長野編 1-4
夕食は室内の中央に囲炉裏のある座敷食堂。今の時期火は灯されていないが、漆塗りで統一された内装は木材の暖かみを感じられていい雰囲気だ。
蕎麦屋としてもこの食堂が使われているらしく、宿泊棟から通路で繋がる廊下とは別に外から入れる表戸も付いている。レジとしてあるカウンター机横の棚には、山になって積まれた郷土品や土産物。着いた直後、海江田は自分が持っている勾玉とよく似たストラップを見つけて目を輝かせていた。
「これいいじゃん。マヨイガ探索隊のメンバーアイテムにしようっ!」
などとほざき、翡翠、琥珀、ブラックオニキス、タイガーアイの四種類を購入。僕と犀川に一つずつ渡した。
「タイガーアイはレイミーだよね、やっぱ」
「君はもう持ってるじゃないか」
勾玉を照明にかざして満足な様子の海江田に言うと、白けた視線を向けられた。
「せっかくだからもう一個持っててもいいじゃん。もらっておいて一言余計だなぁ、要っちはぁ」
それはまあ、そうだったかもしれないが……。
※
「――ほれほれ~要っち。空いてるよ~」
座敷の四人席に着き、山菜の天ぷらや鮎の焼き物に舌鼓を打っていると、軽く酔いも回り陽気になった海江田が、杯にどくどくと酒を注いできた。
「今日はペース遅いんじゃない? 次は渓流の純米吟醸頼んでみよっかぁ~」
メニュー表を開き、けらけら笑ってほざいている。
確かに食事と一緒に頼んだこの地酒〝白馬錦〟は香り高くキレの良い辛口だった。食事にもよく合う。
……なので、こいつのようにビールみたいに呑むのではなくもっとゆっくりじっくりと味わうべきだ。
「や~料理もお酒も美味しいし、言うことなしだねぇ~」
そんな僕の憮然とした視線も気にせず、海江田は運ばれてきた鴨肉のたたきを一切れ摘まみ、上機嫌に喋っている。
「ありがとねぇ~。今はスキーでも避暑シーズンでもねぇし、観光客も少なくてねぇ」
ニコニコと愛想の良い笑みを浮かべてやってきた女将が、腰を屈めて言った。
「ほほぅ。それじゃあいい時に来たと言えますな」
「そうねぇ。……それでも、東京からのお客さんは本当にめずらしいだに。ここに来るのはせいぜい松本とか長野の人が多いから」
地元県民のみが知る隠れ里といったところか。
まあ観光地といえば近くにメジャーな場所があるし、旅行者が食事を摂るためだけに片道数時間かけて来るのは骨が折れるだろう。
「あ、次これもらえます? 渓流の吟醸!」
「は~い。シビエ(鹿肉)の鍋ももうすぐだから、待っててねぇ~」
注文を受けて女将はカウンター奥の厨房へ戻って行く。見送ると、海江田は瓶の残りの酒を手酌で自分の杯に注いだ。
「川魚は初めて食べるが中々悪くないな」
そう感想を述べる犀川は鮎の身を箸で丁寧に取り分けている。
噛り付くのかと思ったが、意外に繊細な食べ方をする。それもある意味彼らしいが。
「ねぇ! こんなに雰囲気よくて料理も美味しくて空気も澄んでてしかも格安なトコロ、年中お客さんいてもおかしくないのにねぇ!」
数時間前、三日もいたら飽きると言ってたヤツがどの口で言う。僕はジト目で海江田を見たが、やはりどこ吹く風で日本酒をぐびぐびと呑んでいた。
「他県からだと少し遠いし、県内の人間には絶景の山景色なんて見慣れたものなんだろうな。冬になれば、ウィンタースポーツがてら訪れる者がいるのかもしれないが」
鮎の身を口に運び、お猪口の日本酒をちびりと呑む。今日は犀川もペースを抑えているようだ。
「おまちどおさまー。シビエの鍋と渓流の吟醸酒でーす」
盆に載せ、女将が鍋と四合瓶を持ってくる。来た来たと海江田が酒を受け取り、犀川と僕が食器をどかして机の真ん中を空ける。
「もう煮えてるので、器にとって食べてくださいねー」
「はーいっ」
答えながら、早速海江田は新たな日本酒を自分の杯に注いでいる。
鍋の蓋を女将が取ると、シメジやエノキなど色んな種類のキノコや水菜、そしてぐつぐと煮汁を吹く鹿肉がいい塩梅にできあがっていた。
「わー美味しそう!」
「ホントだなっ!」
つい海江田の単純な感想に追随してしまう。しかしこれは何とも、食欲をそそるビジュアルだ。
「お蕎麦はしめでお持ちしますから。――ところで、皆さん明日のご予定はおありですか?」
空になった酒瓶や食器を盆に下げながら、不意に女将が訊いてきた。
「特に何にも。できればレイミー……玲実ちゃんに会いたいんですけど。忙しいですかねぇ?」
上目遣いに海江田が顔を向ける。媚びる時や人に取り入ろうとする時の顔だ。僕が見た限りうまくいったためしがない。
が――今回はそれを受けた女将の顔が、ぱっと輝いた。
「あらぁ~、そんならちょうどいいイベントがありますよぉ。明日の午後、寄合所で光和会の集会をやるのよ。おばば連中と若い人たちが中心に集まるから、皆さんも行ってみては?」
「いいんですかね? よそ者ですけど、あたしたち」
「頼子さんは他所から相談に来る人も受け入れていたから。玲実様のお友達なら、夢瑠ちゃんもきっと迎えてくれますよぉ~」
