4-2


 思い当たる場所として初めに足を向けたのはモンタナ食堂。

 一、二限連コンマの講義に実里沢が出ていれば寄るかもしれないと思ったのだが、授業が終わった学生たちで混み合う中、セーラー服姿の夢瑠(馴れ馴れしいが実里沢では紛らわしいので)を連れて歩くのは、思いのほか注目を浴びて気が引けた。

 玉林大学は幼小中高大まであるマンモス学園であるが、基本的にそれぞれが活動する区画は分けられており、登下校時を除けば、他部生の者を見かけることは少ない。

 学食を使うのは大半が大学生だ。教授連中や、稀に幼年部の子供を連れた親が談笑をするところを見かけるけれど、制服姿の生徒はまず足を踏み入れない。


「へぇー。これが大学の食堂ですかぁ……」


 めずらしそうに、夢瑠は堂々と購買部や券売機の周りを見て回る。一緒に歩く僕の方が気後れしてしてしまうくらいだ。


「……連絡、来ないな」


 同じ学年の方が詳しいと思い、海江田にLINEを入れたが返答はない。

 既読にもなっていないし、まだ寝ているのかもしれない。


「実里沢、もしかしたらまだ大学に出て来てないのかも。何限から授業あるかもわからないし」

「そうなんですか。でもまあ、もう少し見て回りましょうよ」


 夢瑠の表情は楽しそうだ。

 高三らしいし、のちの進学のことを考えれば大学の様子に興味を持つのはわかる。


「他に行きそうな場所はないんですか?」

「うーん……そうだなぁ……」


 そう言われても、僕と実里沢にはそれほど接点があるわけではない。

 友人未満、知人程度。恐らく向こうが僕に持つ印象もそれほどよくはないだろうし……。


「あとは……ああ、そうだ。図書館」


 初めて彼女と出会った場所。小説の資料を探しに行った時、たまたま先にいて本を読んでいたのが実里沢だった。

 ……そういえばあの時彼女は何の本を読んでいたのだろう。


「図書館! いいですねぇ、姉の趣味はだいたいインドアですから」

「そうなんだ? 確かにファッションはサブカル風だったけど」


 僕が言うと、夢瑠は口元を押さえて笑った。


「姉なりの都会派スタイルなんですよ。――何せ長野にいた頃は、制服かジャージか、着物しか着ていなかったんですから」


                  ※


 モンタナ食堂を出て松陰橋を渡っていると、工学部側から歩いてくる犀川の姿が見えた。

 黒のポロシャツにGパンという軽装。空手部にいた頃、学内ではだいたいいつもウィンドブレーカーだった。


「おはよう御堂。朝、ちゃんと起きれたんだな」


 会って早々、母親のようなことを言う。


「おはよう……ってか君ら、昨日何時ごろ帰ったんだ?」


 ガシガシと頭をかき、時折襲ってくる頭痛を紛らせながら僕は訊ねる。


「終電前に海江田が帰ったから、それに合わせてな。御堂は大分早くに落ちていたが」


 そこらあたり、落ちる前の記憶もほとんどない。

 認めたくはないが、僕は酔った時の酒グセがあまりよろしくない……いらんことを言っていないといいのだが。


「そっか……部屋の片づけしてくれたのは犀川だろ。海江田はいっつも放置だし」

「それぐらいは礼儀だと言えば手伝っていたぞ。あいつも酒は強いな」


 淡々と、犀川は告げる。昨夜の酔いが残っている様子はまったくない。


「海江田とはよく呑むのか?」

「君がいたのと合わせて二、三回だ……変な誤解するなよ。あいつが勝手に僕のうちに押しかけてくるんだからな」

「仲がいいんだな」


 口元に涼しげな笑みを浮かべ、犀川は朗らかに言う。


 ……何だ、その意味ありげな笑みは。やっぱり僕、何か変なこと言ったのか?


