4-8
「――モンタナ食堂で会った同級生に聞いたんだけどさ、今日の夕方、教員棟に選択科目の質問で行った時、学年主任の部屋にレイミーがいたんだって」
海江田は興奮した様子で話している。ちゃぶ台上、湯呑に注いだ酒にも一口つけただけだ。
「で、そこでレイミーが休学したいって話をしてたらしくて。自分の用事もあったからちゃんとは聞けなかったそうなんだけど、家庭の事情が理由みたい。あたし、慌ててレイミーの担任の箕輪先生の所に行って、聞いてみたらホントでさ。とりあえず親御さんとの話し合いもあるから保留にして、明日、一度長野に帰るんだって」
一気に喋ると、海江田は気を落ち着けるようにふーっと息を吐き、湯呑を呷った。
「家庭の事情か……」
海江田が持ってきた日本酒、久保田千寿大吟醸を器に注ぎながら、犀川は低くつぶやく。
すっかり呑みの場が板についてしまった僕の部屋。ちゃぶ台の上には酒の他に、犀川がスーパーで買ってきた値引き総菜が多数置かれている。
うちに来た海江田が、緊急招集だ! と騒いで電話をかけたところ、ちょうど彼は晩飯の買い物の最中だったそうだ。
「しかし、ずいぶん突然だな。今朝妹が訪ねてきて即休学希望とは……身内に何かあったんじゃないか?」
「多分違うと思う。レイミーの両親は、都内に住んでるし」
少し考えて海江田は言った。まあ確かに、夢瑠の様子にも切迫したような雰囲気はなかった。
「ちょっと待てよ……実里沢は、高校に上がるまで長野にいたんだろ?」
ネギトロ巻きを口に運びながら、僕は海江田に訊く。
「うん、そう。レイミーは中学まで長野にいて、高校進学と同時にこっちへ移って来たんだって。……でも、両親はレイミーが子供の頃から東京にいて、今も一緒には住んでいないみたい」
「じゃあ実里沢は、長野で誰の世話になってたんだよ?」
「母方の祖母の家にいたそうだよ。レイミーの見鬼の目ってさ、高校時代の同級生が聞いた話によると、血筋で遺伝したものだそうで。だから血族のお祖母さんはその力に理解があって、長野で霊視の会も開いていて、レイミーも参加していたんだって」
「見鬼……霊視の体質を治すためにか?」
「うーん、どうだろ。こっちにいたら、色々なモノが見え過ぎちゃうっていうのはあったみたいだけど。だから田舎でその力に詳しいお祖母さんと一緒に暮らしてて……でも、レイミーが中学三年の頃にお祖母さんが亡くなっちゃったんだって。それをきっかけに両親がいるこっちへ戻ってくることにして――ってか、この情報は前に渡したファイルにも書いてあったけど?」
「そうだっけか……」
思い出したように睨んできた海江田から目を逸らし、僕は視線を泳がせた。
「しかしよく調べられたな。それだけの情報を」
感心した顔で犀川が口を挟む。
まーね、と少し機嫌を直して海江田は湯呑みの酒を舐め、バンバンジーサラダに箸をつけた。ナイスフォローだ。
「人伝えだから、いくらか誇張も入ってるかもしんないけど――高校に入学したばかりのレイミーは、よく喋る娘だったらしいよ。だけど、見鬼の力で見たモノや起こったことを話していたら、変な噂が立つようになっちゃって。それから一人でいることが多くなったって、あたしが聞いた娘は言ってた」
良くも悪くも、高校時代の実里沢が有名だった話は前に聞いた。彼女の力を面白がって近づく者、気持ち悪がって陰口を叩く者。
……残念ながら、味方になってくれる者はいなかったらしい。
「そうか」
顔を俯かせ、犀川は注いだ酒に口をつけた。
「彼女の妹……実里沢夢瑠にも、見鬼の目はあるのだろうか?」
銘酒を味わいつつ訊ねる。