温和な顔で女将の稲川さんは言う。その夢瑠が内心僕らのことを鬱陶しがっているとは想像もしていないのだろう。
明日、再び実里沢の屋敷に行っても歓迎されるとは思えない。今日の様子から実里沢玲実もこの村に留まる決意を固めているようだ。
とはいえ、僕らがここに来た目的は彼女と話すことだ。連れ戻せるかはわからないが、まだ十分には話せていないと海江田も犀川も、そして僕も思っている。
ならばチャンスがあるなら乗るべきだ。女将には迷惑をかけることになるかもしれないが。
「そうですかぁ! それならぜひ参加させていただきたいですねぇ~!!」
にっこりと笑い、海江田は当然、女将からの誘いを受けた。
「それならうちの息子も参加しますからぁ。明日の昼過ぎ、ご一緒してくださいねぇ~」
そう言い残すと、女将は一礼してカウンターの中に戻って行った。
僕は杯の酒を舐めるように呑み、それからシビエを口に運ぶ。
――美味い。よく油が乗っていて噛み応えがあるが固くはない。臭みはないのに味わい深く、辛口の日本酒がよく合う。
「ほい、もう一献」
すぐに海江田が注いでくる。
犀川もシビエを気に入ったらしく、鍋からよそった椀を黙々と食べている。
「……ずいぶんトントン拍子に事が運ぶよねぇ」
声を落とし、海江田が小さくつぶやいた。
「? 何がだ」
「鈍いなぁ。要っちはぁ」
冷めた表情で、海江田は蔑むように言う。
「光和会は、この村に住む人の心の拠り所なんでしょ。その集会に、いくらレイミーの友人とはいえよそ者のあたしたちを誘うかな?」
「実里沢のお祖母さんが健在の時は、外から相談に来た人も受け入れていたって言ってたじゃないか」
「それは頼子さんという柱があって、光和会が安定していた時の話でしょ。数年ぶりにレイミーが戻ってきて、久しぶりに開く集会。こんな隔絶された村がそんな身内意識の高い場に〝外人〟を入れるかなぁ? 表面上はオープンに振舞っても、本能的に疎外する意識が働くと思うんだけど」
それはこの村の住民が基本的にいい人だからじゃないのか――と言いかけて、僕はそのセリフの白々しさに気づいた。
出会った村民たちの対応の柔らかさに慣れてうっかりしていたが、僕らはこの村に来てまだ半日程度しか経っていないのだ。その程度の短い付き合いで、相手のことがどれだけわかるというのだろう。
そもそもこの村の人たちが僕らに親切なのは、僕らを実里沢の友人だと思っているからだ。彼女はこの村でそれだけの信望を集めている。
この村のほとんどの住民が、恐らく女将と同じように実里沢を崇拝しているのだろう。その構造は客観的に見れば異様な光景だ。
いくら人里離れ隔離された場所だといっても……これではまるで……。
「昔の村が持っていた繋がり、村民同士が共有して持つ意識は民俗学でも扱うよね。だいたいが排他的で、他所からの人間を良しとしない。ましてやここは観光地として有名な場所でもない。外から来た人間にはそれほど慣れていないはずなんだよ」
それなのにこうもあっさりと僕らを受け入れたのは〝実里沢の友人だったから〟。
そしてその僕らを村で親密な集会に誘おうとする。
「――この意味合い、どう考えるね?」
海江田はちらりと犀川に目をやった。お猪口を空け、犀川は宙に向けていた視線を僕らへ移す。
「村が持つ繋がり意識以上に強力な共存意識が働いてる。イデオロギーか……もしくは〝宗教的なコミュティ〟としてか」
「そういうこと」
にっと笑って、海江田は手を伸ばし犀川のお猪口に酒を注いだ。
「あの道祖神を見ても、見鬼の巫女と解釈者の形態は相当昔から続いていたんだろうね。この村の支柱となる、二対一体の存在として」
海江田も気づいていたのか。ならば、次に気になるのは。
「実里沢が巫女として、解釈者っていうのは……」
「かつては彼女の祖母。そして今が、彼女の妹の夢瑠」
低い声で言うと、犀川はお猪口を手に取った。
「四年前、レイミーが東京に行ったあとどうしていたのかはわからないけど、今光和会の実権を握っているのは、祖母から解釈者の役目を引き継いだ夢瑠。恐らくこの村を〝支配〟しているのもね」
囁くように言って、海江田は横の障子を少し開けた。
「女将にも作意があるのかはわからないけど――この誘いを指示したのは夢瑠だと思うよ。姉の友人を集会に誘ってあげてください、とか室伏さんに言伝を頼んでね」
さらに声を小さくして、海江田は杯に口をつけた。
「でも……いったいどういう目的で?」
夢瑠は僕らを実里沢から遠ざけたいようだった。なのに、なぜ自分から近づけるような真似をするのか。
「さぁね? 鬼が出るか蛇が出るか、行ってみないことにはねぇ……」
不敵に笑って、海江田は開けた障子の外に目をやった。
先にある窓は開け放たれており、網戸越し、天上に大きく輝く月があって、冷たい風が一瞬僕らの間を吹き抜けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます