3-2

 

 夕日で赤く染まった空。

 野美さんから借りたマスクと白装束を入れた袋を持って、僕は大学から駅までの道を海江田と並んで歩いていた。


「あたしはね、目的を達成するためには全力を尽くす。それで誰かを傷つけたり嫌われても、やり抜くと決めたなら躊躇わない。……ま、要っちもわかってると思うけどさ、自分勝手なヤツなんだよ」


 海江田はいつもと変わらない。よく通る快活さの溢れた声。

 ――しかし今日の彼女の言葉には、時折混じる、韜晦じみた響きがなかった。


「もう一度、マヨイガに行って会いたい人がいる。この目的を果たすためなら何でもする。誰に恨まれようともね」


 こんな海江田を前にも見たことがあった。

 初めて出会ったあの日、僕の家で自分がマヨイガに行ったことを語った時の顔だ。


「……だから、犀川の気持ちなんて知ったこっちゃないってか?」


 泰然とした態度に圧倒されながらも、僕は訊いた。


「そうは言ってないよ」


 立ち止り、海江田は僕を見た。

 子供っぽさの残る彼女の顔が今は妙に大人びて見えた。真直ぐ、射抜くように注がれる視線。それから逃がれようと、僕は顔を少し逸らした。


「でも……今の話だとそういうことじゃないか」

「いやいや、これはあくまであたしの覚悟の話。これからマヨイガ探索隊として活動していく上で、あたしの行動の第一にはまずその目的があるってことを、要っちにはわかっておいてほしかったの」


 にっ、と口の両端を上げて、海江田は笑顔を浮かべる。


「秋吉くんのことに関して言えば、恨まれるつもりはないよ。それじゃあ積極的な協力も得られないだろうしね」


 前を向き、海江田は歩き始めた。


「あ……おい……」

「彼も――叶わない恋心を秘めてさ、このまま空手部にいるのは辛いんじゃない? 同期の部員から聞いた話だと、なまじ実力があるばかりにやっかむ連中もいるみたいだし。……ま、どちらにしろ秋吉くんが前に進むためには、ちゃんと失恋しておくべきでしょ」

