長野編 1-3


「――お帰りですか?」


 部屋を出て廊下を戻り玄関に着くと、満面の笑みを浮かべた夢瑠が待っていた。


「どうでしたか、姉とは?」


 小首を傾げ、薄目を開けて訊いてくる。

 ……この様子だと部屋での会話を聞いていたのだろう。過剰気味な愛想の良さは海江田に対する挑発返しにも映る。


「や~、レイミーもこっちに戻ってきたばっかりでナーバスになってるみたいだからね~。ま、しばらくはあたしらも滞在するつもりだからまた来てみるよ」

「いつでもどうぞ。歓迎しますわ」


 互いに笑顔のまま言葉を交わす。が、その狭間の空気はピリピリとした不穏なものだ。


「あ、えーと……夢瑠、さん。実里沢から、泊る場所がないなら君に訊けって言われたんだけど」


 海江田が妙な意地を張ってスルーする前に僕は切り出した。こんな山深い場所で野宿するハメになるのはごめんだ。もういい加減ホント、蒲団の中で休みたい……。

 海江田は細めた目で一瞬僕を見たが、特に何も言わなかった。


「あら、そうなんですか。それなら民宿をやってる人を紹介しましょう」


 両掌をぱんっと合わせ、夢瑠は小気味の良い調子で言う。


「姉さんの――〝光和会〟からの紹介だと言えば、きっと歓迎してくれますからっ!」

「……そっか」


 自信満々に言う夢瑠に、僕は曖昧な笑みを浮かべてそう答えた。


                  ※


 案内された部屋は十二畳ほど、襖で二部屋に分断できる和室だった。


「お~中々いいじゃん!」


 広々とした畳に早速両脚を投げ出して座ると、海江田は満足そうに息をついた。

 室内は床の間、座卓、クローゼット――卓の上に茶葉や湯呑、急須などの茶道具をまとめた盆が置かれているだけのシンプルな部屋だ。しかし障子を開けた窓の向こうには山頂から見渡すような壮大な景色が広がっており、オプションとしてはそれだけで充分という気もする。


「お気に召しましたかや?」


 この民宿兼蕎麦屋、『稲川亭』の女将である稲川安子さんは、はしゃぐ海江田の様子に嬉しそうだ。やや癖がかった髪をうしろに纏めた着物姿の女性。歳は四十台くらいだろうか、目尻に皺の入った優しそうな顔立ちだ。


「もちろん! 贅沢ですねぇ、この雄大な景色を独り占めなんて!!」

「……いや、僕らもいるけどな」


 荷物を降ろし、肩を軽く回しながら僕は突っ込む。


「えぇ~。君たちぃ、年頃の女子と同じ部屋で眠るつもりなのぉ?」

「襖で仕切りゃあいいだろう。だいたい海江田、僕のベットで寝てたじゃないか。女子気取るんならもうちょい恥じらいを覚えろ」

「やん、要っちのエッチ。どーせあたしが寝たベッドで変なことしたんでしょ?」

「するかっ!」


 顎に拳を当て、ぶりっ子ポーズでほざく海江田を睨む。知らない人に誤解を与えるようなことを言うな。


「気に入っていただけたんならよかったずら。玲実様のご友人なら、歓迎せんといかんもんね」


 僕らの会話を軽く受け流し、稲川さんはニコニコと笑っている。

 にしても……玲実〝様〟か。

 稲川さんが、ごく自然に使った敬称。まだ二十歳前の娘に対してずいぶんな気の使いようだ。

 それだけ実里沢がこの村で尊ばれているということなのか……。


「夕餉はシビエの鍋だから。この辺りじゃあ評判なのよ。よそから来たお客さんも美味しい美味しいって言ってくれるずら」

「おーそれは楽しみですねぇ!」


 暢気な口調で海江田が応える。コイツもはや観光気分なんじゃないのか。ここに来るまでも寄り道したがってたし。

 息をつき、僕は視線を移した。


「……犀川、荷物くらい降ろせよ」


 部屋に入って来てからぼんやりと外の景色を眺めている犀川に言う。

 ――が、彼は僕の呼びかけにも反応せず、無心な表情で遠くに視線をやっている。


「おーい?」

「……あ? ああ、そうだな」


 今気づいたように、犀川は肩掛けのスポーツバッグを畳に降ろした。

 こいつがこんな間の抜けた声を出すのはめずらしい。


「どうかしたか? 何か上の空じゃないか」

「いや……大したことじゃない」


 言いながらも、犀川はまた視線を山々が連なる先へ向ける。


「ここまで案内してくれたあの室伏という男……この村には、似つかない雰囲気だと思ってな」

「あー……確かに。こんなところでスーツだし、やたら迫力のある顔つきだったし」

「んー、でもさぁ」


 寝っ転がった海江田が、首だけ上げてこちらを見てくる。


「あの人の感じ、秋吉くんにも似てるよね。タダ者じゃないっていうか、カタギじゃない感じの空気が」


 へへへっ、と悪戯っぽく笑って海江田は軽口を叩く。それは僕もうっすらと思った。

 任侠小説なら犀川が若頭で室伏さんは舎弟頭だろう。跡目を巡り、壮大な抗争で血を血を洗うのだろう。


「そうか」


 ……疲れからか詮ない妄想を頭に湧かせる僕の前で、犀川はいつもの淡々とした声でつぶやいた。


                  ※

 

