長野編 1-6


 夢瑠の挨拶が終わると、村人たちはおもむろに部屋の中央を空けるよう移動し、年寄りに若者が付き添い、実里沢と対面する〝相談〟が始まった。

 円状に開けたスペースを周囲の者たちが囲み、中心に二枚の座布団が敷かれ実里沢に相談する年寄りが向かい合って座る。年寄りの傍らには若者が、実里沢の横には夢瑠が座す。

 部屋の移動の段となったところで実里沢は初めて僕らに気づいたらしく、こちらを見て驚いた顔をしていた。が、海江田がにっと笑って手を振ると、すぐに視線を逸らしてしまった。


「あらら、素っ気ない」


 そうつぶやいたものの海江田は気落ちする様子もなく、これから始まる〝相談〟に好奇心を寄せているようだった。


「……では、お願いします」


 円の中心で若者が言うと、白髪の老婆はゆっくりと頭を下げた。実里沢は小さく頷き、相対する老婆を睨むように見据える。

 〝見鬼の瞳〟。常世を覗き見る目は異界のモノを見抜き、過去や未来、胸の内までをも見透かしてしまう。

 もっとも実里沢は見たモノにより起こる現象を完全に理解できるわけではないようだが。


「……竹林……そこから顔を出す子供たち……祭囃子がかかっていて……」


 身を引き、実里沢は老婆の背後にあるモノを追うように視線を上へ動かした。


「……吉村さんのうしろに、女性がいる……白装束を着た、あなたとよく似た女性が……」

「……! あぁ……そうですかぁ……!」


 吉村、と名前を呼ばれた老婆は合掌し、小さい声で繰り返し何か言っている。若者が「おばあちゃん」と慰めるように言って背中を擦った。


「わたしが気づけなくてねぇ……ごめんねぇ……何にもできなくてねぇ……」


 嗚咽を交えながら、吉川老婆は必死に両掌を擦り合わせている。そうすることで苛む苦悩を擦り減らそうとしているかのように。


「――吉村さんは先日、妹さんを亡くしたのでしたね。娘夫婦は松本で、死に目に会えた人はいなかったとか」

 

 トーンを抑えた声で、実里沢の横に鎮座する夢瑠が口を開いた。


「最初に見えたのは神社祭の思い出でしょうか。吉川さんや、うちの祖母が若かった時分には他村との関りも深く、祭行事を共催したとも聞きます。あなたの心は、その頃の楽しかった記憶に囚われているのですね。……恐らく、妹さんと廻ったことが印象に残っておられるのではないですか?」


 そうです、そうですとつぶやいて、老婆は何度も頭を垂れる。それを認めて、夢瑠は顔を実里沢に向けた。


「姉さん、妹さんはどんな表情をしています?」

「……笑ってる……穏やかに、笑ってる」


 実里沢の言葉に夢瑠は頷き、立ち上り、吉川老婆の前に行って腰を落とした。


「吉川さん。妹さんは、自分のことであなたに後悔してもらいたくはないのです。むしろあなたには感謝しているはずです。この村で一緒に過ごし、終わりの時を迎えられたことに」


 老婆の肩に手を置き、夢瑠は二度三度優しく撫でる。


「だからあなたも、妹さんの喪失を受け入れてあげてください。妹さんは〝ここ〟にはいなくなったけど、いつでもあなたと共にあります。あなたがあちらに行く日まで、ずぅっと見守っています。彼女が望むのは、それまでの日々をあなたが心穏やかに過ごすことです」

「そうですぁ……そうですかぁ……」


 零れる涙を拭い、老婆は夢瑠の手に支えられて身体を起こした。


「ありがとうございます……これで、わたしも救われます……」

「お力になれて嬉しいです。いつでもわたしたちはあなたの味方ですよ」


 囁き寄り添う夢瑠の姿はまるで聖母の一枚絵のようだ。些か幼くはあるが、滲み出る包容力は十代少女のそれには見えない。

 息をつき、僕は視線を実里沢に移すと、彼女は夢瑠が吉川老婆を介抱する様子をじっと見つめていた。

 そこにある〝何か〟を見極めるように――厳しい表情を浮かべていた。


 相談は続き、年寄りたちを〝見た〟実里沢は抽象的なビジョンを告げていく。夢瑠がそれを解説し、理解した相談者はいたく納得したり、はたまた感激を堪えきれない反応をしていた。


