4-7
部屋に帰ったのは七時過ぎ。
駅前の牛丼チェーン店で夕食を済ませ、ブラブラと街を歩いていたら遅くなってしまった。
まだ面接を終えただけなのに、やり切った感が凄い。よくやった僕! と、何の成果も上げていないのに自分を誉めたくなる。
「ふい~」
その日はシャワーだけでなく湯も張り、久しぶりにゆっくりと風呂に入った。
やっぱりたまには湯船に浸からないと疲れも取れない。特にここのところ――海江田と知り合ってからは、アクティブな日々が続いているし。
風呂から出て頭を乾かし、それから冷やしたコーヒー牛乳を一杯。
海江田ならビールの方がいいのだろうが、僕は湯上りにはコーヒー牛乳と決めている。小説で煮詰まった時にも血糖値を上げてネタを捻り出すためによく飲む。
腰に手を当て、一気に開ける。空になったコップを流しに置き、それからテレビでも見ようかと思ったところで、ちゃぶ台の上に置いた小冊子に目がいった。
――アマチュアが書いた創作文芸誌……。
僕も現文研に入っていた頃は二月ごとに文芸同人誌を書いていたのでよくわかるが、その大半の作品は未熟で、熱意はあっても出力の仕方がわかっていないために、面白いかつまらないかの判断さえしかねる作品だ。まあノリというか、世界観やキャラクターが自分好みなら、破綻している部分があっても面白く感じることはあるのだが。
――が、それは仲間内でウケるようなものであって、一般の読者に求められるような魅力ではない。
……でも、せっかくもらったんだし。
ちゃぶ台の前に座り、手を伸ばして冊子を開く。
一人、二十ページ~五十ページ程の小中編だ。作者は五名。
目次の所には、川上さんの名前も記されている。
希望制と言ってたし、これでサークルメンバー全員というわけではないのだろう。僕が入っていた現文研は同人誌を出す時は原則全員提出だったが、川上さんの入っているサークルはわりかし緩いところらしい。
それだけで文筆力を決めるのもアレだが……温い環境では書き手の技量も温くなるものだ。うちの現文研程度でも、プロを目指すほどの意識と力を持つ者はそういなかった。
正直、たいして期待はできない。それでも読めば勉強になることはあるかもしれない。
駄作なら駄作なりに反面教師として学べることもあるし、自分より劣っていると確信を持てれば、ちょっとした優越感に浸ることもできる。
「……ふむ」
一応、頭から読み始めることにした。速読は得意だ。内容を理解するだけなら十五ページ程度を五、六分で読み終えることができる。
「………………………………」
最初の人が書いたのはショートショート。星新一を意識したようなものだ。
願い事を三つ叶えられると神に言われた男が、口を滑らせてつまらないことにそれを使ってしまい、助けたい人がいるのに助けられない、という救いのない話だ。
まとまとりはいいしシンプルな文章で読みやすい――が、いかんせんチープな起承転結で、どこかで見たものの焼き直しという印象は否めない。
「ふぅむ……やはりしょせん大学のサークルレベルか……」
最初の短編、そして次の中編を読み終えて、僕はニヤリとほくそ笑んだ。
過信するわけではないが、これなら僕の方が上だ。キャラクターの造形もストーリーのインパクトも文章力も。
同じ分量で、より面白い作品を書く自信はある。
「三年生か、この人。――ま、もう少し物語の進みに緩急つければ、よくなると思うけどね」
人が聞いたらドン引かれるような上から目線の批評をつぶやき、僕は優雅にページを捲る。
「良本の読み込みが足りないんじゃないのかなぁ~。文章力は読んだ本の量に比例するって言うし……表現力もいまいちで、臨場感がないなぁ」
自分の方が面白いと自信を持ち、他人の作品につべこべ言えるのは楽しいものだ。我ながら性格悪いと思うが。
「お……これ、彼女の書いた話か」
四作目。作者のところに川上かな子とある。
タイトルは〝カラ、ついてますよ〟。お尻に卵の殻をつけたひよこの歩くイラストが、文章が始まる前に小さく描かれている。
「どれ、お手並み拝見といきますか……」
すっかり気分を良くし、僕はベッドに寝っ転がると、小冊子を顔の前に持ち上げた。
※
――数分後。僕は、小冊子を歪むほどに握りしめていた。
すでに川上さんの作品は読み終えている。それでもまた最初に戻り、繰り返し三回読み直し……そして、認めねばならない事実を理解した。
……面白い……圧倒的に。