 ――正午を過ぎ、陽はすっかり高くなっている。

 山間にあり、林に隠れたこの村は軽井沢よりもさらに涼しい。夏が過ごしやすい分、冬は雪がうず高く積もるので除雪の作業は年寄りが多い中で大変な仕事だ。今はまだかろうじてその仕事を引き受けてくれる若者がいるが、次の世代まで残っているかはわからない。

 玲実や彼女の母親のように、自分の中にある〝何か〟の可能性にかけて都会に出て行く若者の気持ちはわかる。この村は有り余るエネルギーを発散するにはあまりに狭い。強い執着でもない限り、留まり続けるのは難しいだろう。


「こんにちはぁ、室伏さん」


 畑仕事をしていた初老の男性が挨拶してきた。玲実の友人たちを送り届けての帰り道――立ち止って、室伏は会釈を返す。


「玲実ちゃん、戻ってきたんだって? 甥っ子も喜んでたよ。よかったなぁ、これでまたオラんちも相談に行けるずら」

「今日は疲れて休んでますが、相談会は明日の午後にでも開くつもりです。帰郷の挨拶もその時に」

「うんうん、ゆっくり休むといいよ~。……都会さ行って、もう戻ってこないもんだとばかり思ってたかんな。ほんとよかったぁ」


 水色の繋ぎに麦わら帽子をつけた男性は、感慨深げに何度も深く頷いている。

 室伏は目線を外し、それでは、と告げてまた歩み始めた。


 村から一線を隔てるように、長く続く石段を上り、正面戸を開けて屋敷に入る。鍵はかかっていなかった。

 施錠して玄関を上がり、夢瑠の部屋を目指す。


「――戻ったぞ」

「入っていいですよ」


 許可をもらい襖を開けると、夢瑠は部屋で蕎麦茶を啜っていた。

 八畳の和室。年季の入った古い本が収まる本棚、夢瑠が正座し向き合うちゃぶ台、神棚、タンス。壁にはセーラー服が掛けられている。

 年頃の少女の部屋にしては置いてあるものが渋い。彼女が女子高生だとわかる品はセーラー服ぐらいだ。


「稲川さん、喜んでらっしゃったでしょう。最近外からのお客も減ったから」

「そうだな。連中も気に入ったようだった」

「それは重畳。ご苦労様でした」


 茶を置き、夢瑠は室伏の方に顔を向けた。


「それで――あなたから見てあの三人、どう思いました?」

「ただの学生だろう。東京ならどこにでもいるような」


 平坦に答えた室伏の言葉を、吟味するようにしてから夢瑠は頷いた。


「――そうね。でも、あの犀川って男は中々いい面構えしてませんか? わたしの親衛隊に加えたいくらい」


 ぴくり、と室伏は眉を動かした。


「身体つきもいいし、腕も立ちそうじゃない?」

「犀川というのか。あの背の高い男」

「ええ。めずらしい苗字ですよね」


 また茶を一口啜り、夢瑠は薄く笑う。


「聞き覚えでもあった?」

「……いや。記憶違いだ」


 言い切って、室伏は視線を伏せた。


「ふぅん。ま、いいわ」


 長いストレートの髪をかきあげ、夢瑠は笑みを深める。それは要たちに見せた社交的な笑顔とは違う、年齢不相応な魅力に満ちた妖艶な笑みだ。


「あの海江田って女、姉さんを連れ戻したいみたいですね。犀川もそれに同調している。もう一人の……御堂って男はよくわからないけど、一緒に来てる以上目的は同じでしょうし」

「放っておいていいだろう。玲実の気持ちが動かない限り問題ない」

「でもあの女、下手に野放しにしておくと面倒になるかもしれないわ。クセ者っていうか……食えないところがあるからね」


 夢瑠の表情に険しさが混じる。反発され、やり込められなかったことを根に持っているのだろう。

 なまじ口に自信があるから引き摺ってしまう。悪いクセだ。


「彼女にはあらためて姉さんと光和会が持つ使命を教えてやらないといけないわね。好奇心や俗な気持ちで近づくのは、度し難い罪だってことも」


 黙ったまま、室伏は夢瑠の言葉を聞いていた。〝肯定も否定もしない〟〝必要であれば力になる〟〝感情的な干渉は避ける〟――それが彼が自分に定めたルールだった。


「下がっていいわ。姉さんのこと、何かあればお願い」

「――ああ」


 頷き、室伏は襖を閉めた。

 微かに生まれた動揺。心に蓋を敷くことで、その振動をなかったことだと自身に言い聞かせながら。


                  ※


 稲村亭で一休みして仮眠をとると(僕が希望し海江田が愚図ったが、誰よりも早く寝息を立て初めたのは彼女だった……)、この辺りで祀られている道祖神の祠が裏の山道を上ったところにあるというので、行ってみることにした。


