長野編 1-1

 

 誰かを救いたいと願うのは驕りだろうか。自分にそれができると信じ、行ったことでしっぺ返しを食らってしまうのは、過信した自分への罰なのだろうか。

 確かに報われたい気持ちはあったかもしれない。自分がしたことが誰かに認められ、それで尊敬されたり、尊ばれたりすることを望んだかもしれない。

 でも、その根底にある思いはただ助けたいという願いだったハズだ。自分にはそれができる、だから手を差し伸べたいという気持ちだったハズだ。

 もし、そういった思いに僅かでも私欲が混じるのが不純だというなら、世の中の善意の大半は私欲に満ちたものではないのか。

 自身の欲求と善意の行動、それらは混じり合い、分かち難い結びつきがどこかである。それを理解しつつも受け入れるのが、人間という動物であり、人と人が繋がるための方法ではないのか――。


 ともあれ彼女は戻ってきた。異界を覗く両の瞳を持ったまま。

 失意を胸に、自分が役立つことができて、必要とされるこの場所に。


                  ※


 早朝、軽井沢駅前に着いた長距離バスから降りた人数はそう多くなかった。

 シーズン外――もう数週間立ち夏本番になれば、涼しく過ごしやすいこの地には大勢の観光客が来るのだろうが、今は肌寒く、六月だというのに体感温度では冬前だ。


「――とーっちゃっくっ!!」


 乗務員がバスの荷物入れから出したリュックバックを受け取ると、海江田は周囲を見回し、右拳を振り上げてそう叫んだ。


「あー、よく寝たっ! この時期は空いててよかったねー」

「少し身体が軋むがな」

「……まったく、眠れなかった……」


 首や肩を回す犀川、アホみたいに元気な海江田の横で、僕はメガネを外し、クマのできた目元を擦りながらつぶやいた。


「二度と乗らないぞ……夜行バスなんて……」

「なんだなんだ情けないなぁ、要っちはぁ。本番はこれからなんだぞっ!」

「ぼかぁ君らと違ってデリケートなんだっ。あんな揺れ動く乗り物の中で熟睡なんてできないんだっ!」

「軟弱だなぁ……自然災害とか起きたら真っ先に死ぬタイプじゃん。パールのようなモノに殴られて」

「それは人災だろ……」


 物騒でしょうもない会話にも力が入らない。尻は痛いし身体は壊れたパイプ椅子みたいにガタガタする。


「どこかで休みたいけど……何にもなさそうだな……この辺」

「まだ早いから開いている店もないな。十時になれば、駅の向こう側のアウトレットが開くようだが」


 スポーツバッグを肩に掛けながら犀川が言う。スマホを使いバスの中であらかじめ調べていたようだ。

 顔を上げ、僕は周辺の様子を窺う。

 軽井沢駅の造りは中々洒落ていて、ガラス張りの駅舎は最近の博物館か美術館という感じだ。構内へと続くデッキの下に停車場、開放的な入り口は、まさに観光地の出発点という風情がある。

