長野編 1-7


「……気に入らないな」


 集会からの帰り道、稲村亭へ戻る道を先導して歩いていた浜吉さんが、不意に口を開いた。


「なーにがですかぁ?」


 不機嫌そうなその態度に、返す刀で海江田は挑発的に言う。


「――わからんか? よそ者のあんたがおらたちの集会で出しゃばったことだ。夢瑠に恥かかせるような真似までして……何が目的だったんだ?」

「そんなつもりはなかったですよー。あたしはただ、レイミーが見えたモノに心当たりがあって、説明される必要もなかっただけです」


 立ち止まって振り向くと、浜吉さんは太い眉を逆ハの字にして海江田を睨んだ。海江田も負けじと胸を張り、怯まぬ姿勢でその視線を受け止める。


「そして、思ったことを言っただけです。〝夢瑠ちゃんは事前に相談に来た人のことを調べてあったんじゃないの? あなたを支持する取り巻きの若い衆を使って〟――って。そしてそうやって得た情報をレイミーが見鬼で見たモノに擦り合わせて、いかにもそれらしい解説をしてみせた」

「……狭い村だ。情報の回りが早いのは不思議なことじゃない」

「でも、個人的な事情にまで深入りして知っている人は少ないんじゃないですか? なまじ隣人との距離が近いだけに。この村から出て行った家族の動向とか、その人の過去の思い出とか……そりゃよっぽど親しければ知ってるでしょうけど、夢瑠ちゃんぐらいの歳じゃあ今日相談しに来た人たちとは世代が違うでしょ」

「何が言いたい」

 

 声を落とし、呻くように浜吉さんは問いかけた。


「別に。そんな真似して、いったい何になるんだと思うだけです。あたかも見鬼で得た情報からすべてを見抜いたフリをして、それに感応する相手を慰めて」

「相談に来た人が、それで救われるんならいいじゃねぇか……」


 絞り出すように吐いた浜吉さんの言葉を、鼻で笑って、海江田は首を振った。


「救うだけなら、ただの悩み相談でいいじゃないですか。カウンセリング的な。夢瑠ちゃんには正直そういう才能はあると思いますよ、皮肉じゃなくね。……あたしが引っかかるのは、それがさも特殊な力の効果であるように見せかけている演出です。あれじゃあ一歩間違えば新興宗教の洗脳じゃないですか。見鬼の力を持つレイミ―を神輿扱いして教祖の立場に着かせ、〝相談〟で得た信頼をもってして、村の人々に新しい光和会の意義を浸透させる。――でも、それに何の意味があるんですか? 過疎化しているこの狭い村の中で信仰を集めて住民を信徒にして……そんなことで本当に、この村が復興できると思っているんですか?」

「……っ!」


 真直ぐに浜吉さんを見つめて、海江田は言い切った。

 たじろぎ、浜吉さんは苦虫を噛んだように顔をしかめる。


「実際のところ、あたしにはあなたたちが自分たちの都合のいい妄想に酔っているようにしか見えないわ。村を立て直そうにもどうすればいいかわからないから、夢瑠が示した希望に縋りついて、それを盲目的に信じて操られて――自分の頭で考えることを放棄してね」

「――だ、黙れっ!」


 顔を真っ赤にした浜吉さんが、突然ぐいっと右手を伸ばした。海江田に向かったその手は、しかし彼女の前に走り出た犀川に掴まれた。


「……海江田、今のはお前の言い方が悪い」


 プルプルと微動する浜吉さんの腕を掴んだまま、彼の顔から目を離さずに犀川は言った。

 そうかな? とつぶやき、海江田はそっぽを向く。


「彼女の不躾な言い方には謝ります。だが、手を出すのは良くない」


 淡々と言う犀川を、浜吉さんは歯を食いしばり睨んだ。表情には怒りと困惑が入り混じっているように見える。


「っ……離せよ。もう何もしねぇ……」


 やがて彼がつぶやくと、犀川は掴んでいた手を広げた。


「ふん……都会もんのクセに、そこそこ腕力あるみたいじゃねぇか」

「秋吉くんはウチのサークルで荒事担当なのよ。もう一人の男子が体力関係弱いからねぇ」


 ニヤリと笑い、海江田が横目で僕を見る。

 腹立たしいが反論はできない。浜吉さんが動いた時、僕はまったく反応できなかった。

 ……反応できたところで、この身体の差じゃへし曲げられていただろうが。


「そんな役に付いた覚えはないが」


 迷惑そうにぼやいて、犀川は一瞬海江田に目をやり、あらためて浜吉さんと相対した。

 大柄な体躯同士の対峙。見る者を自然と圧迫してくる。互いの手が届く距離である間合いの空間には、殺伐とした空気が渦巻く。


「なるほど、荒事担当か。確かにガタイもいいし気迫もある。――そんならおめぇ、おらたちの稽古に付き合ってみねぇか」


 唇を曲げて笑みを作り、浜吉さんはそんな誘いを言い出した。


「稽古?」


 海江田が首を捻って訊ねる。


「この村じゃあ祭り時の神事の際、神前相撲を取るのが代々の習わしなんだ。村でもっとも強い二人が取り組するんで、その時に向けて若い衆は日々稽古している。今日も午後からやっから、おめーに来る度胸があるなら参加しろや」

