長野編 2-4


「――室伏! いったいどこに行っていたのですっ!?」


 叫ぶなり、夢瑠は来るのを待たず室伏の元へ走った。


「私用だ。夢瑠、お前は何故ここに?」

「姉さんがいなくなりました! 彼らが呼び出して誘拐したに違いありませんっ!!」


 びっ、と海江田を指さし、夢瑠は確信に満ちた口調で言い切った。


「だからぁ、違うってばぁ」


 うんざりしたようにぼやく海江田。少し前に立つ犀川は、室伏の姿を見た瞬間表情を引き締めた。


「ふむ……」 


 一瞬、室伏の視線がこちらに向いた。何気ない動作だったので周りの者たちは気づかなかったが、その目は確かに僕と実里沢を捉えていた。


「――浜吉を痛めつけたのは君か」


 すぐに視線を切り、室伏は喋りながら犀川の前に出る。


「腕力自慢だったあの男がらしくもなくたいそう凹んでいたな」

「向こうから誘ってきた稽古だ。あとに残るような投げ方はしてないが」


 淡々と、しかしいつもより張りつめた口調で犀川は言う。


「傷ついたのは身体よりもプライドだな。この村では相手になる奴がおらず、お山の大将気取りだった」

「それは悪かった。――だが、人は自分の弱さを知ることで成長できるものだ。傷つくことは、そのための肥やしになる」


 睨みつけるよう見据えたまま、犀川は視線を外さない。室伏は唇を歪めた。


「くっくっくっ……そうだな。今よりも成長したいのなら、傷つくのは避けられないよな」

「室伏っ! 何をダラダラと喋っているのですっ!? 彼らが姉さんを隠してるハズですっ!! 浜吉さんの仇でもありますっ!! ――やってしまいなさいっ!!」


 まるで水戸黄門よろしく、夢瑠は声を荒げて命令した。海江田は呆れ顔だが、犀川の表情は動かない。


「だ、そうだ、小僧。玲実を出すか、お前が俺の相手をするか……どっちがいい?」

「――いいだろう」


 低く問うた室伏の挑発を、犀川は受けた。驚いたように海江田が首を向ける。


「秋吉くん、いいの?」

「ああ」


 顔も向けず、犀川は頷く。


「どうやらこの男、俺と手合わせしたいようだ。来るなら俺は断らん」

「……へぇ」


 何か察したように海江田はつぶやき、それから相対する二人を見比べて腕を組んだ。


「浜吉さんよりも厄介そうね。これは中々――面白いものが見れそうだわ」


                  ※


「……ヤバいことになってるじゃないか……」


 建物の陰から顔を覗かせつつ、僕は事態の悪化に戸惑っていた。

 犀川が室伏の挑発に乗ったのは予想外だった。いつも冷静なあいつらしくない。そして案の定、海江田はそれを止めもせず面白がっている。

 このまま荒事になれば、どっちが勝ってもより夢瑠との溝を深めることになるだろう。


「もうこうなったら今からでも出て行った方が……」


 何故室伏が僕らのことを言わなかったのかは謎だが、今実里沢の姿を見せて精一杯言い訳すれば、両者の争いは止められかもしれない。

 僕らに対する怒りはともかく、夢瑠の目的は実里沢なのだから。

 

「待って」

 

 ――そう思って飛び出そうとした僕の肩を、実里沢が掴んだ。


「っ! ……どうしてだよ実里沢? また話はこじれるかもだけど、このまま二人を戦わせるよりはマシだろ?」

 

 実里沢は首を振った。

 何だよ、もしかして君もあの二人のバトルを見たいのか――と言おうとしたところで、実里沢の瞳が琥珀色に輝いてることに気づき、僕は黙った。

 暗くなったことで初めて気づいた。この目の光は、見鬼の……?


「ずっと待っていたものが、やっと動きだした……止めたらダメ」


 抽象的な表現が何を意味するのか、僕には理解できなかった。

 だけど実里沢の声は真剣で、譲れない何かがあることが、彼女の震えから伝わってきた。


                  ※


 それ以上の会話は必要なかった。

 一歩、犀川が左足を前に出し、両拳を顎の高さに上げたファイティングポーズを取ると、室伏は周囲の者に下がるよう手を払った。


「室伏――」


 言いかけた夢瑠に目線で答える。開いた口元を結んで頷き、夢瑠は連れてきた男衆と共に下がった。

 海江田は腕を組んだまま犀川の背を見つめている。顔に浮かぶのは不敵な笑み。胸中にあるのは犀川への信頼か、はたまたただの好奇心か。

 場が整ったのを見て、室伏は脱力するようにだらりと手を下げた。ノーガードのまま、ゆらりと犀川の左に回る。


「――――ッ!」


 間合いに入るや犀川は素早く左脚を抱え込み、高い蹴りを放った。顔を引き、室伏は寸での所でそれをかわす。追撃。ついた左足を軸に、身体を半回転させての右うしろ蹴り。流れるような動作で室伏はこれもいなす。