 顔を海江田へ向ける。


「――で、ここからどうすんだ? 実里沢たちの故郷はもっと新潟よりなんだろ?」

「えーっとね、ちょっと待ってて……」


 スマホを取り出し、海江田は何か検索し始めた。


「確か、ここからバスが出てるんだよ。レイミーたちの故郷に向かう。……えーと、今七時半か……」


 しばらく操作し、それから、はっ! と緊迫した表情を上げて、海江田は僕らを見た。


「……どうした?」


 ただならぬ雰囲気に、僕と犀川は若干の緊張を持ちつつ訊ねる。


「ここ、熊野皇大神社行のバスも出てるよっ! 見てかないっ!?」

「……あのなぁ」


 興味の湧いた先に向かう相変わらずのマイペースっぷりに、僕は続く言葉も浮かばず肩を落とした。


                  ※


「山ばっかりだな……」


 壮大だが一向に代わり映えのしない景色を眺めつつ、僕はぼそりとつぶやいた。

 七時になってようやく開いたコンビニで朝食を買って食べ、開店前の店ばかりのアウトレットをブラブラして時間を潰し、そして、ようやくやって来たバスに乗り込んだ。

 バスは道路沿いに立ち並ぶ観光向けの店、シャレオツなイタ飯屋などを傍目に山道へ入り、そこから人家もまばらな坂道をひたすら上り続けた。

 終点、寂れた社近くの道路の前で、本数が一時間に一本もない新たなバスに乗り継いで、さらに山を眺め、山を潜り、山を登り――。


「あー熊野皇大神社行きたかったなぁ~、白糸の滝も近かったのにぃ~」


 横では海江田が未練がましくブツブツと文句を言っている。

 うしろの席には荷物と一緒に犀川。斜面に段々差で作られた畑や民家などをめずらしそうに眺めている。


「観光しに来たわけじゃないだろ……ってか、僕静かなところで少し眠らないと身体が持たないんだけど……」

「変な時間に寝ると睡眠サイクルおかしくなるよ。若いしヘーキヘーキ。長野って蕎麦のイメージあるけど、軽井沢は蕎麦屋少なかったね。戸隠とかが有名みたい」

「……揺れる中でスマホ見てると酔うぞ」


 興味津々に検索する海江田に忠告しつつ、僕は遠くを眺めた。

 軽井沢に着いてからもさらにバスに乗り続けて二時間以上。速度は前よりも緩やかだが、いかんせん車両が古いせいか、乗り心地は悪くかなり揺れる。気を抜くとへたってしまいそうだ。

 とはいえ、他に走る車は少なくバスは延滞もせず走り続けている。このままならもう十分ほどで目的の村に着くはずだ。


「あっ! ほらほら、この築山ってトコ!! 美味しそう!!」


 僕の善意の助言などお構いなしに、スマホの画面を向けてくる海江田。


「……そうだな……」


 反論する気力もなく頷き、僕は着いた先の村で、早々に宿泊できる場所が見つかることを切に願った。


                  ※


 鬱蒼とした林のカーテン。それを抜けた先に表れたのは、山を切り崩して作られた滑らかな傾斜と平地が入り混じる村だった。

 着いたバス停は、まるでジブリ映画で猫バスが来るような雰囲気を醸し出している。


「おー、すっげぇ! マジ畑しかないっ!!」


 バス停から少し歩いた先、村の入り口から広がる景色を見て開口一言、海江田はでっかい声で叫んだ。


「古い民家が多いな。しかし、山の中にこんな開けた場所を作るとは……」

「隠れ里ってやつかね。もしくは限界集落か?」


 感心したように言う犀川の横で、僕はシニカルに軽口を飛ばす。

 首都圏を出たことがない僕の視野が狭いだけなのかもしれないが、現代でもこんな忘れ去られたように隔てられた村があるとは驚きだ。周囲は木々で囲まれ、農家らしき民家の近くには小型トラックがある。

 そういえば……ここに来る間にたまに見た車種だ。この辺りでの乗用車はあれがスタンダードなのかもしれない。


「車なきゃ生活できないよな……見た感じコンビニすらないし」


 生活の様式からして僕らとは根本的に異なるのだろう。七津橋教授はこういう場所を訪ねてフィールドワークを行うのだろうか。


「ま、色々気になるケドね。とりあえず――レイミーの家、探してみよっか?」


 村名が刻まれた立て札の横に立ち、僕に写真を撮るよう促しながら、海江田はにんまり笑って言った。

 

 村内は五十メートルから三十メートル程度の長さで四方を囲まれた畑と、それに付随する古い民家が大半を占めているようだった。

 山の中にありながら整備された田畑は奥深く広がり――それは先祖たちが長い年月をかけ開拓して作り上げたこの土地での生活を、ここに暮らす人たちは細々と、しかし途絶えることなく受け継いできたという証だった。


「野菜作ってる家が多いみたいだし、それが生活の基盤なのかな。JAと繋がりあるのかな?」

「さあな……でも、自足してるって言われても信じそうになるな……」


 畑や家より一段土を盛り上げて作られた道を、三列になって進む。車が通るためそれなりに道幅は広い。乾燥した地面には轍が刻まれている。

 遠目には畑に出て仕事をしている人もいるが、僕らが歩く道の周辺に人の姿はない。


「のどかだな……前時代的というか……昭和初期にでもタイムスリップした気分だ」

「そうだねぇ。昔話にでも出てきそうなところだよねぇ~。こういうトコって、話で聞いても実際来ないと実感湧かないし。やっぱ自分で足を運ぶのって大事だわぁ」


 海江田の声は弾んでいる。どうやらこのド田舎の村落を気に入ったらしい。


「や~我がマヨイガ探索隊が最初の活動で訪れる場所としては申し分ないねぇ~。……あとは何か、語り伝えられるいわく話の一つでもあれば上々なんだけど」

「僕たちは、実里沢から帰郷した事情を聞きに来たんじゃなかったのか?」


 そのために長野くんだりまでしてこの村を訪れたのだからクレイジーだ。今期の講義はまだ一度も欠席していないのが幸いだった。


「ま、それはそれとして。せっかく来たわけだしね」


 僕の指摘をあっけらかんと海江田が流していると、犀川が、前に人さし指を向けて立ち止った。


「雑貨屋だ」


 見れば畑の区画で作られた曲がり角の近くに、『下柳商店』と古ぼけた看板をつけたレトロ調の建物がある。農家ばかりの中では異質だが、それも昭和か平成初期のドラマや映画で見るような造りだ。


