長野編 1-2

 

 木々が作る陰まで行くと、坂道は程なくして石の階段となり、五十メートルも上らないうちに平坦な場所に出た。

 周囲は開けていて、空からは枝の間を通して陽光が射し込んでくる。ひんやりとした空気も相まって、神秘的で神々しい雰囲気。僕らの前に立つのは、村の農家とはずいぶん造りの異なる大きな日本家屋だった。

 入り口の上方には注連縄が結ばれ、賽銭箱こそないものの、まるで神社の拝殿のような趣だ。


「表札あるね」


 引き戸の横に掛けられた古い木板を指さし、海江田が言った。

〝実里沢〟と書かれた古い木板と〝光和会寄合所〟と彫られたやや新しい木板。そのすぐ下にはくすみがかった銀色の呼び鈴が付いている。ブザー式ですらない、年季の入ったものだ。


「……家、なのか、ここ? 神社じゃなくて」

「鳥居もないし、表札があるということはそうなのだろう。この辺りではずいぶん立派な屋敷だな」


 建物を見上げ、周囲を見回す犀川はどこか懐かし気である。

 気持ちはわかる。この澄んでいて透き通る空気は自分が幼い頃体験した何かを思い出させるような、柔らかな既視感がある。


「んじゃ、ほい」


 そんなノスタルジックとファンタジックの入り混じる心地に浸っていた僕らには目もくれず、海江田はさっさと呼び鈴を押した。リンッ! という高い鈴の音が林の中に響き、やがて静寂に溶け込んでいく。


「…………………………」


 しばしの間。戸の奥で人が歩いてくる気配がした。


「はーい、どちらさまで?」


 戸が開き、白衣に濃い青の袴を履いた女性が姿を現わす。女性――というよりも少女だ。

 その顔に見覚えがあった。


「あら。あなたは……」

「どうも……」


 実里沢夢瑠。大学で出会った時のセーラー服とは違う巫女服姿。

 長い髪をうしろで括った美少女の新たな装いは……何と言うか、僕がそっちの趣味だと思われると心外なのだけれど、完成度の高いコスプレのようで中々に眼福な光景だった。


「確か、御堂要さんでしたっけ?」


 突然の来訪に動じた様子も見せず、夢瑠は愛想の良い笑顔を浮かべて僕らを出迎えた。


「そちらは犀川秋吉さん、でしたね」


 名を呼ばれ、犀川は小さく会釈する。


「えーと、それからあなたは……」


 視線が自分に向いたところで、海江田はにっこりと、夢瑠に負けない愛嬌を持つ笑顔を作り一礼した。


「初めまして! あなたがレイミーの妹さん?」

「ええ、そうですけど」


 あだ名でも語感で自分の姉のことだと察したのだろう。夢瑠は頷き、それからまじまじと海江田を見つめた。


「あたし、海江田よもぎというものです。レイミーとは同じ学科の同級生なの」

「あなたも姉のお友達ですか?」

「そうだね。そして同じサークルの仲間でもある」

「サークル?」


 訊き返して、夢瑠は小首を傾げた。海江田はニヤリと笑みを深める。


「そうっ! 日本に古くから伝わる怪異譚や伝奇を実地に赴き検証し、その正体を暴こうという民俗学実践サークル〝マヨイガ探索隊〟!! レイミーは、そのメンバーなんだよっ!!」


 びしぃ! っと威勢よく言い放った海江田を見つめたまま、夢瑠は微かに目を細め、口の端を釣り上げた。


「それは……聞いてなかったですね。姉はそんなサークルに入っていたんですか」

「いや、正しくはこちらから勧誘していた途中というか……」


 慌てて横から口を挟む。

 このまま海江田の話が先行すると実里沢に伝わった時どんな反応をされるかわからない。ただでさえよくわからん状況なのだ。無用な誤解で、これ以上悶着することは避けたい。


「ふぅ~ん……まあいいでしょう。それでそのマヨイガ探索隊の皆さんは、一体何の御用でここまで来られたんですか?」


 笑顔のまま、夢瑠は僕らに問うてきた。訝しむ様子はないが、言葉の響きで壁一枚隔てられたのがわかる。

 ……警戒されてるのか、もしかして。まあ確かに胡散臭いとは思うが……。


「それはもちろん、レイミーが突然長野に帰っちゃったからだよ。いくら何でも急すぎない? あたしたちに何の相談もなしに突然休学だなんてっ!」

 