 ともかく、こいつらのペースに合わせるのは危険だな……今後は気をつけよう。


「あの」


 僕が肝に銘じていると、背後から夢瑠がひょっこりと進み出た。


「ああ、彼は犀川秋吉。僕と同じ学科で、一応同じサークルなんだ」


 夢瑠はリスのような瞳で犀川を見上げる。


「この娘は?」


 ちょっと距離を測るようにして、犀川は僕に訊いた。


「えっと……実里沢の妹なんだって」

「初めまして! 実里沢夢瑠と申しますっ!」


 満面の笑顔で名乗ると、夢瑠はぺこりと一礼した。


「実里沢の? そういえば……似ているな」

「えへへ、よくいわれます」


 精悍な顔で見下ろす犀川。笑顔のまま、夢瑠はその視線を受け止める。


「何でここに?」

「大学見学と、姉に会うために」

「そうそう。それで実里沢を探しているんだけど、犀川どっかで見なかったか?」


 犀川は少し考えるような表情をしてから、ゆっくりと首を振った。


「――いや。君は姉さんの連絡先を知らないのか?」

「知ってますけど……まあ、ちょっとびっくりさせたくて」


 いたずらっぽく答えたところで、夢瑠ははっとしたようにポケットからスマートフォンを取り出した。


「あ、ごめんなさいっ! わたし、駅前で知り合いと落ち合う約束してたんでした! すみませんがここで失礼します」

「え……そうなの? お姉さんは?」

「借りてるマンションの方に行ってみます。驚かせなかったのは残念だけど」


 あっさりそう言って、夢瑠は唖然とする僕へ丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございました、御堂さん。大学がどんなものか見れて楽しかったです」

「いやまあ、学食ぐらいしか行けなかったけど……」

「また機会があったらお願いしますね。その時は犀川さんも」

「ああ」


 犀川が頷くと、夢瑠はにっこりと微笑み、小走りで松陰橋の袂にある裏門への道を抜けて行った。


「嵐のような娘だったな……」


 夢瑠の姿を見送り、僕はつぶやく。


「実里沢の妹か。確かに顔は似ているが……雰囲気はだいぶ違うな」


 犀川が低い声で言う。


「な、そう思うよな。僕も驚いたよ、姉妹でああも対照的な性格なのかと」


 僕の軽口に、しかし犀川の表情はどこか複雑だった。


「対称的……というか、歪な感じがした。作った自分を演じているような」


 思わぬ言葉を聞いて、僕は犀川の顔を見た。この男が初見の相手を悪く言うとは。

 人を見る目など僕にはないが、夢瑠の愛想はよかったし、姉に比べれば格段に好印象を持たれるタイプだと思うが。


「意外だな。君がそんなことを言うとは」

「何となく、だがな。――いや、初対面で人の印象を決めるのは良くないが、正直に言えば海江田と会った時にも似たものを感じた」


 それを聞いて、僕は思わず生唾を飲む。

 口八丁で物事を押し切るのは海江田の十八番だ。〝演じる〟とは異なるが、人を欺いたり騙したりする意味では共通するところがある。

 思い返してみれば、夢瑠のあの人当りの良さは高校生にしては完成され過ぎていた気もする。何か隠された厄介な面があるのかもしれない。

 ……考えすぎかもしれないが。


「そりゃ要注意かもな……ところで、犀川は三限からか?」

「その予定だったが休講になった。工学部に行ったら掲示が出ていてな」

「休講なら通知とかで知らせてほしいよな……。大学生は、ほぼみんなスマホ持ってるんだから」

「ちょっと早いが、昼食を摂りにモンタナ食堂へ行くつもりだ。御堂は?」

「薬局行く。二日酔いの薬買いに」

「そうか。じゃあ俺も付き合おう」

「え?」


 つい変な声を出して、僕は犀川を見た。

 犀川は、何か不都合があるのか? という顔をしている。


「ああ……――いや、そっか。なら行こうか」

「そのあとマックに寄ろう。軽く食べておきたい」

「君でもファーストフードみたいなもの食うんだな」

「うん? それは食べるが……」


 意外に思って言った僕に、不思議そうに犀川は答える。

 ジャンクフードとか一切食べないイメージだった。勝手に思ってただけだが。


 ……にしても、そうか。


 大学で友人と歩くというのは、こういう感じなのか。


「ストイックそうだから、鳥のささ身とかばかり食べてるのかと思ってた」

「ボディビルダーじゃないからな……食べるものに関してはそれほどこだわってないぞ」


 少し呆れた顔をして犀川は言う。

 

「君の場合、運動量多そうだから多少カロリー摂り過ぎてもすぐに消費できそうだもんな」

「確かに。どちらかといえば体重を減らさないよう気をつけるタイプだな、俺は」

「うわ。女子の前で言わない方がいいぜ、それ」


 喋りながら、夢瑠が去った裏門方面へと向かう。

 まあ、悪くないものだな――と、ぼんやり思った。

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