「……けもの道だな。木の根っこがちょうど階段みたいになってるし」


 山中の村からさらに上方へ伸びる坂は道なき道で整備もされていない。ただ、皆が同じルートを通るからか踏み慣らされている箇所はあり、道順もわかりやすくなっている。それでも気を抜けば地面の凹凸に足を取られそうになるが。


「足腰鍛えられるねぇ、こりゃあ。幸い涼しいから汗はかかないけど」


 ひょいひょいと、海江田は身軽に先頭を行く。そのあとにずんずんと犀川。

 ……息を切らし、しんがりを務めるのが僕だ。


「要っち―。遅れてるよー」

「うるさいなぁ……僕は文系なんだよぉ……」


 休憩したとはいえ長時間バスで揺らされた身体のガクガク感は取れていない。その上山登りって……明日は確実にハードな筋肉痛だろう。


「足元気をつけろ。滑り落ちて変な方向に行ったら、どこまで転がっていくかわからんぞ」


 周囲には高く伸びた木々が間を空けて生えており、葉の茂りも少なく視界は良好だ。その分、振り返ると上ってきた道がずいぶんな急斜であることがわかってしまうが。


「……ああ」


 声をかけてきた犀川に唸るよう答えて、僕は注意深く、慎重に歩みを進めた。


 道中、本宮と書かれた木の矢印があり、その先に小さな祠らしきモノがポツリとあった。

 歪な円形の、やや開けた場所にある自然石で作られた祠。中には二体の石像が立っている。

 片方は髪が長く女性のようだ。もう片方は被り物をしている。


「……これだけ?」


 祠を覗き道祖神の像を指すと、海江田は不満げに首を傾げた。


「そうみたいだな」


 言って犀川は柏手を打ち、頭を垂れて合掌する。渋々、という調子で海江田もそれに倣い、少し遅れて着いた僕も続いた。


「ん~年季は入ってるけどさぁ……まあ、期待してたよかショボいねぇ」

「……見応えあるモノだったら、この村も観光地として少しは栄えてるだろ……」


 絶え絶えだった呼吸を整えつつ、僕は石像を眺めた。

 女性の道祖神の恰好は何となく実里沢に似てる気がする。被り物をしている方は袴姿で神主のような恰好。


 ……もしかして、この二体はあの姉妹が村で果たす役割を示しているのか……。


 見鬼の力は血統で伝わり、実里沢の祖先は同じ役割――巫女と解釈者を果たしてきた。そうして崇められてきたのなら、村民から神のように見られていてもおかしくない……考え過ぎだろうか。


「はぁ~、ちょっと拍子抜け。まあいいんだけど」


 気を取り直すよう大きく伸びをして、実里沢は深呼吸をする。


「にしても澄んでていい空気だねぇ~。都会じゃこんな空気味わえないよ~」

「そうだな」


 相槌を打つ犀川は来た道を見下ろしている。


「でもま、三日もいれば飽きるだろーね、こんなトコ。上京したレイミーの気持ちはわかるわぁ」

「実も蓋もないことを言うな、キミ……」


 それが民俗学のフィールドワークを目的とするサークルの会長が言うことだろうか。

 だが海江田は僕の咎めにも悪びれた様子を見せず、それどころか小バカにしたような、半笑いの顔を向けてきた。


「だってそーでしょ? 遊ぶところもお茶するところも買い物するところもない。あるのは畑と山ばっか。学校だって、きっとあのバスか軽トラで通学してるんだよ。――そりゃずっとここに閉じ込められていればわからないかもしれないけど、学校でハンパに外の情報に触れて、同い歳の子たちがやっていることを知れば、自分は無駄に青春浪費してるって思うでしょ」

「まあ……それは思うかも知れないけど……」


 反論できず、僕は口ごもった。

 僕の出身も都会とは言えないところだが、ここに比べればよっぽどマシだ。この村には本屋も図書館もないだろうし、通販で何か買うにしてもネット環境があるのか、そもそも宅配業者が運んできてくれるのか……。


「こんなところが、現代の日本にもまだ残ってるんだなぁ……」


 遠い目をして言ってみる。

 限界集落とか話では聞くが、物事は実際来てみないと実感できないものだ。経験ってやっぱり大事だな。


「地域の発展から取り残された村落か。孤立した村人たちの心の拠り所として、あの光和会が求められたのかもしれないな……」

 

 一人言のように、低い声で犀川がつぶやいた。

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