長野編 2-3


「――ありがとう。少し外してくれる? 室伏」

「ああ」


 実里沢の言葉を受け、室伏はのしのしと稲村亭の表玄関の方へ歩いて行く。彼がいなくなるのを待ち、実里沢は口を開いた。


「……ごめん。呼び出したりして」


 言って、頭を下げる。


「いや、それは別にいいんだけど……」


 首のうしろに右手をやりながら、僕は困惑する。

 実里沢の恰好は膝丈のショーパンにカジュアルなパーカー。ややクセのついた髪は内向きに垂らしており、ヘッドフォンこそ付けていないものの、大学にいた時と似たような恰好だ。口調もそれに応じてか砕けたものになっている。


「何の用かな、僕に?」


 視線を一度宙に彷徨わせ、それから実里沢に戻して僕は訊ねる。

 顔を伏せ、実里沢は躊躇うようにしばし間を置き、それから上目遣いの目を僕に向けた。


「御堂……だったよね。あんたに伝えておかなくちゃならないことがあるんだ。今日の見鬼で見たことで」


 相変わらず僕の名前はうろ覚えなのか……。

 若干ショックではあったが、今はそれはどうでもいい。

 見鬼で見たことって。


「実里沢が見たのは海江田だろ? だったら、あいつに言った方がいいんじゃないのか?」

「……ウチは、自分で見るモノを選べない」

 

 ゆっくりと、実里沢は言葉を確かめるように言った。


「それは今憑いているモノだったり、過去の出来事だったり、或いは未来の映像だったりする。そこで受けた印象から、ウチは相手の吉兆や精神状態を推し量ることができるんだ。……だけど、この力は感覚に依るところが大きい。感じた印象をどう表現したらいいのか、その言葉をウチは持っていない」


 口惜しそうに、実里沢は唇を噛んだ。


「――だから、それまで代々の巫女が見鬼で見えたモノをどう捉えたのか、どういう兆候と判断したのか、それについて学んだ語り部が必要になる」

「それはつまり……実里沢の家系の、ってこと?」

「そう。ウチの家系で見鬼の力を持って産まれた者は、この地で巫覡として崇められ、それに対する語り部を親族の者が務めた。見鬼で見たモノが何を表すのか――それを記録し記述した文書は、うちの倉に保管されているんだ。ウチが村を出ていた五年間の間に夢瑠はそれを読み漁って、語り部としての知識を得ていた」


 産まれついて特殊な力を持つ者とその補助者。しかし、間接的に見鬼の力を〝言葉〟として伝える分、むしろ語り部の方が影響力は強いのかもしれない。

〝言霊〟とでも言おうか……。もちろん相応の話術は必要なのだろうが。


「でも、夢瑠はお祖母ちゃんから語り部としての役割を託されたワケじゃない。むしろお祖母ちゃんは、自分の代で巫女と語り部を中心に据えたこの村の在り方を終わりにしたかったんだと思う。昔から住んでいる人は老いてゆき、若い人は出ていって……村の先が長くないことを、予想していたんだ」


 実里沢は一度喋るのを止め、複雑な表情をした。

 感情を飲み干すよう間を取り、そして僕を見る。


「お祖母ちゃんが亡くなって、ウチは村を出ていくことにした。東京には憧れがあったし、しがらみや古い繋がりが続くこの村に飽き飽きしていたんだ。……でも、夢瑠は違った。ウチが村を出てゆくことに反対して、自分はずっと残るって主張した。夢瑠はこの村に来ることなかったんだ。見鬼の力も持っていない普通の子供だったんだから。だけどウチと離れるのを嫌がって一緒にこの村に来て暮らしていた。夢瑠はお祖母ちゃんっ子だったし、この村のことを好きだったんだと思う。だから、ウチが村を出ることも裏切りのように感じたのかもしれない」

「実里沢のご両親は、何か言わなかったのか?」

「……お父さんとお母さんはウチたちにそれほど関心なかったからね。共働きだったし、仕事が大事な人たちだった」


 自嘲と冷めた響きを込めて、実里沢は言い捨てた。


「ウチが東京に戻るって伝えた時も、住む場所は用意してくれたけど積極的に干渉しようとはしなかった。仕方ないのかもね。十年近く離れて暮らしてきて、今さらどう関わっていいのか、わからなかったんだと思う」

「……ごめん、変なこと訊いて」

「いいよ。ウチから喋り始めたんだ。誰かに聞いてほしかったことでもある」


 実里沢は少し表情を和らげた。


「でも……何で僕に? こう言っちゃ難だけど、君を必要としているのは海江田で、一番心配しているのは犀川だぜ。僕は……何ていうか、成り行きでここまでついて来ちゃったっていうか……」

「わかってる。あんたとウチは似ているところがある。自分の意志じゃなく、周りに流されてしまうトコロ。だからこそ、あんたには知っておいてもらいたいんだ」


 じっ、と僕を見据え、実里沢は真剣な表情で言った。


「これからそう遠くない未来、あんたはある場所で長い時間を過ごすことになる。それは気が遠くなるくらいの間……そこは居心地が良くて、囚われた空間。あんたにとってそこにいるのは楽かもしれないけど、忘れないでいてほしい」

「……何を?」

「あんたを、待ってる人がいるってこと」


 突拍子のない予言のような言葉に、僕は何と返せばいいのかもわからず呆然とした。しかし、実里沢が僕に向ける眼差しは本気だ。本気で僕を心配し、このことを伝えに来てくれたのだろう。