他の会員が書いたものとは質からして違う。滑らかな文章、ところどころをあえて短く切った表現法。そして、主人公となる少女の感情が移り行くさま。
どれをとっても、大学生がサークルで書いたレベルのものではない。
自ずと目が文章を追い、脳が情景を作り出していく。
間違いなくプロレベル――いや、プロでもこれより稚拙な作品はいくらでもある。中編一作だけで評価するのは早計かもしれないが、これを書いた作者の長編なら多くの人が読みたいと思うだろう。
……しかし……それにしても……僕がこのレベルを書くとしたら、あと何作書けば……。
いや、例え文章が技術的に成長したところで超えられないものはある。それがセンス――〝才能〟というヤツだ。
何万人かに一人が持ち、誰が見てもわかる煌めき。ほんの少し触れただけで、格の違いをわからせる原石。
彼女――川上かな子は、間違いなくそれを持っている。僕にはわかる。読書好きの人間なら誰だってわかる。引き込まれる文章とはそういうものだ。
「ぐ……く……」
ベッドに仰向けになったまま、僕は顔の上にかざした小冊子を凝視し――そして、思い切り天井に投げつけた。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! くわっ、くわわわわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
頭を抱え、ベッドから落ちて、部屋をぐるぐると転がり回る。
背中がちゃぶ台の脚に当たり激痛が走ったところで、ようやく僕は止まった。
…………勝てない…………。
恐らく、これから僕がいくら成長したところで、彼女には〝勝てない〟。
元々の格――産まれついたランクの違いというモノがある。持てる者と持たざる者。一流と三流。勝者と敗者……。
目の肥えた読み手にならそれは一目で見抜かれ、一般的な読者においても違いは感とられてしまうはずだ。
彼女――川上かな子は、当然のように一流のプロ作家になるだろう。
そして僕は――もし作家になれたとしても――彼女に及ばないという劣等感を、一生胸に抱き続けるだろう。
「く、くう、くぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、くっ!!」
顔を両掌で覆い、僕はおいおいと泣いた。
――負けた。勝負をする前から、僕はすでに負けていたのだ。
現文研で価値観を否定された時だって、ラーメン屋のバイトで怒鳴られた時だって、大学でぼっちだった時だって、ここまで凹むことはなかった。
何故なら、それでも僕には小説があると思っていたから。誰もが絶賛するような小説を書く、輝かしい才能があると思っていたから。
なのに……この絶望感は、自分で認めてしまったからなのか。
小説しかないと思っていた自分。小説があると思っていた自分。その小説でもはるかに上をいく同年代の者がいて、僕は勘違いした無根拠な自信を持ってるだけの、薄っぺらいヤツでしかなかった――と。
でも……そしたら僕は……僕は、どうしたらいいんだ……?
「おーうおう、おうおうおう! おーうおうおうおうおうおうおう……!」
「――要っち! 大変だよっ!! 」
全身を震わせ、哀しみの嘆き声をあげる。――が、突如それを打ち消すように勢いよく開かれたドアの向こうから、海江田の怒鳴り声が響いた。
「おーうおうおうおう! おーうおうおうおうおう……」
「ちょっと要っち! 楽しそうなトコ悪いけど、オットセイの鳴き真似趣味に勤しんでいる場合じゃないよっ!」
そんな気色悪い趣味あるか、アホ! という気力も湧いてこない。
仕方なく顔を上げ、僕は掌から目だけを覗かせ、一升瓶を手に持つパーカー姿の海江田を見つめた。
「今日は帰ってくれないか……できれば、その一升瓶を置いて……」
酒に逃げるとあとが辛いのはわかっているが、今日だけはヤケ酒したい気分なのだ……。
「何都合のいいこと言ってんのさ。だいたい一人酒なんて気が滅入るだけだよ? 呑み会ってのは、やっぱり何人かでぱーっと……」
言いかけたところで、
「そうじゃなくって!」
と、めずらしく焦った様子で海江田は叫んだ。
「――レイミーが、大学休学するんだって! 実家の長野に帰るとかでっ!!」
「実里沢が……?」
告げた海江田の言葉を聞いて、僕の脳裏には今朝大学で出会った彼女の妹――実里沢夢瑠の顔が思い浮かんでいた。
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