 演技がかった口調で海江田が一息に言い募る。

 もちろん、別れに何かを伝えられるほど僕らと実里沢は親しいわけではない。しかし実里沢の帰郷があまりに突然であったことは事実だ。

 それは妹である彼女――実里沢夢瑠がきっかけであったことは間違いないだろう。


「そうですね。確かに昨日の今日で休学は突然すぎました。住んでるマンションの解約もありますし、また折を見てそちらにも出向くつもりです」


 規定事項を伝えるように夢瑠は淡泊に告げた。当然、海江田は納得できない。


「いやいやいや。そういう諸手間の話じゃなくて――そもそも何でレイミーは突然こっちに戻ったワケ?」


 いつも通りブレない直球で海江田は訊いた。回りくどい搦め手よりも豪速球のストレートで押し切るスタイル。こういうトコロは夢瑠とずいぶん違う気がする。


「個人的なことですよ」


 その海江田の態度に微塵の不快感も見せず、夢瑠はさらりと答えた。


「姉にはこちらで務める役割がありましてね。祖母が亡くなり時間を置きましたが、ようやくその準備が整ったので戻って来てもらったんです」

「役割って?」

「村の人たちからの相談を受けて、救済する巫女です」


 救済。夢瑠が口にした言葉の響きに、海江田は口をへの字にした。内心僕も少し引いた。


「そのために東京で大学通ってたレイミーをわざわざ連れ戻したの?」

「……よそから来たあなたたちには理解しづらいかもしれませんね」


 笑顔のまま、薄目を開けた夢瑠の瞳は輝いていた。

 それはこの年頃の少女が持つには違和感を覚える、野心的な輝きだ。何かに魅せられ、執着心に憑りつかれた狂気の光とでもいうか……。


「でも、これは必要なことなんです。そもそも姉から何も聞かされてないのなら、姉にとって、あなたたちの存在はその程度のものだったということではないですか?」

「ちょっと、それどーいう――」

「夢瑠」


 何やら会話の雲行きが怪しくなりかけたところで、屋敷の中から別の声が聞こえた。


「あ、レイミー!」

「……姉さん」


 引き戸を潜り、姿を見せた実里沢は着物姿だった。

 紺の下地に青い彼岸花が描かれた振袖。栗色の髪はうしろで纏めてあり、大学内で見たサブカル少女という服装からは一変している。


「わたしから話すから。上がってもらって」

「っ……でも……!」

「いいから」


 妹の反論を許さず強く言うと、実里沢は僕らに会釈して屋敷の中に戻って行った。

 夢瑠は顔を伏せ、その場に立ち尽くす。


「ねぇ、入っていいの?」


 その表情を下から覗きこむようにして、海江田が煽るように訊く。


「――大変失礼いたしました」


 視線を上げ、夢瑠は先ほどよりも接客率二割増しの笑顔を浮かべ、僕らに向き直った。


「姉のお友達なんですから、歓迎しないといけませんよね。どうぞ中におあがりください」


 言って、引き戸を広く開く。


「うん、ありがとねぇ」


 にんまりと笑って海江田は戸を潜り、僕と犀川は顔を見合わせ、そのあとに続く。


「あの……何かごめんな」

「謝ることなんてありませんよ」


 屋敷の玄関に入ってから、振り返って海江田の無礼を謝罪した僕へ、夢瑠は穏やかに告げた。


「本当に〝姉の友人〟であるのなら――わたしが歓迎しない理由はありませんわ」

 

 薄目の奥で輝く瞳。その光に背筋が冷たくなるものを覚え、僕は慌てて視線を切る。

 それから先に上がった海江田と犀川を追って、屋内に足を踏み入れた。


 玄関から続く長い廊下を歩き、案内されたのは二十畳ほどの和室だった。

 角隅に積み上げられた座布団だけがある、ただっ広い畳部屋。開け放たれた障子の先には日本庭園が広がっており、小さい泉を囲う築山、泉の上にはみ出るようにして育った松の木が見る者の目を惹きつける。