「それが犀川の弱みを握ることと、どう関係するんだよ?」


 海江田は僕の問いに答えず、代わりに


「他に夢中になることを見つければ、失恋も怖かないでしょ?」


 などと言ってきた。


「そうかぁ? ……ってか、それがマヨイガ探索隊に入ることだっていうのか?」

「そりゃそうよ。何しろあたしが作るサークルなんだから、面白いこといっぱい起こるよ。夢中にならない道理がないわね」

「何だそりゃあ……」


 無根拠な自信にため息が出る。

 こいつのこういうところは多少羨ましく尊敬することすらあるが、同時に、僕が同じことをすれば自己嫌悪に苛まれるだろうと思う。

 要するに、人間としてのタイプが違うのだろう。


「ま、秋吉くんに関して言えば、あたしが単純に彼を気に入ったっていうのもあるけどねぇ。能力面だけじゃなくて人柄が。要っちも、そうなんじゃないの?」


 知ったようなことを抜かしてくる。が、あながち外れてはいなかった。

 彼も、また違う意味で僕とは真逆――他者からの人望が厚く、肉体面でも精神面でもタフな強さを持つ男。

 そう思っていた犀川に意外な弱点があり、好きな相手に弄ばれていたということは……あいつには悪いが、親しみを感じた。


「……でも、それでこっちの都合を押し付けるっていうのは勝手だろ」


 やはり、若干の自己嫌悪。僕は小さくつぶやいた。

 共感したので親しくなろう――そういう単純な動機で他人に近づくことが僕にはできなくて、そういう気持ちを抱くこと自体、鬱陶しく感じてしまう。


「臆病だなぁ、要っちはぁ」


 ちらりと横目で見て、海江田は嘆息した。


「人と人が親しくなるっていうのは、意味の無い行為や鬱陶しい絡みが積み重なってなっていくもんなんだよ。勝手じゃない人間関係なんてないのさ」


 ――でなきゃ、他人とは一生他人のままだよ。

 正面を向き、顔を見せずに言った彼女の言葉に、僕は黙るしかなかった。


                  ※


 翌日、午後二十一時少し前。

 僕と海江田は部活棟近くの林、その中の木々が少し開けた場所に身を隠していた。

 僕の恰好は白装束。下には軽装を着ていて、梅雨前のこの時期には少し蒸し暑い。


「サイズ、ちょっと大きめだったね」


 虫よけスプレーを四肢にかけ直しながら、短パンと黒Tシャツというラフな格好の海江田が言った。


「上から着れたからよかったけどな……この恰好で大学までは来たくないし」


 ため息交じりに僕はつぶやく。

 右手には幽霊のゴムマスク、左手には懐中電灯を握っている。

 ――結局、僕は海江田の企みに協力してやることにした。彼女の理屈に納得したわけではないが、どうせ断ったところで海江田は何らかの行動を起こすだろう。

 それならばむしろ近くにいた方がいい。海江田の行動をセーブできるし、犀川にもフォローが入れやすい。

 ……という理由で自分を納得させたが、本当のところそれはただの言い訳だろう。

 僕はただ、自分が〝何か〟を成し遂げたいだけなのだ。

 今までの人生で自分が避けていたようなことの真似をして、それで本当に何かが変わるのか。変わったとして、それがいったいどういう方向に進むのか――その結果を見てみたい。

 その気持ちが、犀川に対する気遣いを僅かに上回っただけなのだ。


 ……これじゃあ海江田や野美さんを責められないな……。


「――で、残ってる部活は?」


 これ以上雑念が湧いてくる前に考えるのをやめ、僕は海江田に訊いた。

 彼女は夕方頃からここにいて、この時間まで張り込んでいたらしい。


「五時から様子窺ってたけど、ラクロス部がさっき帰って……今日活動している部で残っているのは、空手部と薙刀部だけかな」

「そうか……」


 海江田の返事に相槌を打った直後、キャンパスに続く細道の方から話し声が聞こえてきた。懐中電灯を消して、息を殺す。

 私服を着た女子グループの集団。ほとんどの部活は体育館備え付けの更衣室で着替えを済ますので、部室は主に私物置き場として使われているそうだ。

 彼女らの手には、身長を超えるほどの長い得物が握られている。

 おそらく薙刀部。部室棟に入って十分ほどすると、リュックやかばんなどを持って出てきて、元来た道を姦しく騒ぎながら戻っていった。


「うし、これであとは空手部のみっ!」

「なあ……あんな風に集団で来られたら、驚かすタイミングなんてないんじゃないか?」


 ふと、不安に思って訊いてみる。


「空手部はねぇ、上級生が先に戻って一年生が掃除や後片付け、二年生の一人が一年の仕事ぶりを監視して、帰宅させたあと部室に鍵をかけるらしいの。連れ立って帰るとかの約束をしてなければ、基本最後は一人なんだって。その監視役の二年生が当番制になってて、今日が秋吉くんの番ってワケ」

「なるほどな。……二年生も、間に挟まれて結構面倒な立場なんだな」

「その分来年がでかい顔できるんじゃない? その頃には、四年生就活だろうし」

「令和の時代でも体育会の上下関係は厳しいんだな……僕じゃ絶対馴染めない」

「そだね、しんどくて色々やりづらそう。あたしも無理」

「君ならわりとうまいことやる気もするが……」


 軽口を叩いていると、また人の声が聞こえてきた。

 やたら身体つきのいい男集団が部活棟に入っていき、そのあとを追って女子の集団が来る。

 先ほどよりもいくらか長くかかったものの、彼らもほどなくして来た道を戻っていった。


「今のが、空手部の上級生連中?」

「みたいだね。……あ、また来るよ」


 しっ、と言って、海江田は懐中電灯を消した。

 疲れ切った足取りの集団。間を空けて、一人長身の男がしんがりを歩いてくる。


「……犀川だ」


 声を潜めて、僕は言った。

 疲労困憊しているのは一年の男連中らしい。部活棟に入ると、すぐ荷物を持って出てきた。

 待っていた犀川に、「オス! おつかっれしたぁ!!」と声だけは威勢よく言うと、できる限りの早足でその場を去って行く。

 犀川は彼らを見送り、そして、部室の中に入った。


「……よし」


 立ち上がり、海江田は屈んだままの僕を見下ろしてきた。


「舞台は整ったみたいだね。要っち、心の準備はいい?」

「お、おう……」


 微かに両手が震えるのを感じながら、生唾を飲み込み、僕は答えた。

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