4-3
さっきまで晴れていたのに、空には俄かに雲が増えている。
関東圏が梅雨入りしたという宣言は一昨日出た。これからしばらく、鬱陶しい雨が降る日が続くのだろう。
実里沢夢瑠はチラリと空に目をやり、それから足元の小石を蹴った。
周りには玉林大学に通う大学生がパラパラと散らばり歩いている。
――この連中は、何か明確な目的をもって大学に通っているのだろうか? 自分の人生で必要なことを学べると考えたから、この大学に進学したのだろうか?
夢瑠は考える。
それとも――やりたいこと、やるべきことなどなくて、ただ就職するまでの自由なモラトリアム期間が欲しくてここに来たのだろうか、と。
……くだらない。
腹の底から湧いて出たため息を噛み殺す。
人間の時間は有限なのだ。それも若い頃、肉体的にも充実し、脳細胞も活性化している期間は人生のほんのひと時に過ぎない。
それなのに、その大事で貴重な時期を何故無為に過ごすのか。無意味な日々、特にこれといって得るものもないまま、ダラダラと浪費していくのか。
いや、中には意味あることに時間を当てて過ごしている者もいるかもしれない。しかし今自分の周囲を歩く者たちには、とてもそんな輝きや充実は感じられない。
ファッション、遊び、学生レベルのスポーツ。せいぜいその程度のことに薄い情熱を注ぐ連中だろう。
……くだらない。
辟易とした気分になる。漠然と生きていて、何か思うところはないのか。自分がこの世界に産まれた意味を、少しでも考えようとする者はいないのか。
自然と進む足が速くなる。
――と、そこでスマホに着信があり、歩いたままスカートのポケットから取り出した。
「室伏? ずいぶん早かったわね」
『勝手に行動するな。ここは長野の農村じゃないんだぞ』
低く厳かな声。窘めるような口調に、夢瑠は唇の端をつり上げる。
視線を前に向けると、ちょうどいいのがいた。
駅前までは五百メートルくらいか。前方からカジュアルな格好の男子三人組が歩いてくる。
「わかってるわよ。――ただ姉さんに会う前に、姉さんの通っているところを見ておきたくてね」
三人組の男子が、立ち止り道端に寄った夢瑠に目を向ける。
微笑んでやった。中の一人が、かわいくね? と聞こえるぐらいの声で言ってくる。
「収穫はあったわ。玲実の知り合いにも会えた」
やめとけよ~と別の一人が止めるのも聞かず、その男子はにこやかに夢瑠へ手を振った。愛想よく、それに返す。
「どの程度親しいのかはわからないけど。一人は人畜無害そうなメガネ。もう一人は……少しわたしを警戒してたわ。物腰からして腕も立ちそう」
おお! とテンションの上がった男子が夢瑠に近づいて来る。うしろの二人はやれやれという顔だ。
「そういえばあなたに少し似てたわね。雰囲気っていうか、佇まいが」
『……裏門の方だな。もうすぐ着く』
「急がないと、手遅れになるかもよ?」
盛った犬が群がってくるんだから、と、小声でつぶやいた。
「ねぇねぇ、君どこの高校?」
夢瑠がスマホを切ると、すぐに男子が話しかけてきた。
ベージュのズボンに灰色のアウター。アメカジ風のこじゃれた格好。髪は少し茶に染めクセをつけている。
「長野の方から来ました」
「遠っ! 大学見学だよね? 来年の受験生? 何学部希望なの? 俺ら工学部の一年なんだけどさー」
「そうなんですか。良さげな大学ですね」
夢瑠は適当に返事をする。質問はスルーしているのだが、男子は相手をしてやったことでずいぶん舞い上がっているようだ。
「よかったら、連絡先とか交換しない? ほら、受験に向けてのアドバイスとかしてあげられるかもしれないしっ!」
「そのご厚意はとてもありがたいのですが――」
言って、夢瑠は視線をうしろの男子二人へ向けた。
……ようやく来たか。
呆れ顔と薄く笑う二人の間を、黒スーツの巨体が通る。
一瞬何だ? という顔をした二人の顔は、すぐに青く硬直したものに変わった。
「あいにくわたし、ここに進学する予定はないので」
「ええっ、そうなの!? いまいちだった系!? ……でもさ、ここで会えたのも何かの縁だし、連絡先だけでも――」
「来たぞ、夢瑠」
クセ毛の男子が、背後から響いた野太く低い声に驚いて顔を向ける。
百九十センチを越える体躯、オールバック、そして凄惨な傷痕を顔に残すダークスーツの男――
「あ……えと」
「ありがとう、室伏」
微笑して言うと、夢瑠は男子の横を通り過ぎて行った。
「何か用か?」
室伏の、低くて通る声がクセ毛の男子にかけられる。
「――! ああ、いやいや……娘さんですか? 可愛いっすねぇ!」
「ありがとうございます」
振り向き会釈し、スタスタと歩いて行く夢瑠に一瞬顔をしかめ、室伏はそのあとを追って続く。
唖然とするクセ毛男子の肩を、仲間二人がポンポンと慰めるように叩いていた。
※
「節操のない連中ね。それともわたしの魅力かしら?」
「田舎から出てきた小娘じゃ無防備に見えたんだろう。あの年頃の連中は飢えてるからな。羊が狼のいる小屋に来れば、襲いたくもなる」
「あなたは、もう枯れた系?」
並んで歩きながら、先ほどの男子の口調を真似て言う夢瑠を室伏は睨んだ。
年の頃は四十半ば。がっしりとした身体つきに一重目蓋の切れ長の目。
ただ者ではない素性が人相に表れている男だ。
「あの人たち、室伏をヤクザか右翼とでも勘違いしたのかもねぇ。まあ似たようなモノか」
夢瑠の声は弾んでいる。男子大学生をからかえたのが面白かったようだ。
室伏としては、目立つ行動は控えてもらいたいのだが。
「玲実が住んでいるマンションがわかった。大学進学と同時に、実家から転居していたようだ」
「へぇ、そうなんだ」
「隣駅からほど近くだ」
会うなら待ち伏せすればいいのだが、その間夢瑠がじっとしているとは思えない。今日も目を離した隙にこの大学まで来ていたのだ。
片田舎で幼年期から少女期までを過ごしたせいか、目に映るものがめずらしくて仕方ないらしい。
「じゃあ夜になるまで街の散策にでも行きましょうか?」
「……あまり他人の目につくところは行きたくない」
「何よぅ。意外とビビりよねぇ、室伏って。東京を離れて何年立つの? もうあなたのことを探している人もいないわよ」
からかうように笑って告げる夢瑠から目を逸らし、室伏は胸ポケットに挟んでいたサングラスをかけた。
「何ならわたし一人でもいいし」
「夢瑠」
少し声を強くし、室伏は諫めた。
「冗談だってば。でも、お昼ご飯ぐらいは外で食べましょうよ」
スマホを取り出し、夢瑠は近場のグルメ情報が乗ったページを室伏の顔前に掲げて見せる。
「……わかった」
観念して室伏が頷くと、夢瑠は嬉しそうにスマホを操作し始めた。
「歩きスマホは控えろ。都会のマナーだ」
「ああ、そうだったわね」
そう応えるが、夢瑠はスマホから目を離さない。
ため息をつき、室伏は彼女の先に出て道を確保するよう歩いた。
「ラーメンが多いけど、ここはやっぱりイタリアンかな~。お洒落な店がたくさんあるわよ」
「あの村に比べればな」
告げた皮肉を気にも留めず、夢瑠は鼻歌を歌っていた。
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