3-7
昼下がりのモンタナ食堂。
海江田に呼び出された僕は朝昼食兼のカレーライスを食べていた。
窓際端の席に座ると外からは陽光が射しこんでくる。まだ梅雨だというのに、今日は夏並の日差しだ。
「よ」
今年の夏も暑くなりそうだなぁ……と思いながらカレーライスをかっこんでいると、正面に海江田が腰を降ろした。
白い大きめのTシャツにグレーの短パン。大学指定の体操服だ。首にはタオルをかけている。
「この大学って、何で全学部で体育なんかが必修なんだろうねぇ……体操服はダサいし、変な体操覚えさせられるし」
額を拭いながら、紅潮した顔でうんざりと言う。
そうか。一、二限は一年必修の体育だったか。
「しかもあれ、最後にテストやるんでしょ。受かんないと補修だっていうし」
「手ぇ抜いていると、どんどん先に進んでって取り返しつかなくなるぞ。面倒でも復習して覚えておいた方がいい」
去年、テスト直前であたふたした自分を思い出し、僕はぶー垂れる海江田に忠告した。
うちの大学では全学部の一年生が六月、体育祭での集団体操と十二月、音楽祭での第九合唱参加が義務付けられている。そのため半期ごとにそれぞれの練習が必須科目として組み込まれてあり、全一年が履修しなければならない。
「こんなもん大学側の見栄でしょ? うちの学生は協調性があって、従順だってことを見せたいっていう形だけのさぁ」
「さあな。でも、そういうのが好きなヤツもいるんだろう」
素っ気なく言ったが、体育祭はともかく第九の方は結構思い出に残るイベントだった。大人数での集団合唱は中々迫力あるもので、乗り気でなくても伝播してくる熱に些か酔ってしまったものだ。
思い返しつつ、僕は食事を終えた。
「心配しなくても、二年になれば何もない時間が多くて困るぐらいになるよ。今のうちに来年の計画でも練っておけ」
「さすがぁ、よくわかってるねぇ。二年生」
皮肉っぽく言って、海江田はペットボトルの紅茶を開けて口をつけた。
「確かに今の要っち見てると時間あり余ってるんだなぁ~、って思うもん。授業終わりに連絡した時、まだ寝てたよね?」
他にいくらでも忙しそうな二年生はいるのにねぇ。
そう付け加えて、海江田は片目を閉じてみせた。
「……昨夜は遅かったんだよ」
「ん、小説?」
「まぁな」
コップに入った水をぐいっと飲む。
「一次選考落ちじゃ改稿する気も起きないし、そろそろ新作書かないと。まあ、あんまり捗らなかったけどな……」
それでも書く題材はとりあえず決まった。
「いつまでに仕上げる気なの?」
「秋ぐらい、かな」
その辺りの新人賞に目星をつけている。まだプロットの段階だし予定通り進むかはわからないが、まあ何かはしておかないと。
時間はあるが有限なのだ。無為に過ごすわけにはいかない。
「ふーん」
振ってきたクセに、あからさまに興味なさげな相槌を打ち――それから海江田は、はっ! と思い出したように手を打った。
「そういえばさ、要っち。南条さんのバイトしてるトコロが今募集かけてるらしくて、要っちにも、声かけてくれって」
言いながら海江田は隣の席に置いたショルダーバッグからクリアファイルに挟んだ紙を取り出す。
「……吉岡書店?」
受け取った紙を見て、僕はつぶやく。
「うん。突然一人辞めちゃって困ってるみたいだよ」
場所は僕の住むマンションの最寄り駅近く。そういえば、名前に見覚えがあるような。
「有名な作家が働いてたこともあるんだって。要っちに合いそうじゃない?」
頬杖を着き、海江田はにっと笑う。
「君はいいのか?」
「あたしは帰りの電車あるから、早く上がらないといけないし」
呑みの時は日付が変わる前後の終電近くまでいるクセに。海江田は飄々と言い切った。
「優柔不断な要っちじゃ、どうせまだ新しいバイトは決まってないんでしょ~?」
図星を突かれ、僕はぐっと唇を噛む。
いや、やろうという気持ちはあるのだ。ただ前の仕事のトラウマがあって、下手に初めてうまくいかなかったらという不安が……。
ごまかすように咳払いして、渡された紙の概要覧を見る。
――平日は午後四時から午後八時まで。土日は午前十時から午後二時までか、午後
二時から午後六時まで。土日入れる方歓迎。パソコン操作に明るいとなお良し。
……確かに悪くない。古本屋なら小説の資料も見つけやすいだろう。割引や譲ってももらえるかもしれない。
「……まあ、考えておくよ」
「やるんなら早く連絡した方がいいよ~。新しい人、入っちゃうかもだから」
折り畳み、紙を自分のカバンにしまう僕を見つめながら言うと、海江田はクリアファイルから別の用紙を抜き取って机に広げた。
「――で、これ申請書。三人から認可されるけど、名前足すの面倒だから出すのはレイミー加入したあとでいいよね?」
「僕はいいけど……」
当然のように告げるその自信に、僕は口ごもる。
「実里沢は、まだ口説けてもいないんだろ? 本当に入ってくれるのか?」
「そりゃあね。秋吉くんが入ったことで大分難易度落ちたし」
「ゲーム感覚だな……」
が、実際にそれで相手を篭絡してしまうのがこの女だ。紆余曲折したが、犀川を取り込んだのは事実だし。
ふっふっふっ、と海江田は不敵に笑った。
「あたしはねぇ、やるって決めたことは必ずやり抜く主義なのさ。それで相手がどんな迷惑を被ろうともねっ!」
「タチ悪いことをでかい声で言うな」
周囲の注目が集まるのを恐れながら、僕は声を潜めて言う。
「結果的に感謝されるならいいじゃん」
言って、海江田は申請書のメンバー欄に目を落とす。
その三番目に書かれた名前――〝犀川秋吉〟と力強く書かれた署名を見て、僕はしみじみと息を吐いた。
※
『――空手部を辞めた。例のサークルに入れてくれるか?』
犀川からその電話が僕にかかってきたのは、彼と呑んだ三日後の夜だった。
「……マジか」
『ああ』
バイト雑誌とにらめっこをしている最中突如かかってきた電話。思わず手から雑誌を落として僕がつぶやくと、犀川は躊躇いなく言った。
「でも……ホントにいいのか? 海江田が調査しようとしているのは民俗学の学術的な研究なんてシロモノじゃなくて、怪異やオカルト……迷信じみた俗なモノだぜ?」
『構わない。むしろ望むところだ』
はっきりと、犀川は答える。
「そういや呑んだ時に、幽霊や妖怪に興味があるって言ってたよな……。君にそういう趣味があったんなんて、ちょっと意外だけど」
犀川はしばし沈黙した。
『――そうだな。これからのことを考えると、話しておくべきだな』
思わせぶりにつぶやき、一度咳払いをする。
『俺が人類文化学科――民俗学を専攻できる学科に入ったのは、不可思議な経験を立証し、再現できるかもしれないと思ったからだ。それが、カギになるんじゃないかとな』
「カギって何の?」
『父親が俺を閉じ込めていた時の話はしただろう』
「――ああ」
『この前は話さなかったが、その時に俺は押入れの中で不思議な少女と出会ったんだ。俺が産まれるよりもずっと前から、その家に住み着いていたという少女に――』
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