長野編 1-5

 知らない場所だと大抵寝つきが悪いのだけれど、疲れていたせいか、その晩僕は熟睡できた。

 翌朝――朝食を摂ったあと泊った部屋でダラダラと過ごし、正午を過ぎた頃に、その男は部屋を訪ねてきた。


「あんたらが東京から来た玲実の友達かや」


 短く髪を刈りこんだ、大柄な男は愛想もなく言った。

 眉が太く肌は浅黒く、犀川ほどの身長はないが身体の厚みでは勝っている。ベージュの大きめのズボンに白のTシャツ。首には麦わら帽子をかけている。

 ……ぱっと見老けて見えるが、それは焼けた肌や無造作な髪型のせいで実際は僕らとそう変わらないのかもしれない。


「……そうだけど。ノックもせずにどなた?」


 畳に寝そべっていた海江田が、むくりと起き上がって答える。


「おめぇら寄合所の集会に行くんだろう。連れてってやるようおかあに頼まれた。おらと一緒に来い」

 ぶっきらぼうな口調で、僕らを睨むように見て男はそう告げた。


                  ※


「おらは浜吉。稲村亭の長男だ」


 昨日来た畑道を辿っていると、先を行く男はようやく自分の名前を名乗った。あとに続く海江田が彼の大きな背中を見上げる。


「浜吉さん、お歳は?」

「二十五だ」

「へぇ~、意外とお若いですねぇ」


 決して好意的とはいえない態度にも臆せず、海江田は率直な感想を述べる。歩きながら浜吉さんはこちらを振り向く。


「レイミーとは当然お知り合い?」

「ああ。幼馴染だ」


 人口自体も少ないのだろうが、昨日見た限り、この村に住んでいる人の年齢は高めのようだった。農作業をしている人も初老以上の人しか見かけなかった。

 若者、といえる歳の村人には玲実と夢瑠を除き初めて出会った。ただでさえ数が少ないのだ。近い年齢の子供は自ずと仲良くなるのだろう。


「そうなんですかぁ。この村ってずいぶん高齢化が進んでるようですけど、二十台前後の人って何人くらいいるんですか?」

「……若い衆が少ないのは事実だ」


 こちらを見る視線に鋭いものを混じえて、浜吉さんは答えた。海江田のデリカシーが欠ける発言に気を害したらしい。


「レイミーみたいに都会に憧れて出て行く子もいるだろうしね。――浜吉さんは、この村から出ようと思ったことないんですか?」


 ……その質問はヤバくないか?


 視線で訴える僕を無視し、海江田はゆるゆるとした風情で問いを重ねる。


「おらは長男だからな。家を継がないといけない」

「はぁ~なるほど。だからこの村に残ってるんですかぁ。偉いですねぇ」

「都会に関心を持ったことはあるが、この村を出ようと思ったことはない。おらはこの村が好きだからな」

「ふーん」


 含みのある微笑を浮かべ、海江田は相槌を打つ。

 その態度に挑発的モノを感じるのは気のせいではあるまい。またいらんことを言おうとしている顔だ。


「〝出よう〟と思ったことがない。――じゃあ〝出たい〟と思ったことはあるんですか?」

「……あるが、都会に行きたかったわけじゃない」


 顔を前に戻し、浜吉さんは歯切れ悪くつぶやく。


「それってもしかして、レイミーがここを出て行った時ですか?」


 浜吉さんの足が止まった。

 正面を向いたまま、押し黙っている。


「あの、えっと……深い意味のある質問じゃなくて――」

「この村にいる若者は、おらを合わせて二十人もいない」


 フォローしようと口を挟んだ僕を遮り、浜吉さんは声を張った。


「みんな、ここを出て都会に行きたいと思ったことが一度はあるだろう。それは仕方ねぇ。外に出た時人の話を聞けば、憧れる気持ちはわかる。……でも、結局みんな村に残ったし、それはこの村が好きだからだ。そんで村を守るためには、光和会がなくちゃならねぇ」

「だからレイミーが必要だってワケ? 光和会を支えるために」

「玲実のことは子供の頃から知っている。妹みたいなものだに」


 歩き出し、浜吉さんは続ける。


「この村にはあいつを必要としている人たちがいる。玲実だってこの村が好きなんだ。だから、あいつが戻ってきたのはいいことだ」

「……そうですか」


 つぶやいて、海江田はため息を吐いた。呆れたような諦めたような表情を僕に向ける。


「レイミーもさぞかし嬉しいでしょうねぇ。自分たちの執着のために、こんなにも必要とされていて」


 皮肉混じりに言い捨てたその言葉には答えず、それから浜吉さんは黙って足を急がせた。


                  ※


 昨日と同じ坂道から続く石段を上り、着いた屋敷の呼び鈴を鳴らすと、僕らを稲村亭に案内した室伏という男が出迎えた。


「お疲れ様です、連れてきました」

「ああ」


 浜吉さんが背筋を伸ばし集会に来た旨を伝えると、室伏は僕らを眇めた目で見て、中に入るよう促した。

 通されたのは昨日実里沢と話しただだっぴろい和室だった。ただ今日は部屋に座布団が敷かれ、正面を舞台とした会場の形が作られている。

 部屋の前方には老齢の男女が座り、後方では二十台前後の若者が見守るようにして屯っていた。浜吉さんが僕らを連れて入ると彼らは道を開け、頭を下げて挨拶した。


「おう」


 粗野な返事をし、浜吉さんは年寄りたちが座るうしろ、若者たちの前という中ほどの空いた座布団に腰を降ろした。


「今日は久しぶりなもんで、先代の頼子さんの時から世話になっていた婆様たちが来てる。みんな、玲実に見てもらうのを心待ちにしてたずら」


 僕らが膝を折るのを待ち、胡坐をかいた浜吉さんは説明する。


「頼子さんがご存命の時にはこういう集会をよくやって、その度に相談者が来てたんですか?」


 隣に座った海江田が早速質問する。


「まぁな。日によって人数は違うし、来るもんの年齢もバラバラだったが、まあ年寄りが多がった」

「お年寄りの方が、この〝相談〟に頼る気持ちは強いんですかね?」

「心と身体が弱れば何かに縋りたくなるもんだろう。そういう救いを求める人の助けになるために、頼子さんはこの会を開いたんだ。ほとんど一人で仕切ってな。……でも、今の光和会は夢瑠がまとめた若い衆が中心になっている。俺も含めてんな」


