3-6


 終電前に、海江田は新宿方面の電車に乗って帰って行った。

 僕と犀川は逆方面へ一駅だ。彼も一人暮らしらしい。


「家はどの辺りだ?」

「中町。鎌倉通りよりも駅側。犀川は?」

「原町田だ。大通りから、一本住宅街側に入った道にあるマンション」

「ふーん」


 車内はサラリーマンや仕事帰りのOL、僕らと同じような学生で混み合っている。

 吊革に掴まり、窓に映る夜景色を眺めながら、僕と犀川はぽつりぽつりと話していた。


「悪かったな。色々面倒かけて」


 一度はちゃんと謝らねばなるまい。襲撃の件も、デリカシーのない海江田の振る舞いについても。


「いや、中々楽しかったよ。御堂、頭は平気か?」


 犀川の返事は淡泊で平静なものだった。酔っている気配もない。


「うん。酒のせいでちょっとのぼせてるけどな」


 頭をかきながら僕は答える。

 セーブしたつもりだったが、多少視界が揺らいでいる。まだまだ酒の呑み方がなっていない。


「そうか。――不思議な娘だな、あの海江田という後輩は」


 ガラスに映る犀川は遠くを見るような目をしている。


「あいつ二年留年してるから。二十一なんだよ、本当は」

「そうだったのか」

「その分色々と妙な経験もしてるみたいだし……人生経験の深さはあるかもな」

「なるほど」


 海江田が話した幽体離脱やマヨイガの話は、今は伏せておいた。荒唐無稽なあの話をうまく説明できる自信もないし、僕自身半信半疑なのだから。

 しばらく沈黙が続き、周囲の会話、電車の揺れる音が耳に届く。


「……母親が離婚してから、俺は強くならねばと思っていた」


 つぶやくように、犀川が不意に口を開いた。

 僕は横目を向ける。


「母さんを守るために、早く自立して、生活できるようにならねばと。空手を始めたのは祖父の知り合いで道場を持っている人がいたからだ。事情を聞いて、いくらか割り引いて稽古をつけてくれた」


 犀川の口調は僕に聞かせているというよりも、自分で思い返して内省しているようだった。

 顔には出ていないが、彼も少しは酔っているのかもしれない。


「だが、義父と再婚したことで経済的な負担はなくなった。いい人だったんだよ、俺のことも実の息子のように接してくれた。俺は進学を勧められ、先のことを考えてその好意を受けることにした。……大学に来て、空手を続けて、学生会に入り……何かしら立派なものになることが、その恩返しになると思っていた」


 いつの間にか外の景色は住宅地に入っていた。もう少し進めば駅前の繁華街が見えてくる。


「強くなる、立派なものになる……俺が望んでいたことは、変わっていなかったのかもしれない。自分を律して弱さを見せず、耐え抜くことでそれが成るはずだ、と」

「君のその生き方は立派だと思うけど、無理がきてるところはあったんじゃないか?」


 犀川の顔がこちらを向く。僕は窓を見たままでいた。


「僕に言わせれば、犀川も海江田とは違う意味で同年代には思えないよ。……いや、大したもんだと思う。前のクラスをまとめていたのは君だし、僕みたいな協調性の無いヤツの世話も焼いたりしてさ」

「成り行きだよ」

「成り行きでも、普通のヤツはその成り行きを避けるもんなんだよ。面倒くさいし、人のことで苦労するのは嫌だし……責任なんて負いたくないからな」


 いったい自分が何を言いたいのか、喋りながら僕は考える。


「だから……犀川は、もう少し無責任になってもいいと思う。楽な道を選んでもいいと思う。どうせ社会に出たら、嫌でもしんどい目に合うんだろうしさ」


 我ながらダメ学生らしい意見である。……でも、間違ってはいないと思う。

 苦労なんて買わずとも向こうからやってくる。今のご時世、ネットの掲示板を見ればそんなことはうんざりするほど書かれている。

 ならばせめて――学生の間くらいは、自分勝手な時期があってもいいだろう。


「そのためにうちのサークルに入れとは言わないけどさ。まあ……犀川に興味があるのなら、選択肢の一つに入れてみるのも悪くないと思うよ」


 言って、僕はごまかすように欠伸した。

 

 こっ恥ずかしい……こんなことを言ってしまうとは。

 

 しかし――劣等感を覚えながらも、やはり僕は犀川に親しみを感じているのだと思った。


「そうか」


 短く告げて、犀川は視線を正面に戻す。

 ガラス越し、精悍で凛々しい、いつもの表情がそこにあった。


「ありがとう、御堂」

「別に、礼を言わるようなことでもないし……」


 小さい声で答えている間に、電車は駅のホームに着いていた。


                  ※                               


『――はい? どうしたん、秋吉くん。こんな時間に』


「夜分遅くにすみません。言っておきたいことがあって」


『んん、起きてたからえーよ。なにぃ?』


「はい。――俺、茜さんのことが好きです」

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