 座布団を三つ取って僕らに渡し、実里沢は廊下に出て行った。少し迷って、庭の近くの畳に敷いて座る。

 すぐに盆に茶を載せた実里沢が戻ってきた。


「粗茶ですが」

「……どうも」

「ありがとう!」

「すまないな」


 三者三様に受け取り礼を言う。

 香しい匂い……煎茶ではなく蕎麦茶だ。飲み慣れていないが悪くない。

 庭からは穏やかな陽が注ぎ、かこん、と竹筒が流水を受けて返る。

 ……風流な場所だ。心が洗われる。

 観光で来ていればさぞ楽しかっただろうに。


「……さて。それじゃあレイミー、話そうか」


 茶を啜り、一服ついたところで海江田はそろそろと切り出した。


「こんなところまでやって来て、いったい何を話したいの?」


 対する実里沢の言葉は簡潔だった。

 ひどく落ち着いた物腰は大学で会った時とは別人のようだ。心なし、沈んでいるようにも見えるが。


「もちろん、レイミーが休学してこっちに戻ってきた理由だよ」

「それを聞きに……わざわざ大学を休んでまで?」

「そうっ!」


 力強く言い切った海江田を見つめ、実里沢は口元を綻ばせた。


「すごいな、あんたのその行動力……迷惑だって思ってたけど、正直感心したよ」


 つぶやき自分の茶碗を持つと、実里沢は礼儀正しい仕草で口をつける。


「レイミーには是非ともマヨイガ探索隊に入ってもらいたいからねぇ~。このくらいの労は何でもないよ~」

「入らないって、わたしは言ったはずだけど」

「何でさ? レイミーの力を生かすにはうってつけのサークルなのにっ!」


 茶碗を置き、実里沢は僕らを見据えた。

 異世界を覗き、この世非ざるモノを見抜く見鬼の瞳。

 今の僕らにも、何かが見えているのだろうか。


「……あんたが、わたしに対して変な偏見を持っていないことはわかる。そのサークルで役立てるためだけに、本当にわたしを必要としていることも」


 淡々と実里沢はつぶやいた。

 役立てる、というのは利用するということだろうが、それに立腹する様子もない。ただ事実を述べて、それを受け入れているという話し方だ。


「それから、あんたたちも」


 僕と犀川に目を移し、実里沢は続けた。


「御堂、だっけ。あんたは海江田に巻き込まれたんだな。最初は迷惑がっていたが……でも今は、それほど悪いとは思っていない。むしろ何かのきっかけになればいいと思っている」

「!」


 内心を読まれ、僕は息を呑んだ。

 ――そんなことまでわかるのか? 見鬼の瞳は常世の者、憑いているモノや過去未来を見透すだけでなく、読心までできるのか。


「それから犀川は……」


 言いかけて、実里沢は犀川をしばし見つめ、それからはっとしたように顔を逸らした。

 微かに頬が紅い。僕は横目で犀川を見たが、彼はいつもと変わらず無表情だった。


「まあ、心配してくれてるのは、わかる……」


 声を小さくし、実里沢はつぶやいた。不器用なりに素直な彼女らしい反応だ。

 ……いや、やはり彼女らしいと言えるほど親しいわけではないが。


「こんなことを言うのは都合がいいけど……あんたたちともう少し早く出会ていたら、わたしも違う可能性を考えたかもな……」

「今からだって遅くないよっ! ってか、大学生活これからじゃんっ!!」


 二浪したヤツが言うと重みが違う。海江田の叫びに、しかし実里沢は顔を伏せ、自嘲するように口元を歪めた。


「もう決めたことなんだ。ウチ……わたしには、自分の居場所がここにしかないって、わかってしまったから」


 寂しげな笑みを浮かべ、実里沢は言った。


「そんなこと――」

「お祖母ちゃんが亡くなって、わたしは両親の元に戻った。それは何もないこの村に嫌気がさして、見鬼の力を使えば向こうでもやっていけると思ったから」


 海江田の言葉を遮り、実里沢は続ける。


「見鬼……もとはと言えばこの力を持っていたせいで、わたしは祖母に預けられた。母方の血筋で、稀にわたしみたいな力を持つ子が産まれることがあったから。この村では昔からその子供を巫覡として大事に育て、村の相談役として重宝してきたの」