 海江田は振り返りうしろを見た。僕も顔を向ける。

 室内いる若者の数は十数名。全員男だ。前に座るお年寄りは二十名程で、七十から八十台……九十代の人もいるだろうか。曲がった腰で正座をして、雑談したり、正面にある神棚に向けて手を合わせたりしている。


「ふーん……つまり、夢瑠さんが新たに組織した新生光和会は、浜吉さんたち、この村の若い人たちが盛り立てたってことですか」

「そうだ。この村を存続させて守るためには、俺たち若い衆がまず一丸とならなきゃダメだ。夢瑠はそのことを皆に説いたんだ」


 胸を張り、浜吉さんは誇らしそうにそう述べた。海江田は細めた目で彼をチラリと見ると、すぐ正面に視線を戻した。


「村のコミュニティを守るために、若い人たちが青春を犠牲にして宗教活動に打ち込むわけですかぁ。いい話ですねぇ、涙がちょちょぎれますわぁ」


 軽薄な口調で言った海江田を浜吉さんは充血した目で睨んだ。太い眉が逆ハの字になり、顔色は赤らんでいる。

 気付いているだろうに、海江田は涼しい顔だ。

 僕は犀川に目配せしたが、彼も気にする様子はない。前方の老人たちの様子を観察するように眺めている。


 ……アウェーなんだからな。挑発すような真似は控えてくれよ……。


 胸の中だけで願っていると、舞台となっている正面、その横にある部屋の襖が開き、夢瑠と実里沢が入ってきた。

 昨日と同じ青い袴をはいた巫女服姿の夢瑠。実里沢は彼岸花をあしらった紺の振袖を着ている。

 会場は静まり返り、皆は二人の入場を固唾をのんで見守った。


「――皆さん、お待たせしました」


 高く透き通るような声を響かせ、夢瑠が一礼し挨拶した。途端、拍手が湧く。


「祖母、頼子が亡くなり早五年……この村で相談役を引き受けてきた彼女の存在はわたしにとって大きなものでした。恐らく、皆さんにとっても。ご存知の通り、見鬼の巫女と語り部は二対なくして村の安寧を得られません。祖母を欠き、未熟なわたしでは語り部としての役目を果たせず、失望した姉は両親の元へ戻り、都会の高校へと進学しました。……しかしそれは決して皆さんを見捨てたわけではないのです。わたしが語り部としての修練と皆さんとの繋がりを積み重ねる間、姉は都会に生きる人々の価値観を学び、見えないモノや、長い目で世界を見ることを軽んじる物質主義を知りました。いかに発展し見栄えのいいものを作ろうと、即物的で目先の結果を求める彼らの心の在り方や人の繋がりはむしろ退化しているといって然るべきです。それはわたしたちのように、見えないところで働く力を想像する能力がないからです」


 流暢に、身振り手振りを交えて夢瑠は朗々と語る。前方の年寄りたちは身を震わせ、しきりに何度も頷いている。

 見れば浜吉さんも拳を握り締め、夢瑠の演説に聞き入っていた。


「都会での経験で、姉は自分が身を置く場所はやはりこの村にしかないと気づきました。そして、我々が姉を必要としていることも。今日この日のためにわたしは村の若い衆と協力し、彼女を連れ戻すための土台を作ってきました。わたしが祖母、頼子の代わりとなる新たな語り部を務め、姉が見鬼で見抜いたモノを語る。そうしてこの新たな光和会の救いの活動を〝若い衆〟が中心となって推し進め、村の再興を目指す。もちろんそれは目先の人口増加や移住などを考えるものではありません。あくまで、中心には人と人の繋がり――見えないモノを〝見る〟姉の見鬼の力を用い、わたしが理解できるよう語ることで、他者との絆を深め、本当の信頼を結んでいこうという内面重視の思想を重んじてのことです。わたしはこの地道な活動こそが村の再興を果たし、ひいてはすべての人々の心に安らぎを与えることになると信じています」

「――ふーん、なるほどねぇ」


 熱を帯びる夢瑠の演説に対して、冷淡に、そして嘲笑うような小声で海江田がつぶやいた。


「どうやらあたしたちをここに呼んだのは、あの娘が作った新生光和会が果たす崇高な使命を教えたかったからしいよ? ……ふん、しょーもない話。大仰な言葉使ってそれっぽく言ってるけど、中身なんてまるでないじゃん」


 僕だけに聞こえるぐらいの声量で言って、海江田は唇をへの字に曲げた。その白けた顔から、僕は正面、夢瑠の横に立つ実里沢に目を向ける。

 伏し目がちの彼女は僕らのことに気づいているのかわからなかった。――が、見た限り高揚する村人たちのように、この集会を楽しんでいるようではない。

 

 ……あいつは、本当にこの村に戻りたかったんだろうか……。

 

 周囲とのあからさまな温度差に違和感を覚えつつ、僕は実里沢を見つめ続けた。

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