「ごめん……わかりづらくて。でも、これは夢瑠には語れない」


 気まずそうに目を逸らし、実里沢は謝る。


「いや……よくわからないけど、わかったよ。君は僕にそれを伝えるために来てくれたんだよな?」

「まあ……そう」

「ありがとう。実里沢も優しいよな」


 実里沢は大きく目を見開き、それから頬を紅くし、そっぽを向いた。


「もう少し素直になって、その優しさを見せれば犀川とも仲良くなれるんじゃないか?」

「っ! ウチは別に、あんな奴のこと……!」


 わかりやすくツンデレ反応をする様子が妙に可愛く、ついからかうようなことを言ってしまった。こちらを睨む実里沢に謝ろうと思った瞬間、表玄関の方で切り裂くような声が上がった。


「――海江田よもぎ! 出てきなさいっ!!」


 よく通る高いその声は、実里沢の妹――夢瑠のものだった。


 建物を周り稲村亭食堂の表玄関へ向かう。曲がり角の陰に身を隠し、僕と実里沢は顔だけを覗かせて様子を窺った。


「いるのはわかってるんですよぉ! 姉さんを返しなさいっ!!」


 巫女服姿の夢瑠と、そのうしろに彼女が引き連れてきたらしい五人ほどの男衆。息巻く夢瑠の表情は怒りに震え、ただならない事態であることは一目でわかる。


「――まったく騒々しいねぇ……そんなに怒鳴らくても~聞こえてるってぇ~」


 暢気な声と共にガラガラと引き戸が開かれ、海江田がゆったりと姿を見せた。服装は浴衣ではなく白地に変な絵が描かれたスェットと紺のズボンというラフな恰好で、面倒くさそうなのを隠そうともしていない。


「いったい何の用よ? あたしらこれから夕食なんだけど」

「白々しい! 姉さんはどこですっ!?」

「レイミー? ここには来てないよ」

「嘘を言いなさいっ! 屋敷の中にはどこを探してもいませんでしたっ!! 陽が落ちたあとじゃあ山の中に足を踏み入れるはずもないしっ!! ――となると、あなたたちが攫ったぐらいしかもう心当たりはありませんっ!!」

「ひどい濡れ衣だな~。何の証拠もなしにぃ」


 嘆息し、海江田はぐるりと首を回した。


「何でそんなコーフンしてんのかは知らないけどさぁ、夢瑠ちゃん気づかないフリをしてるだけで実は思い当たるフシがあるんじゃないの? 例えば――」


 ポンポンと自分の肩を叩き、ふっと笑って夢瑠に目を戻す。


「粘着質なシスコンの妹に愛想尽かして、また家出したとか?」

「っ! そんなワケ――!!」

「海江田」


 激昂した夢瑠が声にならない怒声を上げかけたその時、海江田の背後、稲村亭の入り口からぬっと大きな人影が出てきた。


「挑発するようなことを言うな」

「あれ、秋吉くん。もうお風呂出たの?」

「声が聞こえた。入る直前だったので様子を見に来たんだ」


 ジャージ姿のまま、犀川は淡々と言った。


「要っちは?」

「食堂に行って、先にこっちへ来たと思ったが見てないか?」


 犀川と海江田は揃って顔を夢瑠へ向ける。


「――んなこたぁ知らないですよっ! わたしはっ!! それよりお姉ちゃんですっ!!」

「だから~あたしらも知らないってばぁ~」


 ぺっぺっ、と海江田は鬱陶しそうに手を振る。夢瑠の額に青筋が走った。


「そうですか……そっちがそういう態度でしらばっくれるなら、こっちも実力行使でいきますよ?」


 夢瑠の言葉に、彼女のうしろに控えた男衆が殺気を放つ――が、犀川が一歩前に進み出たところで、途端彼らの顔に怯えと動揺が浮かんだ。


「……? どうしたんですかっ、皆さんっ!!」

「その人たち、秋吉くんと浜吉さんの十番稽古見てたんでしょ? そりゃ大将があんだけ一方的にこっぴどくやられればぁ、腰も引けるよねぇ~」


 意地悪く言う海江田に男衆は非難の視線を向けるが、それ以上の行動には出られない。浜吉さんは男衆の中で中心的な存在だった。その浜吉さんを圧倒した犀川には、おいそれと手が出せないのだろう。


「~~~~ッ! あなたたち! それでも光和会の親衛隊ですかっ!!」


 怒鳴り散らす夢瑠の声にも、男衆たちは気まずげに顔を逸らすだけだ。


「……どうやら、手荒いことにはなりそうにないな……」


 出るタイミングを失い静観していた僕と実里沢は、状況が停滞したことにとりあえず胸を撫で下ろした。


「これなら、出て行っても面倒にならずに済むんじゃないか?」

「……うん」


 頷きつつも、実里沢は不安そうだった。


「でも……夢瑠かなり興奮してる。もしウチがあんたに会いに来た理由を知ったら、余計にこじれるかも」

「あー……そうかぁ……」


 今や夢瑠は海江田のことを――いや、マヨイガ探索隊である僕らのことを完全に敵視している。下手に僕と実里沢が一緒に表れたら、また余計な誤解を生むことになるかもしれない。


「……よし。それじゃあ日和見的な手段ではあるが、もう少し様子を見てから実里沢が一人で出て行って――」

「っ!」


 僕が安全策を口にしかけたところで、突然実里沢は険しい表情を浮かべ、夢瑠達の方に注目した。


「室伏……」

「え?」


 その名に引きずられるよう目を戻すと、男衆の間を割って、黒スーツの男が夢瑠に近づいていた。

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