「たいしたもんだなぁ、夢瑠ちゃんはぁ。あの喋り方はまるで頼子さんの生き写しだぁ」

「んだねぇ、さすがお孫さんなだけのことはあるだに」


 僕らの近くで眺める年寄りは嬉々としてそんなことを語っている。

 来ているすべての年寄りが相談をするわけではないようで、相談者は一ヶ所にまとめられ、若い衆が順番に付き添って連れ出している。


「……さて。今日はこれで全員でしょうか」


 十人目の相談者が取り囲む人の輪に戻ったのを見て、夢瑠は顔を上げて周囲を見回した。隣では実里沢がふう、と息をついている。

 大分疲れている様子だ。常人に見えないモノを見るという行為は、精神的に結構消耗するのかもしれない。


「では、本日の集会はそろそろお開きということに――」

「はいはーいっ! あたしも見てもらっていい?」


 閉めに入ろうとした夢瑠の声を遮り、空気を割るような高い声が響いた。発生源は僕の横、言わずもがな海江田である。


「……相談者は、事前に人数を決めてある。急な参加は受けてねぇぞ」


 浜吉さんが立ち上り、咎めるような目で海江田を見た。


「そうなの? まーもう一人くらい、いいじゃん。ねぇレイミー? 同じサークルのよしみでさ」


 にっ、と馴れ馴れしく笑って言う海江田に、周りの年寄りや若者が注目を向けた。特に若者たちの視線には、敵意じみた警戒心が滲み出ているように感じる。


 ……嫌な雰囲気だ。当の海江田は気にしていないが。


「――いいでしょう」


 答えたのは夢瑠だった。自信に満ちた顔で海江田を見つめ、色めき立つ若い衆に収まるよう軽く手を振る。


「あなた方は姉さんのお友達ですしね。――皆さん、彼女たちは都会からわざわ姉に会いに来てくれたのですよ。実に友情に篤い人たちですね」


 夢瑠がわざとらしく付け加えた紹介を聞き、海江田は皮肉気な笑みを見せた。犀川は無表情だ。


「姉さん、大丈夫ですか?」


 身を近づけ、夢瑠は実里沢に訊く。


「わたしはいいけど……でも夢瑠」

「姉さんの力をわかってもらうには直接見てあげるのが一番です。大丈夫、わたしが伝えますから」


 実里沢の二の腕に触れて、夢瑠は力強く頷いた。


「へへへっ、じゃあお願いしようかなっ」


 言って、海江田は人の輪から抜け出ると実里沢と夢瑠が座る中心へ行く。僕と犀川もそのあとをついて、彼女の少しうしろに座った。


「レイミーの見鬼、実際やってもらうのは初めだね。――どうぞよろしくお願いします」


 正座し深々と一礼した海江田に、実里沢は少し気まずそうに会釈した。

 そしてこれまでしてきたように、じっと、睨むように海江田を見据える。

 ふと夢瑠を見ると幾分緊張した表情をしていた。自信満々で海江田の申し出を受けた割に、今までのような余裕がない。


 ……ここまで十八歳とは思えない仕切りっぷりだったが、やはり彼女もイレギュラーな事態に警戒しているのか……。


 何となしにそんなことを考えていると、実里沢が喋り出した。


「……屋敷……大きな屋敷だ……庭も広くて、整えられている……厩舎があって、馬もたくさんいる……」


 海江田は微笑を浮かべて実里沢の言葉を聞いている。生唾を呑み、僕は二人を見守った。


「……縁側に二人……人がいて……一人は長い髪の毛……髭も長くて……老人か……? もう一人は子供で……これは……」


 言いかけて、実里沢ははっとしたように目を大きく開けた。

 そこに何か思いもよらぬものを見つけてしまったとでもいうように。


「え……あんたは……どうして……?」

「姉さん、どうかしましたか?」


 実里沢の様子の変化に、焦れた夢瑠が横から口を挟む。海江田は微笑を浮かべたままだ。


「あんたは……どうやってそこに……あ」


 実里沢は目の焦点を海江田の背後に合わせた。そこにいるのは僕だ。

 しかし――彼女の目に映っているのは、この世界にはない別の〝何か〟なのだろう。


「……そんなことが……」


 呆然とつぶやき、実里沢は海江田に視線を戻した。


「何が見えたのかな、レイミー?」


 海江田の反応は飄々としたものだった。

 まるで実里沢が見たモノがわかっていたかのように。


「何か、めずらしいモノでも見えた?」

「……そうか。だから……」


 納得したようにつぶやいて、実里沢は顔を俯かせた。


「何が見えたんですか? 姉さん」


 苛立ったように、夢瑠が実里沢の肩を掴む。二人の間で行われているやり取りが気に入らないようだ。


「言ってください。そうすればわたしがわかりやすく――」

「夢瑠」


 夢瑠に顔を向け、実里沢は言葉を遮った。


「見えたすべてのことを相手に伝える必要はないんだ……その人が、自分で見つけなきゃ意味のないものもある」

「……! どういう意味ですか?」

「聞いたところで、あなたが〝語る〟のは無理ってことよ。夢瑠ちゃん」


 ウィンクして、海江田は狼狽する夢瑠に言い放った。


「あたしを納得させられるのは、知ったかぶったような他人の言葉じゃなく、自分で行動して得られた結果だけなのさっ」

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