「相撲稽古ね、面白そうじゃないっ!」


 犀川でなく、何故か海江田が前に進み出て答える。


「いいわっ! 受けて立ってあげるっ!!」

「お前が言うのかよ……」


 仁王立ちで腕を組む海江田に僕は小声でツッコむ。犀川は無表情だ。


「ふん、威勢がいいなぁ。ちなみにここ五年、おらは毎年祭りじゃ負けなしずら。釣り合う相手がいなくてつまんなかったところよ。――せいぜい、楽しませてくれるよう期待してらぁ」


 歪んだ笑みを浮かべ、浜吉さんは嘯く。

 横幅が広く、脚が短くて腰が低い浜吉さんは確かに組技が強そうだ。立ち技体型の上背がある犀川では不利かもしれない。


 ……だが。


「胸を借ります。相撲稽古も、たまには悪くない」


 躊躇う様子も見せず――どころか微笑すら浮かべて、犀川はそう返したのだった。


                  ※


 ――わけがわからなかった。

 あの女の見透かしたセリフ。それを肯定するような姉の態度。

 煽られて、あのままあそこにいれば取り乱していたかもしれない。だが、室伏が表れて場を閉めてくれたのでひどい醜態は見せずに済んだ。

 ……しかし、今日来た相談者たちの間には微妙な感触が残っただろう。

 すべてが順調だった。今日という日、光和会の活動を再開する日に向けて準備万端で臨んだはずだった。


 なのに、あんなイレギュラーが起こるなんて……。


 自室にて、夢瑠は耐えきれずちゃぶ台に拳を振り降ろした。ドンっ! という音が響き、それで昂った気持ちはいくらか鎮まる。

 しかし、まだ頭は冷えていない。怒りと後悔――滲み出る感情が入り混じり、夢瑠の内心を落ち着かない気分にさせる。

 閉会後、玲実は何も告げずに自分の部屋に籠った。結局よもぎから見たものを夢瑠に言おうとはしなかったのだ。それが夢瑠の苛立ちに一層の拍車をかける。

 姉の一番の理解者は自分だ。何か気にかかることがあるのなら、つぶさに自分に語って欲しい。あの時のようにすべてを胸の内に秘め、離れていくようなことはしないで欲しい。そのために努力をしてきたのだから。

 若い衆の信頼を得て、人の気を惹く語り口を学び、姉の横に立てる語り部を目指して、そうなった。かつての祖母のような存在に。


 そうなった――ハズなのに……!


 再び、込み上げてきた衝動を堪える。大きく息を吸い、荒い呼吸を整える。

 冷静にならねばならない。感情に身を委ねれば見えるものも見えなくなる。

 祖母のように落ち着き払い、冷たい目で事の本質を見定めるのだ。

 玲実が持つ見えないモノを見る目は自分にはない。――だからせめて、自分は見えるものをよく見据え、見えた以上のことを語らねばならない。

 それができるから、わたしは姉の横にいる資格があるのだ。


「――開けていいか?」


 襖の向こうから室伏の声がした。夢瑠は鼻を啜り、腹に力を入れる。


「……ええ」


 襖が開き、黒スーツ姿の室伏が姿を見せる。背を向けたまま、夢瑠はその気配を感じていた。


「気分はどうだ?」

「大丈夫です。もう落ち着きました」


 嘘であっても、そう言っていれば自然と気分は落ち着いてくるものだ。

 言霊とはそういうものだと、祖母はよく言っていた。


「そうか。――初めてにしては、まあ悪くない出来だった」

「ふっ……最後のがなければね」


 自嘲じみた笑いと共に、そんな言葉がついて出た。室伏は黙っている。 

 夢瑠は振り向いて室伏を見た。


「ねぇ室伏。姉さんは、あの女にいったい何を見たのかしら。どうして口に出して言わなかったのかしら。……あの女は、姉さんが見えたモノがわかっているようだった」

「見鬼は憑いているモノに限らず、本人の過去や未来に依るものも見える。思い当たるフシが彼女にはあったんだろう」

「そんなことはわかってる。わたしが言いたいのは、何で姉さんがそれをわたしに言わなかったのか……ってこと」


 唇を噛み、夢瑠は腹立たしげに言った。


「あの時の姉さんとあの女は、まるで自分たちにしか理解できないことを見つけたみたいだった。共感し、共有できる特別なモノを、見つけたようだった……」

「必ずしも見鬼で見えたモノを告げることが本人を救うとは限らん。だから、頼子も言葉を選んだ」

「――だから何っ!? わたしには教えてくれてもいいじゃないっ!!」


 飛びつきそうな勢いで、夢瑠は室伏に叫んだ。


「どうして何も言ってくれないの? 何でわたしのことを見ようとしないのっ? これじゃあ、昔みたいに……」


 消え入りそうな声でつぶやき、夢瑠は言葉をつまらせた。室伏は首を横に振る。


「それは、俺にはわからない」


 低い声の返事を聞いて、夢瑠は視線を伏せた。


「……そうよね。わかるわけないわ。姉さんのことは、わたしが一番理解しているんだから」


 自分に言い聞かせるよう囁き、夢瑠はふーっと深い息を吐いた。

 そして平静さを取り戻した表情で室伏を見上げる。


「もう下がって。姉さんのことをお願い。――それから、あの連中には監視役をつけておいて」

「すでに浜吉が動いているようだ。面倒なことはするなと言ってあるが」

「いいわ、もう……」


 声はつとめて冷静に――しかし、瞳の中には嫉妬の炎を燃やし、夢瑠は言い捨てた。


「穏便に言ってもわからない人たちなら、多少壊してやるのも、ね――」

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