4-1
僕らが歩むこの人生というモノは、もともと定まったものなのだろうか。それとも抗い戦い挑むことで、切り開けてゆくものなのだろうか。
ほとんどの人が後者であってほしいと願うだろう。――でなければ努力は無意味で、願いは幻想で、希望は妄想ということになってしまう。
しかして実際の所、ほとんどの人は自分の望む理想の人生を歩むことは叶わず、絶望と失望からほどよい距離を保った、妥協と退屈の日々を過ごしているのではなかろうか。
〝この道を選んでよかった。でなければもっとロクでもない生活になっていたかもしれない〟――などと必死に自分に言い聞かせて。
それならば人は何故夢を見るのか。叶わない、とわかっていても願うことに価値があるのか。
世界は夢を謳う。夢を宣伝する。夢を吹聴する。夢を志せ、と叫ぶ。
世の多くの人は夢を諦め妥協した人生との折り合いに心骨を砕いているのに、何故世界はこれほどまでに夢を価値あるものとするのか。
恐らく――〝何か〟があってほしいからだ。この世界が退屈で不自由で決まりきったものではなく、それを一変させてしまうような、輝かしい〝何か〟があると思いたいからだ。
日々を凌ぐためだけに生きていくことに何の価値があるのか。人生の中で、もし一瞬でも夢という輝きに身を委ねられる時間があれば、人はそれを素晴らしいものだったという記憶だけを残して生きていく。〝夢を目指す〟ことが、同時に〝夢に見合わない自分が傷つく行為だ〟ということも忘れて。
切り裂かれ、叩きつけられ、嬲られ、最後には俯く。妥協と退屈の道を選んだ大多数の人たちに、かつて味わったその絶望を抱えて生きるのは苦痛で困難だ。だからあの日垣間見た輝きこそが、夢というもののすべてであるように思い込み、夢を見ろ、と声高に叫ぶのだ。
それでも――もし人生というものが才能や環境といったランダムな要因で定められる現実を認めるなら、これほど無意味なことはない。
結局、選ばざれる者が夢を目指すことは空手で雲を掴む行為に等しいのだ。
それならば……すべてを捨ててすべてを諦め、ただここにいることの何が悪いのか……。
俗世との決別を代償に訪れることが許される世界。静謐に満ち、夢も現実も忘れてただ心穏やかに過ごせるかの地。
――この、マヨイガに。
※
「……く、つぅ……」
午前十一時二十五分。
頭の奥が軋む苦痛に耐えながら、窓から初夏の陽射しが注ぐ文学部第一棟の廊下を僕は歩いていた。
今日は朝から一、二限の必修授業があった。一週間で今日だけなのだが、逆にこの日だけ早起きしなければならないというのも中々辛い。
しかも昨日は作戦会議だ何だと理由をかこつけて、海江田と犀川がうちにやって来たのだった。
「――これ、ちょっと一味違うからっ! 作 穂乃智!!」
例のごとく海江田は一升瓶を持ってきて、犀川は示し合わせたようにスルメやら柿の種やら乾物のつまみを持ってきて、実里沢の勧誘方法を考えるという建前の呑み会を始めやがったのだ。
海江田はもとより、犀川も酒にはめっぽう強い。
彼の呑みっぷりに興が乗った海江田の酌、また確かに呑みやすく美味い酒に僕も盃が進んでしまい、結局何を話したのかほとんど覚えていないまま、酩酊の沼に沈んでしまった。
起きた時には二人はおらず、片づけも済んでおり、強烈な二日酔いだけが残っていた。
今日が一限からということだけはかろうじて覚えていたので、這う這うの身体を引きずって、何とか大学までやって来たのだ。
――ズキンズキン、と鼓動する痛みに耐えながら、階段をゆっくり降りる。
ようやく一階のエントランスまで来て、一度深呼吸した。
今日は、あと五、六時限の講義が二コマ入っている。それまでの間、駅前の薬局で二日酔いの薬を買ってきて食堂で休むことにしよう……。
そう考えて学部棟を出たところ、正面の私道を行き交う学生の群れに自然と目が行き――その中に一人、セーラー服を着た少女がいることに気づいて、視線が止まった。
皆が私服の中での制服姿は嫌でも目立つ。白のセーラーに紺のスカート。髪はロングヘアーで腰まで伸び、物めずらしそうに周囲の様子を窺っている。
内部生ではない。制服が違う。どこかの高校から来た大学見学の娘だろうか。しかし学祭でもない時期に来るのは不自然だ。
そんなことをぼんやり考えていると、少女と目が合った。どきりとして思わず立ち止まる。
目を大きく開けたあと、少女は微笑み、小走りで僕の前まで駆けてきた。
「――こんにちはっ! あなた、文学部の学生さんですか?」
「……あ、ああ。そうだけど」
上目使いに見上げて、少女は訊いてくる。
大きな瞳に人懐こい笑顔。美少女であるが、この顔どこかで見たような……。
「学科はどちらで?」
「人類文化学科」
「まあ!」
少女は感激したように大袈裟な声を上げた。周りの学生がチラチラと好奇の眼差しを向けてくるのがわかる。
そりゃセーラー服ってだけでもめずらしいのに、それが美少女となれば注目されるのも仕方ないが。
「ちょうどよかった。実はわたし人を探してまして。人類文化学科の一年生なんですけど……」
「あ、僕は」
二年生だから一年生はそんなに知らない――と言おうとしたところで、少女がスカートのポケットから取り出した写真を見せられ、口が止まった。
「名前は実里沢玲実。中学生の頃の写真なんですけど、お知り合いじゃないですか?」
笑顔のまま告げる少女。確信めいた口調。
まるで僕が彼女を知っていることを見抜いていたような……。
僕は写真をまじまじと見つめる。
今よりもいくらか幼いが、それは間違いなく実里沢玲実だった。少女と同じセーラー服を着て、澄まし顔をカメラに向けている。
その顔が少女と似ていることに、僕は気づいた。
「君は、実里沢の……?」
「ふふっ、やっぱり知ってらっしゃいましたか。――そういえば自己紹介がまだでしたね」
少女は写真をポケットに戻し、それから丁寧にお辞儀をした。
「わたし、
優雅に名乗るその仕草は、実里沢玲実だったら決してやりそうにないものだった。
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