「それはわからないなぁ……ってかさ、妹がいることすら知らなかったし。長野から来たって言ってたんでしょ、その娘?」
海江田が僕を見てきたので頷く。
それから僕も、自分の器に口をつけた。
スッーと滑らかに喉を通っていく酒だ。日本酒特有の重い発酵感を感じさせない。香りは仄かにフルーティ。吟醸酒以上が持つ香りだと以前海江田に教えられた。
「――ああ、中学時代の実里沢の写真も持っていた」
「でもさぁ、お祖母さんが亡くなってるなら、今その娘は誰のところでお世話になってるんだろうねぇ。まだ未成年だし、保護者はいるでしょ?」
「他に親戚がいるんじゃないか?」
「いないって、レイミーは高校の頃言ってたらしいけど。だからこっちに出てきたんだって」
……なるほど。
確かにそれなら実里沢の妹だけが長野に居続けるのはおかしい。両親もこちらにいるのだし。
「俺たちの知らない事情があったのかもしれない。実里沢も、その高校時代の知人にすべてを話していたわけではないだろう」
「ん~……それはそうかもしんないけどさぁ……」
海江田の表情は不満げだ。腕を組み、睨むような視線を天井に巡らせている。
「まあ、納得できないのは俺も同じだがな」
器を空け、物憂げな声で犀川はつぶやいた。
「初対面で人を評価するのは気が進まんが……あの実里沢の妹という少女、食えない感じだったな。喋りは流暢だが、それは腹にある何かを隠すためかもしれん」
「ずいぶん具体的に言うね」
意外そうに、海江田は犀川に目を移す。
「秋吉くんが、他人をそんな風に言うのもめずらしいし」
それは僕も思ったことだ。
犀川は苦笑を浮かべる。
「俺だって人を勘ぐることはある。その祖母が開いていた会というのも気になるな。どんな会だったんだ?」
「んとね……これも人伝えだからざっとした感じなんだけど、悩みを持つ人の話を聞いて助言したり、これから起こる悪いことを言い当てて安心させたり――ま、いわゆるカウンセリングみたいなことをする会だったみたい」
喋りながら、海江田はニヤニヤと笑った。
「いい感じに胡散臭くて気になるよね~。実際、そこでどんなことが行われていたのか……」
「会の人間の相談のために、実里沢の力が使われていたのだろうか」
「恐らくそうだろうね。代々伝わっている血筋に寄るものなら、そのお祖母さんにも見鬼の目はあったのかもしれないし」
「会を続けるために、実里沢を自分の後継にとでも考えていたのかもしれないな」
海江田と犀川の会話は弾んでいる。
〝見鬼の目〟を利用した奇妙な会。推理ミステリー小説にでも出てきそうな題材で、実際にあったのなら確かに興味深い。
――が、僕はどうにも気が乗らず、それ以上会話に加わることなく、そこそこ早いペースで盃を重ねていた。
犀川が買ってきた総菜――寿司や揚げ物、サラダなどを摘まみ悪酔いしないよう気を使いつつも、それでも早く酔っぱらってしまいたいのが今の本音だ。
……そう。正直な話、僕は実里沢や彼女の妹夢瑠や彼女らの祖母がやっていた会のことよりも、川上さんへの敗北感で頭がいっぱいなのだった。
だいたい実里沢がどんな事情を抱えているのかなんて知ったことじゃないじゃないか。言ってもまだ他人だし、彼女はマヨイガ探索隊に入ったわけでもなく、入るつもりもないのだ。
そんな彼女を何故そこまで気にかけることができるのか――海江田は目的のために彼女の力を利用したいからだろうが――犀川の方は不思議だった。
彼が実里沢と直接関係したのは校内説明会の一点のハズだ。それだけの接点で、家庭事情にまで気を回すのは余計な世話じゃなかろうか。