「じゃあレイミーは、お祖母さんの方から引き取るように言われたの?」

「都会じゃ見えなくていいモノが見えて、口に出せば周囲から奇異の目で見られる。この村では逆にそれを有り難く思われる。わたしの体質に手を持て余していた両親は祖母からの提案を受け入れ、彼女に預けることにした。……だから、物心ついた時からわたしは見鬼の目で村の人たちを見てきた。お祖母ちゃんは、その見えたモノを解釈して相談に来た人に伝えたんだ。するとその人は憑き物が落ちた様に穏やかになり、救われたと言っていた。或いは、苦難から逃れることができたと。お祖母ちゃんに見鬼の力はなかったけど、お姉さんがその力を持っていたそうで、見えたモノが何を意味するか語ることができた」

「相手の吉兆や苦悩を見通す巫女と、それを伝える解釈者ってわけね。表札に光和会って彫ってあったけど、それがレイミーのお祖母さんが作った会?」


 実里沢はゆっくりと頷いた。


「元々、お祖母ちゃんはこの村の歴史を誰よりもよく知る人で、相談を受けることは多かった。そういう意味で頼られることはあったけど、わたし――〝見鬼〟の力を得てから、もっと深い意味での信望を得るようになったんだ。わたしは悪い気はしなかった。お祖母ちゃんの解釈があってもわたしの力がなければ意味はない。みんなを助けているのは、わたしなんだって思っていた」


 表情に翳を落とし、実里沢は唇を湿らすように茶を一口飲んだ。


「……でも、東京の高校に進学して、見鬼の目で見たことを話しているうちに気づいたの。みんなが信頼していたのは、お祖母ちゃんの〝口〟の力だったんだ、って。……それで、自分の浅ましさに呆れた」


 見鬼の力があれば、わたしは自分がただ好かれると思っていたんだ、って。

 お祖母ちゃんのように、誰かを救いたいという思いなんてなかったんだ、って。


 聞き取れないほど低く落とした声で、実里沢はつぶやいた。

 

「――それは違うぞ、実里沢」


 思わぬところから聞こえた声に、僕は虚を突かれ目を向けた。隣の海江田も意外そうな顔をしている。


「君は入学式の時、見鬼で見た照明が落ちる予兆を教員に伝えたじゃないか。高校時代、その力を使うことで嫌な目に合うのはわかっていたはずなのに。それは、人に好かれたいとか注目されたいという思いじゃなく、その事故で誰かが犠牲になるのを防ぎたかったからじゃないのか?」


 真直ぐに実里沢を見つめ、犀川は訊いた。実里沢は大きく目を見開く。


「誰にだって他人に好かれたいという思いはある。そこが知らない土地で知人もいなければ尚更だ。それで必死になって空回りして、嫌煙されることもあるだろう。君の場合、その特殊な力のせいで奇異の見られてしまうこともあったんだろうな。疎外されて、孤立して、自分の抱いた思いが間違っていたと思い込んで……でもな、実里沢。人に好かれたいという下心があって見鬼の力を使ったとしても、それは悪いことじゃないし、君の思いはそれだけじゃなかったはずだ。御堂の時だって、彼を助けたいと思ったから言ったんだろう?」


