ座った態勢で、秋吉は目を瞑ったまま言う。


「結構年季入ってるもんねぇ、この檻。どれくらい前に使ってたんだろ」


 木の格子を触りながら、よもぎは興味深そうに観察する。

 部屋の広さは八畳程度。半分が格子で区切られている。掃除もされているようで埃はなく、檻があること以外は普通の和室と変わらない。

 ゆっくりと、秋吉が目を開けた。


「……見たところ、ここ数年人を閉じ込めた形跡はなさそうだ。拷問などは行われてないと思う」

「そりゃ一安心だわ。――どう、調子は?」


 皮肉気に言ったよもぎを見て、秋吉は一度深く息をついた。


「すまん、不覚だった」

「いいってば。怪我は平気?」

「ああ」


 頷き、秋吉は右わき腹を擦る。


「レバーを利かされただけだ。骨は折れていない」

「顎は?」

「唇が少し切れたが、意識はもうしっかりしている」


 告げて、秋吉は感触を確かめるように首を少し動かした。


「それよりも海江田。何であの時、御堂と実里沢に逃げろと言ったんだ? 室伏の挑発を受けた俺も軽率だったが……これじゃあ妹とは余計に関係がこじれるだけだ」

「ま、ちょっとは大事にしないとね」


 ニヤリと笑い、よもぎは楽しんでいるような口調で言った。


「あの娘に心酔している村の若い連中は、その幻想やら妄想やらをちゃんと砕いてやらないと覚めやしないよ。浜吉さんは、秋吉くんに投げ飛ばされて大分頭冷えたみたいだけど――まとめてやるには、夢瑠をとっちめる状況に追い込むのが一番いい」

「今がそうする過程だと?」

「まね。……あたしは何よりもまず、レイミーを夢瑠から引き離したかったんだよ。レイミーの方から来てくれたのは予想外だったけど、まあ好都合だわ」

「しかしこの村の中で逃げても二人が捕まるのは時間の問題じゃないか?」

「土地勘あるレイミーも一緒だし、浜吉さんは味方してくれるでしょ。あとは要っちの機転と運次第だけど……大丈夫だよ」


 自信に満ちた笑顔で、よもぎはウィンクしてみせた。


「やる時はきっとやってくれるさ。何しろこのあたしが見込んで、一番に勧誘したヤツなんだから」


 一瞬呆気に取られた顔をして、それから秋吉は首を捻る。


「御堂を信頼してないわけじゃないが……よく、わからないな。その自信の根拠が。君はいったい、どこまで先を見越してるんだ?」

「何にも。ただ、あたしは自分が選択した結果が正しかったって確信している。だから不安もないだけ」


 言い切ったよもぎの顔を、秋吉は神妙に見つめた。


「海江田。君も……実里沢玲実のように、何かを見抜く力を持っているのか?」


 あははっ、とよもぎは声を上げて笑う。


「そうだったらレイミー勧誘しようなんて思ってないよ、あたしにそんな力はない。でも、目指しているものならある。――夢の続き。夢瑠が見せてるような妄想じゃなく、絶対に自分の手で掴むって決めた子供の頃の夢の続き」

「……漠然としているな。それで自信が持てるなら大したものだ」

 

 苦笑し、秋吉はまた目を閉じた。


「だが、理屈で考えて行動するのが嫌で俺は君のサークルに入ったんだ。それなら、最後まで付き合うのが筋ってものか」

「へへっ、ありがと。面倒かけるね」

「いいさ。俺にも付き合う理由はある」


 秋吉のつぶやきによもぎは小さく頷いた。

 彼の隣に行き、同じような態勢で腰を降ろす。


「にしてもさ、お腹空かない? 夢瑠もせめて夕食食べたあとに来てくれればよかったのにねぇ」

「そうだな。酒も入っていただろうし、案外穏便に済んだかもしれん」

「あははは、それなっ」


 軽口を言い合って、よもぎは秋吉の肩を軽く叩いた。

 そして、視線を格子の外へ向ける。


「さて……正念場だぞ、要っち」


 期待を込めて、気楽な口調でそうつぶやいた。

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