3-8


 ――俺たち親子が住んでいたのは古い大きな屋敷で、父親が祖父母から受け継いだものだった。

 俺が小学生に上がる頃、父は代々血縁者で繋いできた商売の三代目を継ぎ、家業の拡大路線に向けて舵を切っていた。

 ……その父が、母親に暴力を振るうようになったのは祖父母が亡くなり、三代目として周囲に認められた頃だった。

 受け継いだ仕事の重圧やストレスで溜まっていたものがあったのかもしれないが、そんなことは言い訳にならないな。母親への暴力を止めようするたび、俺は押入れに閉じ込められて暗闇の中で震える日々を過ごした。

 そんな目に幾度となくあっていたある日――いつものように闇の中で膝を抱えていると、その闇から浮かび上がるようにして一人の少女が現れたんだ。


〝こんにちわ。キミ、ヒマでしょ? ちょっと話そうか〟


 彼女は俺の隣に座り、色々な話をしてくれた。

 自分がずっとこの屋敷に住み着いていること。その間に起こったこと。……もうすぐここを離れようと思っていること。

 少女の正体が何なのか、その時の俺にはどうでもよかった。ただ僅かな光が射しこむだけの闇の中で、自分以外の誰かがいてくれることに救われたんだ。

 少女は俺を励ました。もうすぐいいことがある。きっと〝ここ〟を出られると。

 いつものように閉じ込められていたある日、いつもと同じように現れた少女は、今日この家を離れると告げてきた。

 俺は彼女を引き留めようとしたが、少女は自分がここを離れれば、俺も母親とこの家を出て行けると言った。

 俺と話せて楽しかったと言い残し、少女は初めて出てきた時のように、闇の中へ消えていった。

 俺はまた一人で暗闇に耐える日々に怯えたが、それは長く続かなかった。

 突然――順調だった父の商売が崩れ始めたんだ。

 最初は小さな失敗から。連鎖するように不運が重なり、立ち行かなくなっていった。

 仕事を自分のプライドにしていた父は自信を失い、母親はその機に離婚届を突きつけ、正式に別れることになった。

 父に殴られながらも、俺と二人で生きていく自信のない母は、彼に依存していたんだ。しかし、弱気になっていく父を見て、家を出る決意を固められた。

 不幸な形だったかもしないが、あの娘が家を離れたことで、俺と母親は父の暴力と呪縛から解放されたんだよ――。


                  ※


「――旧家に住む精霊、ザシキワラシか。遠野物語、十七、十八話に出てくる」

『詳しいな、その通りだ』


 犀川が話し終えると、僕はぽつりとつぶやいた。


「ザシキワラシの住む家は栄えると言われているが、逆に家を離れると、その家は没落するとも言われている。日本中に似たような話はあるらしいけど、十八話の孫左衛門の話がその典型だな」

『俺がその話を知ったのは中学に入ってからだ。幼い頃の、あの不思議な体験が何だったのか知りたくなり、家にまつわる怪異譚を色々読んでな』


 犀川の声は穏やかだった。

 辛いことの多かった子供時代で、その少女――ザシキワラシと出会えたことは楽しかった思い出なのだろう。


『黒髪で赤い着物を着ていて、澄んだ瞳をした少女だった。俺たちのために住み慣れた家を離れたと思うと、やりきれないものがあってな。もう一度、彼女に会って謝りたかった。――信じるか?』

「……どうだろうな」


 僕は犀川が実里沢に頼まれて講堂の前でお祓いをしたことを思い出す。

 彼が実里沢の言うことをそのまま信じたのも、幼い頃にその経験があったからかもしれない。

 それにしても……幽体でマヨイガを訪れたという海江田。〝見鬼〟の瞳でこの世非ざるモノが見えるという実里沢。そして、閉じ込められた押入れでザシキワラシに出会ったという犀川――。

 怪異、怪奇現象を体験したり関係する者たちが惹かれるように僕に関わってくる。これが人の縁というヤツなのだろうか。


『俺の顔を見つめてくる少女の目は、彼女に似ていた』

「彼女って?」


 不意に話の穂先を変えた犀川に、僕は訊き返す。


『茜さんだ。――ああ、そういえば、彼女に告白して振られたよ』

「あ……そうか…………」


 何と言葉をかけていいかわからず、僕は天井を仰いだ。

 友人関係の少なさがこういう時に出るな……。


『辞めると言って部長には渋られたが、これで空手部に思い残すことはなくなったよ。俺は俺の青春を生きることにする』


 晴れ晴れとした声で犀川は言った。

 彼のこんな声を聞くのは初めてのような気がする。


『よろしくな、御堂。海江田にも連絡を頼む』

「――ああ、よろしく」


 少し笑って言った彼に、僕は何とかそう返せた。


                  ※


「――じゃ今日はそのレイミー加入を実現させるための作戦会議ね。どういう方法でレイミーの弱みにつけ込み、こちらに引きずり込むかっ!」

「だから、もうちょい人聞きのいいやり方はないのか……」


 悪びれもせず、堂々と言い放つ海江田に、僕は辟易とつぶやいた。

 犀川が加わったことで少しは丸くなるかと思ったが、むしろ犀川の方が海江田の影響を受けてる気がする。これは由々しき事態だ。


「おはよう。御堂、海江田」


 僕がサークルの現状を憂いていると、その犀川が定食プレートを持ってやってきた。カツカレーと月見そば。ガタイがいいだけあって、いつもよく食べる。


「おはよー、秋吉くんっ!」

「よう」


 黒のポロシャツにGパン。シンプルな服装なのに、タッパがあるヤツはそれだけで映えるのが妬ましい。


「今日は何の悪だくみだ?」


 揶揄するような微笑を口元に浮かべて、犀川は僕らを見る。


「失礼だなぁ。レイミーをどう落とし込もうかって相談してただけだよ?」

「やはり、そんなところか」


 軽口を叩きながら、僕の横に座りプラスチックの箸を取る。

 言い方からして、彼も海江田に呼び出されたようだ。


「で、新メンバーの秋吉くんからは何か妙案あるかい? レイミーと個人的な会話をしたのは君だけだし」

「そうだな……」


 勢いよくそばをひと啜りしてから、犀川は思考するように目線を宙へ泳がせた。


「――と言っても、俺に聞くより同学年の君の方が、彼女の事情には詳しいんじゃないか?」

「や―多少は集まったけど中々ねぇ~」


 言いながらも、海江田は「その言葉を待ってました!」とばかりにショルダーバッグを漁り、中からパイプ式ファイルを取り出した。


「とりあえずこれ。うちの大学にいる彼女の高校時代の知人から聞いた話をまとめたのと、見鬼のことで調べたのをまとめた分なんだけど……目ぇ通してくれる?」

「……意外とマメな仕事するよな、君」


 そこそこの厚みがあるファイルを見つめ、僕はつぶやく。


「千里の道も一歩から、ってね。地道な行動が成功を得るためには必要なのさっ!」

「至言だな」


 苦笑して言う犀川。その隣で僕はため息をつき、窓に映る晴れた空を見上げた。

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