「なつかしー。こういう感じの店、あたしが子供の頃行ったプールの近くにあったよ」


 言いながら、海江田はとてとてと小走りで下柳商店に近づいていく。


「あ……おい!」

「実里沢の家の場所を訊いてみるか。土地自体は中々広いが、住んでいる人口は少なそうだし訊けば知っているだろう」


 冷静に告げた犀川に顔を向け、僕はため息をついた。


「何か……金田一とか、推理小説ものの冒頭場面みたいになってきたなぁ……」


 仮に事件に巻き込まれる登場人物になるのなら――残念ながら、僕は序盤であっさり殺される被害者程度の役だろうが。


 看板建築の商店の軒先は古ぼけたガラス張りの木戸が開け放たれており、乾燥唐辛子や魚の乾物、煎餅や金平糖などが並べられていた。

 中にある棚にはシャンプーやリンス、石鹸に歯ブラシといった生活用品が置いてある。さしずめ、この店は都会でいうところの雑貨屋――ドラッグストアのような役割を果たしているのだろう。

 商品は圧倒的に少ないケド。打って落としたら貰えそうなレイアウトだし。

 さらに奥を覗いてみると、突き出した商品台よりも中は土間になっており、内のガラス戸で仕切られた段差の上が住居スペースになっているようだ。


「すみませーん!」


 店内に入るや、海江田は両手を拡声器代わりにして叫んだ。反応はない。


「あのー! すみませーん!!」

「――はぁ~い」


 声量を上げた二度目の呼びかけに、ガラス戸の向こうから細い声が返事をした。ややあって戸が開かれ、頭を手拭いで包んだ割烹着姿の女性が出てくる。


「おんやぁ……見ない顔ずらねぇ。都会から来た人かや?」

「東京から来ました」


 にっこり愛想よく笑って答える海江田に、初老の女性もつられたように笑みを返す。


「あんれま、若い人でも来るのはなから松本か軽井沢の人ずら。東京からの人ってのは……」


 言いかけて、初老の女性はああ、と合点いったように頷いた。


「もしかして自分ら、玲実ちゃんの友達ずらか?」

「ええ、そうです」


 一瞬も躊躇わず海江田が即答した。僕は吹きかけたが、さすが犀川は無表情のままだ。


「そうずらか~。いや~今朝早くに夢瑠ちゃんが挨拶来ただに。お姉ちゃん戻ってきたから、また困った時は訪ねて来てくださいねって。相談乗るから」


 ――相談?


「あ~そうなんですか」


 海江田の表情は笑顔のままだ。ちらりと、僕は初老の女性の様子を窺う。

 人のよさそうな、田舎のおばあちゃんといった風体だ。僕が気にかけた言葉にも含蓄があるような空気はない。


「やっぱり玲実ちゃんがいると何かと頼りになりますかぁ?」

「そうずらね~。お祖母さんが亡くなった時は仕方ないって思ったけど、若い子たちも戻ってきてほしいって言ってたからねぇ」

「そうなんですか~」


 人懐っこく、そしてちょっとバカっぽく海江田は受け答えしている。

 警戒されない仕草をよくわかっている。つくづく、油断ならないヤツ……。


「東京でも、玲実ちゃんに助けられた人は多かったかや?」

「ええ、もちろんっ。大きな事件を未然に防いだりしましたからぁ」


 ね? と言って、海江田は犀川に目配せする。犀川は小さく頷いた。


「な~。やっぱり、あの娘は特別な娘だになぁ。戻って来てくれて本当によかったずらぁ」


 女性は感慨深げに何度も首を縦に振って、深く息をついた。


「ね。それで、ですね……あたしたち、玲実ちゃんに伝え忘れたことがあってここまで来たんですけど。彼女の家がどの辺りか、教えてもらえませんか?」

「そんためにわざわざ? へぇ~えらいもんだにねぇ~」


 感心した顔でそう言うと、女性は土間に降りてサンダルを履き、僕らの横を通って外へ出た。


「この道、ずぅっと行った先、林が少し陰ってるのわかるかや?」

 