「あのさ……実里沢には実里沢の事情があるんだろうし、僕らが必要以上に深く関わるのは余計な世話なんじゃないか?」
実際に言ってみた。
「なーんてこと言うのっ! 要っち!!」
ふんす! と鼻息荒く、海江田が目を剥いて拳を振り上げてくる。
「キミは同じサークルの仲間がいなくなるっていうのにっ、それを黙って見送れって言うのっ!?」
「いや、だからまだ参加してるわけでもないだろーが……」
ポカポカと拳で右腕を叩いてくる海江田から距離を置きつつ、僕は横目で犀川を窺う。
「確かに、そうかもな」
あっさりと認め、犀川は日本酒の入った器を少し舐めた。
「! 秋吉くんまでそんなことを言い出してっ!」
「落ち着け、海江田」
くわっ! と牙を剥いてきた海江田に、ちゃぶ台越し犀川は掌を向けた。
「確かに御堂の言うことはもっともだと俺も思う。……が、一般論で退かないようなことをしたいから、俺はこのサークルに入ったんだ」
犀川は片目を閉じてみせた。
「もし実里沢が意図的に孤立を望んでいるのなら、俺も関わるつもりはなかった。だが話を聞く限り、あいつの孤立は見鬼の目とその噂による影響が大きいのだろう。それならば――お節介だろうが、どうにかしてやりたい。俺自身、見鬼の力にも興味はあるしな」
淡々と告げた犀川を、僕と海江田はまじまじと見つめた。
元はよく話す性格だった――と、海江田は実里沢の高校時代の知人から聞いたと言っていた。
一人で東京に来た実里沢は友人を欲しがっていたのだろう。だが、自分に興味を持ってほしくて話した見鬼の目のことが、逆に周囲から浮く原因になってしまった。
その結果、距離を置かれて孤立した。そこまでわかっているなら犀川は――見かけによらずお人好しなこの男は――どうにかしてやりたいと思うだろう。
短い付き合いの中でも僕が知る犀川秋吉という男は、そういう男なのだった。
「それでも前の俺なら一歩引いて見ていただろうがな。人の人生にそこまで関わる権利はないと。……でも君たちと知り合って、空手部を辞めることを決めて、学んだことがある」
「何をだ?」
思わぬことを言われ、神妙な気分で僕は訊く。
「〝思った時が行動する時〟だ。周りに多少迷惑をかけても、それが自分が良しとしたことなら勝手に思われても後悔はない。それで新たな道が開かれることもあるのだ、とな」
口元に含みのある笑みを浮かべて言うと、犀川は日本酒の器を空けた。
「――そういうことだよっ! さっすが秋吉くん! いいこと言うねぇ!!」
さっきの激昂から一転、満面の笑みを湛えて海江田が叫んだ。感情の切り替えの早いヤツだ。引きずらなくて羨ましい。
「そうっ、迷った時こそまず行動っ! それこそがマヨイガ探索隊活動指針第一条!!」
明らかに今思いついただろう指針を述べると、海江田は一升瓶を掴み自分の湯呑にどくどくと注いでから、はいっ! と勢いよく手を上げた。
「……何だよ」
面倒だが、無視するとまた機嫌が悪くなりそうなので促がしてやる。
「そんなワケで我がサークルはレイミーを追って直接事情を聞くため、明日出発の長野旅行をマヨイガ探索隊会長命令の元に提案しますっ!!」
「ああっ?」
「長野旅行?」
驚きつぶやく犀川と、露骨に顔を歪める僕の視線を受けて、海江田は湯呑に入れた酒を一息で呑み干してみせた。
「出席日数、余裕あるよねぇ? これがマヨイガ探索隊の活動記録、第一号だよっ!」
顔は笑っているが目はガチだ。
どうやら本気らしい海江田の言葉に、僕はもうどうにでもなれという気分で器の酒を呷るのだった……。
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