3-4

 

 大学の門を出て、すっかり暗くなった夜の道を歩く。

 ほどなくして総合格闘技の道場の前に行き着き、その端にある階段を上って二階の引き戸を開ける。


「――ここか」


 先日よりもいっそう賑わう約束の川の店内に一歩入ったところで、犀川がつぶやいた。


「知ってたか?」

「ああ。前に空手部の先輩と来たことがある」


 言った犀川の表情を、海江田がちらりと盗み見た。

 それ茜ちんでしょ、とか考えてるんだろうが今は余計なこと言うなよ……。


「いらっしゃませっ! 三名様で?」


 すぐに店員がやってきた。先頭の僕に訊いてくる。


「あ、はい」

「こちらにどうぞー」


 窓際の四人席に案内された。

 談笑する客の面々は、大学生もいれば社会人らしきスーツの人たちもいる。こんな大学近くで鬱陶しい学生が多くいる居酒屋にわざわざ来るとは、卒業生だろうか。


「こちら、お通しでーす」

「どもー。とりあえず生三つ! ――で、いいよね?」


 配膳された里芋の煮っころがしの器を手早く回しながら、海江田が嬉々として訊いてくる。呑めるとなると動きがいっそう早いな……。


「俺は構わん」

「僕も」


 僕と犀川が答えると店員は伝票に注文を書きつけ、一礼してカウンターテーブルの方へ戻っていった。

 手元のおしぼりを開けると、僕はたまらず顔を拭う。


「うわっ、要っちおっさんくさーい」

「仕方ないだろ。あのマスク、結構臭いつくんだよ……」


 ちなみにことが終わったあと、白装束とマスクは倉庫に戻しておいた。

 犀川が鍵を持っていてくれてよかった。置いてくわけにはいかないし、持ってくれば結構な荷物になるところだ。


「そうだな。俺も着けた時は、ゴム臭くてかなわなかった」


 若干表情を和らげ、手を拭いながら犀川が言う。


「視界は狭いし、動くにしても覚束ないし」

「そうそう、しかも夜だと余計に見づらいよなぁ……」

「――はーい、ビールお待ちどうさまー!」


 ジョッキを三つ。さっきとは別の店員が運んでくる。


「あ、じゃあ注文いいっすか?」


 すかさず海江田が声をかけ、店員は伝票を取った。


「はい、いいですよ」

「ポテトフライと枝豆、しめ鯖と焼き鳥盛り合わせ、塩で」

「はい、ポテトフライに枝豆、しめ鯖、焼き鳥盛り合わせ塩ですねー、ありがとうございますっ!」


 注文を復唱して店員はテキパキと去っていく。僕にはできない手際の良さだ。

 ……今考えればよくあのラーメン屋で一年も持ったよな、僕。


「勝手に注文しちゃったけど、他に食べたいものあったらあとは各自で」


 言いながら待ちきれんとばかりに、海江田はビールの入ったジョッキを握る。


「じゃあ要っち、音頭を」

「僕が?」

「要っちが誘ったんじゃん」


 ちらり、と犀川を見ると、すでにジョッキを持っている。

 こういうの苦手なんだけど……。


「じゃあまあ……お疲れさま」

「おつかれー!」


 締まりのない僕の言葉を盛り立てるように海江田が声を張り、軽くジョッキを打ち合わせる。

 蒸し暑い季節に呑むよく冷えたビール。突き抜けるようなのどごし――。

 前よりも、いくらか美味しい気がした。


                  ※


「――じゃあ、海江田の発案だったわけか」


 事のあらましを話し終えると、犀川は串から外しシェアした焼き鳥に箸をつけて言った。


「そゆこと。要っちは、あたしの悪だくみに協力してくれたってワケ」


 はむ、とフライドポテトを齧りつつ、海江田はあっさりと答える。

 ごまかさずすぐに開き直れる小ざっぱりとした性格は、こいつの美点と言えるかもしれない。悪気が一ミリもないのがたまにキズだが。


「ま、計画は失敗に終わったけどね。――ってか秋吉くん、本当に幽霊とか妖怪苦手なの? 驚いてはいたけど、そんな風には見えなかったよ?」


 相変わらずの直球。

 感心と呆れを同時に覚えながら、僕は犀川に目を向ける。


「それは誰から聞いたんだ?」

「茜ちん。野美、茜さん」


 犀川は視線を下げ、小さく、そうか、とつぶやいた。


「確かに俺はそう言ったな。茜さんも、その答えを期待しているようだったし」


 含みを持たせて、歯切れ悪く言う。


「ホントは違うの?」


 海江田の追及には迷いがなかった。決めたらどこまでも、満足する答えが出るまで問いを重ねる。


「……ああ」


 頷き、犀川はビールに口をつけた。

 ちなみに海江田はすでに芋焼酎だ。赤兎馬。三国志時代の豪傑、呂布が駆ったといわれる名馬の名のものをロックで呑んでいる。


「俺が苦手なのは幽霊や妖怪、そういった怪異現象なんかじゃない。むしろ、そっちには関心があるくらいだ」


 ぴくり、と海江田の眉が動く。

 そういえばマヨイガ探索隊の活動内容にも犀川は少なからず興味を示していた。選択授業では西洋民俗学の方を気にしているようだったから、少し意外だ。


「じゃあ……空手部の合宿でやった肝試しで、気絶したっていうのは?」


 恐る恐る僕は訊いた。

 犀川はビールを呑み干し、店員に焼酎を頼んだ。


「俺が怖いのは怪異現象なんかじゃない。俺が怖いのは……闇と、密閉された空間だ」


 低く落とした声で、犀川は言った。

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