 女性が指さす方向は、坂道にさしかかった付近で木々の繁みが増しており、見通しが悪くなっていた。


「その坂を上って行ったところに、頼子さんの家があるだに」

「頼子さん?」


 横に来た海江田が訊ねると、女性は顔を伏せ、少し悲し気に微笑んだ。


「玲実ちゃん、夢瑠ちゃんのお祖母さんな……。三年前に亡くなっちまったけんど」


「――なあ……何か知ったように話してたけど、一体どういうこと?」

「何が?」


 下柳商店の初老の女性に礼を言って別れ、僕らは彼女が示した道を歩いていた。

 先ほどと違って黙々と足を進める海江田に、僕はどうにも胸にかかったモヤが晴れず、根負けして訊ねた。


「言ってたじゃないか。相談に乗るとか、実里沢が人を助けたとか」

「鈍いなぁ、要っちはぁ」

 

 心底呆れたようにため息をつき、海江田は僕に顔を向けてきた。


「レイミーがこっちにいた時、お祖母さんの家で世話になってたって前に言ったじゃん」

「それは聞いた気がするが……」

「レイミーの見鬼の力は血筋に寄るものだって。その血筋であるお祖母さんはレイミーに理解があって、こっちで〝そういう系の会〟を開いていたって」


 そんなこと、聞いたような、聞いていないような……。

 旅立つ前日――すなわち一昨日、実里沢が長野に帰ると海江田が騒ぎ立ててうちに来た時だろうか。酒が入っていたので記憶が曖昧である。


「その会で、レイミーと彼女のお祖母さんはこの村の人たちを救ってたのよ。相談を受けてね」

「救うって……どうやって?」

「見鬼の力は異世界を覗くだけでなく、憑いている〝モノ〟や〝コト〟から、その者の未来、過去を窺うこともできるそうだ」


 犀川が口を挟んだ。海江田は満足そうに頷く。


「入学式、講堂の照明が転落することを実里沢は予見してみせた。具体的な事柄まではわからなくても、ある程度の範囲でヒントを得られるのなら――それで相手に注意を促すことは可能だろう」


 正面を向いたまま、犀川は淡々と告げる。


「そうそう。困って相談しに来るぐらいだから、その人は何かしらの〝モノ〟や〝コト〟に憑りつかれているんだろうね。――レイミーがそれを〝見て〟、それが何か〝聞いた〟お祖母さんが言葉巧みに注意を促す。霊視したことが当たって助言で救われ、お祖母さんが作った会は、この村の人々の信頼と支持を集めていた」


 海江田の口元には笑みが浮かんでいる。食えない探偵が謎解きをする時のような不敵な笑みだ。


「でも、お祖母さんが亡くなったことでレイミーは両親の元に戻り、東京の学校に通うことになった。レイミーのお祖母さんは会とこの村の支柱的な存在だったんだろうね。さっきの店のおばちゃんの言い方からみても、頼りにされてたみたいだし」


 言われて僕は下柳商店にいた初老の女性を思い出す。実里沢が戻ってきて本当に良かった、と言っていた。

 実里沢が特別な娘であるとも。


「実里沢の祖母と実里沢を失うことは、この村にとって精神的な損失だったのだろう。だから、三年の月日を経て叶った実里沢の回帰を喜んでいた」

「そういうことだろうね。……だけど、一つ重大な問題がある。レイミーの予見を村人に理解できるよう伝えたお祖母さんはもういない。その代わりの存在としているのが、レイミーを迎えに来たという妹さん」


 犀川の言を肯定しつつ、海江田は滑らかに語る。


「実里沢夢瑠ちゃん、だっけ? レイミーが東京に行った時、彼女は何故この村に残ったのか。ここでいったい何をしていたのか。……そして、何故四年後の今になってレイミーを連れ戻しに来たのか」


 まあ予想はつくけどね。つぶやいて、海江田は笑みにシニカルなものを滲ませた。


「とはいえ、実際対面してみないとどんな娘かはわからないからねぇ」


 笑顔のまま告げた海江田の声は、表情とは裏腹に刺々しいものを含んでいた。


 どうも機嫌がよろしくない……何怒ってんだ、こいつ? 


 そういえば犀川は海江田と夢瑠が似たタイプだと言っていた。海江田にしてみれば自分が利用しようと思っていた実里沢を先に奪われたと感じているのかもしれない。

 この自分勝手な女なら、それぐらいの逆ギレはしそうだ。


「おいおい……手荒な真似はやめてくれよ」

「そんなことする必要ないでしょ。あたしはレイミーと、その夢瑠って娘と話したいだけなんだから」

 

 あっさり言い切り、歩を進める。

 面倒なことになりそうだなぁ……と危惧しつつ犀川に目を向けると、彼は木々に覆われた上方へと続く坂道を睨むように見つめているのだった。

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