 ちらり、と犀川は僕に目をくれる。

 工学部近くの図書館で実里沢に助けられた時のこと。あの時実里沢はすぐに姿を消してしまったが、彼女が叫んだから僕は飛んできたボールをかわせたのだ。

 そうだ。犀川の言う通り、実里沢は僕を助けたのだ。何か見返りを期待したわけでもなく。


「あれは……御堂に向かってくる‶モノ〟が見えたから……つい口から出ただけで」

「助けたい、という思いがなければ口に出ることもあるまい」


 戸惑ったような表情の実里沢に、犀川は断言した。視線は動かない。


「――実里沢。君が東京に出ようと思ったのは、自分がどういう存在か〝知りたい〟と思ったからじゃあないのか?」


 あくまで淡々と、感情的になることなく犀川は通る声で喋り続ける。


「この村にいるのは居心地がいいだろう。君の祖母が作った環境で君に否定的な者はいない。誰もが君を信頼し、君はその信頼に応える。……でもそれは、君の祖母が作った殻の中で生きていくということだ。その殻の中にいるのが嫌で、その殻を破った自分がどんな存在なのか知りたくて――だから君は、東京に出たんじゃないのか」

「!」


 口を一文字に結び、実里沢は顔を背けた。


「殻から飛び出して、外の世界の人々と関わった君は、自分が思い描いていた自分と違うことに気づいた。周囲からの目と言葉でその事実を嫌というほど味わった。傷つついたし、辛いこともあっただろう。……それでも長野に帰らず高校を卒業して大学に進学したのは、そんな自分を、変えたいと思ったからじゃあないのか。自分が、思い描いていた自分になれるように」


 それなら、と犀川は言う。

 精悍な表情を少し和らげ、実里沢を見つめたまま言葉を紡ぐ。


「もう少し頑張ってみないか。俺たちが出会えたのは、何かを変えるチャンスを誰かが与えてくれたからだと思う。俺にも、君にも」


 言い終えても、犀川は返事を待つように視線を外さなかった。

 やがて、ゆっくりと実里沢が面を上げる。


「――あんたに何がわかるの」


 拒絶の音。キッ、と目を吊り上げ、犀川を睨みつける。


「ウチが高校で受けた扱い、何にも知らないクセに。優等生気取って、周囲に打ち解けないヤツを気にかけて……それがどれだけ鬱陶しくて、屈辱的なことかってわかる?」

「そんなつもりはない。俺は――」


 だんっ! と畳を拳で叩き、実里沢は犀川の言葉を遮った。


「ここは〝ウチの村〟だ――。大学じゃないし、学生会のあんたの言うことに従う必要もない」

「……………………」


 顎を引き、犀川は反論しなかった。

 一度大きく深呼吸して、次に顔を向けた時、実里沢の表情は僕らを出迎えた時のものに戻っていた。


「この村はあんたたちの活動に向いてるかもね。飛鳥時代にはもうあったっていうし古い遺跡も残ってる。せいぜいフィールドワークなりなんなりして、学祭の発表にでも使いなよ」


 素っ気なく言って立ち上り、実里沢は廊下側の襖の前へ歩いて行く。


「ちょっと、レイミー……」

「泊まる場所がないなら夢瑠に訊いて。それで調べたいこと調べたら、さっさと東京に帰って」


 言い残すと、ぱたんと襖を閉じて実里沢は去って行った。

 残された僕らの間には沈黙が落ちる。


「…………早まったかな」


 しばしの間を置き、犀川がすまなそうにつぶやいた。


「んーん。よかったと思うよ。レイミーすぐに帰れとは言わなかったし、完全に拒否られたわけじゃないと思う」


 海江田の口調は気楽なものだ。犀川は小さく頷いた。


「で……どうするんだ、これから。ホントにこの村でフィールドワークするのか?」


 ようやく話せる雰囲気になり、胸を撫で下ろしながら僕は訊く。


「他にやることもないしねぇ~。またレイミーに会うチャンスが見つかるまでは」

「会うチャンスって、結構バッサリ切られた気が……」

「乙女心がわかってないなぁ、要っちは」


 両手を頭のうしろで組み、海江田はぱたりと畳の上に仰向けに倒れた。


「泊まる場所の提案までしてくれたんだよ? あれは多分、いくらか心が動いてる証拠だよ」


 確信じみた声で言う。大した自信だ。

 僕一人だったらさっさと尻尾を丸めて東京に帰っている。


「ま……厄介なのは、その泊まる場所を相談する相手が恐らくあたしらのことを快く思っていないってことだね……」


 眉間に皺を寄せ、寝っ転がった海江田は剣呑そうにつぶやいた。

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