 一回転して元の態勢に戻ったところで、犀川はガードの左手を長く伸ばした。開いた距離。室伏の構えは変らない。

 一拍の間。次の瞬間、沈み込むような歩法で室伏が間合いを詰めた。反応し、犀川は左の前蹴りを放つ。右手でそれを受け流し左の縦拳。犀川が防御に回した右の掌、弾けたような音が響く。


「しっ!」


 引き手と同時、室伏は左脚で胴への回し蹴りを放っていた。右の肘で受けた犀川は僅かに顔をしかめる。蹴った足を着き、顔面への右肘。犀川は左腕でガードして右の膝蹴りを打つ。――が、室伏は背後に跳んでいた。



 再び距離が開く。一度、犀川は大きく深呼吸した。唇の端から血が滲んでいる。右肘。ガード越しでもダメージはあったのか。


「顔面への攻撃は不慣れか。フルコンタクト空手の経験者かな」


 手を下げた無防備な構えのまま、室伏は言った。


「技の精度は悪くない。だが、足技に頼り過ぎる癖があるな……接近戦は苦手か?」


 意外にも饒舌に、室伏は低い声で語りかける。犀川は答えない。じっと相手を見据えるだけだ。


「空手の試合じゃ綺麗な組手をするんだろうな、お前は。反応はいい、受けてからの攻めも悪くない……だがな」


 言葉を止め、室伏は凶悪に表情を歪めた。


「えてして、そういうヤツは自分の形を崩された時に脆いものだ……!」


 告げた直後、室伏は動いた。ゆらりと右へ。犀川の視線がついてきたところで、進路を変えて正面から迫る。


「ッ!」


 犀川の左前蹴り。だがそこに室伏の姿はない。見失った。犀川の顔に動揺が走る。


「正面からの相手には牽制の左前蹴り――それしかないのか?」


 地面に尻が付くほど深くしゃがみ、室伏は犀川の蹴りを避けていた。視線を泳がせ死角を作り入り込む。周囲から見れば室伏は犀川の右前で屈んだだけだが、放った蹴り脚が邪魔をして、犀川からは一瞬姿が消えて見える。

 この男……相当戦い慣れしている。犀川が左の蹴りを放つと読んだ上で、しゃがむのにも迷いはなかった。


「しゃっ!」


 間を置かず下から上へ。伸び上がる動きで放った室伏の掌底が、犀川の右わき腹を抉る。


「――――ッ!」


 目を見開き、犀川は口から息を吐き出した。


「終いだッ!」


 体勢が崩れくの字になった犀川の顎に、室伏の膝が叩きこまれる。

 一度首を上に跳ねさせ、それから犀川は糸の切れた人形のように地面に落ちた。


                  ※


「――秋吉くんっ!!」


 海江田の叫びで僕は我に返る。倒れた犀川の元に彼女は駆け寄っていた。

 静止し、室伏は二人を見下ろしている。

 表情に勝利の余韻はなく、目をすがめ口を一文字に閉じている。


「ふふ、ふふふっ……あははははっ!! ――どーですか! 室伏の実力はっ!! わたしたちの完全勝利ですねっ!!」


 代わって勝ち誇った哄笑を飛ばすのは夢瑠だ。

 そちらを見みもせず、海江田は犀川の頬を二、三度軽く叩いた。小さく呻いて犀川が目を開く。


「意識はあるね。あたしが誰だかわかる?」

「……海江田。俺は」

「動かなくていいよ、大丈夫だから」

「……すまん」


 つぶやいて、犀川はまた目を閉じた。


「軽い脳震盪だ。少し休んでいれば動けるようになる」


 低い声で室伏が言った。その横に夢瑠が進み出る。


「さあ! それじゃあ姉さんの居場所を教えてもらいましょうかっ、海江田よもぎっ!!」

「……しつこいなぁ、いい加減」


 いつになく苛立った声でつぶやき、海江田は夢瑠を睨みつけた。


「最初っからねぇ、あたしはレイミーがどこにいるかなんて知らないって――」


 その視線が夢瑠の背後、稲村亭の物陰から覗いていた僕と合う。

 海江田は一瞬目を丸くし、そして唇を歪めたかと思うと、すぐに――


「――逃げてっ! 要っち!!」

 

 唖然とする僕を煽るよう、そう叫んだ。

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