3-3
空手部の部室は部活棟一階、右から三番目。
犀川が部室から出て来る前に仮装した僕は曲がり角に潜み、鉢合わせるタイミングで出ればいい。
近くの草むらに隠れた海江田は犀川が近づいたら僕に合図を送り、彼が驚く瞬間を撮影する。
……やっぱり、これって趣味悪いよな……。
部室棟の角から様子を窺いつつ――ここまできて、僕はまだうしろめたい気分に囚われていた。
海江田の言に乗り結局やることを決めてしまったが、ホントのところ、こんな方法で弱みを握って犀川が言うことを聞くとは思えない。むしろその小狡い企みをこんこんと説教される気がする。
怒らせたら怖そうだよな、犀川。しかし今さら辞めるっていうのは……。
頭の中で‶また逃げるのか〟と誰かが言う。それは優柔不断な自分に嫌気がしている僕自身の声だ。
――だけど、こんなことで勇気を振り絞るのに意味があるのか……?
踏ん切りがつかず悶々と考えているうちに、海江田からの合図があった。
僕は角から犀川の姿を確認し、こちらに歩いてくるのを確かめる。
……あと、五歩ってところか。
いったい僕は何をしているのだろう。
こんな妙な仮装をして、迷惑にも知人を驚かそうとして。
ゴムマスクを被り備える。逡巡している時間は、もうない。
腹を決めろ。無茶苦茶な一歩でも、踏み出さなくちゃ前には進めない。人と関わるのは自分勝手なこと。海江田の言葉が頭に浮かぶ。
――今だっ!
犀川の気配を感じ、僕は角を飛び出した。
「――ぬぉっ!」
「――うがぁぅ!?」
瞬間――右側頭部に鞭のようなモノが絡みついたかと思うと、凄まじい衝撃が顎に走り、僕の視界は揺らいだ。
「――わっ!? 要っち!!」
海江田の、悲鳴に近い叫びが耳に届く。
「……これは……」
意識が遠のく直前――最後に聞こえたのは犀川の困惑したつぶやきだった。
※
――闇が視界一面を覆っている。僕は死んだのだろうか?
……いや違う。暗いのは、単に目を瞑っているからだ。
近くに人が動く気配を感じ、僕はゆっくりと瞼を開いた。
「……気がついたか」
目の前に、屈みこんだ犀川の姿があった。
いつも着ている空手部のウィンドブレーカーではなく、白いTシャツにGパンという恰好。僕の状態を窺うように、真剣な目を向けている。
「よかったぁ~。死んじゃったかと思ったよぉ、要っちぃ~」
その隣には同じように僕を覗き込む海江田。めずらしく心配そうな表情をしている。
「僕は……気を失ってたのか?」
背を預けていた部室棟の壁から身体を起こし、僕は辺りを見回した。
同じ場所。僕が潜んでいた部室棟角っこ、そのすぐ傍だ。
「秋吉くんの左ハイ、綺麗に顎に入ったからねぇ。すっごい鮮やかだった」
「咄嗟に身体が動いて止められなかった。これが防具代わりになって衝撃が和らいだんだろう。……それでも、顎を弾いたせいで脳震盪を起こしたんだな」
犀川の手には幽霊のゴムマスクがあった。
「どれくらい……経ったんだ?」
「五分ほどだ。意識ははっきりしているようだし大丈夫だと思うが、一応明日、病院に行った方がいい」
「ヘーキヘーキ。要っち、あたしの飛び蹴りでぶっ倒れた時も起きたら何ともなかったから」
打って変わってカラカラと笑う海江田が言う。
「思わぬ後遺症があとから出ることもあるんだ。そういう時は、素人判断をせずにちゃんと調べておくことだ」
さすが格闘技をやっているだけあってその辺りの判断は慎重だ。厳しい顔で、犀川は海江田を叱りつけた。
「……はーい。気をつけまーす……」
おお、海江田が折れた。
不貞腐れた表情ではあるが一応頭も下げている。
颯爽と立ち上がる犀川に、僕は憧憬の視線を向けた。わかってはいたが、やはり大した男である。
「それじゃあ御堂も起きたところで、そろそろ説明してもらおうか。何で君らが空手部の備品を使って、俺を驚かせようとしていたのかを」
犀川の言葉は淡々としている。声は低いが、凄んでいるわけでもない。
――が、その精悍な顔立ちから滲む迫力は、一層の切れ味を増している。
「あー、うん。えーと、それはねぇ……」
喋りながら、海江田は僕にチラチラと視線を送ってくる。
こういうマジメな場面、それも自分が詰問される立場であることに海江田は弱いようだ。得意の屁理屈も、犀川相手には通じないだろうし。
……仕方ない、助けてやるか。話に乗った僕も悪いんだし。
僕はゆっくりと腰を上げ、身体に異常がないことを確認してから、首を向けてきた犀川に言った。
「犀川、このあと平気か?」
「……ああ、家に帰るだけだが」
思わぬことを言われた顔で、犀川は僕を見つめる。
「こないだ見つけたいい店があるんだ。一杯、やってかないか?」
我ながらおっさんみたいな誘い文句を告げると、犀川は目を丸くし――その横で海江田は目を輝かせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます