2-9


「ふっふっふっ、予想以上の成果だったね……」


 夜道。僕に先行して歩く海江田は不敵に笑ってそうつぶやいた。

 呑み会後、玉林大学近くの女子専用マンションに住む南条さん、野美さんと別れ、僕と海江田は一駅戻り、僕が住むマンションへ続く鉄道沿いの道を歩いていた。


「秋吉くんの弱点、見当はついたし。問題はどうやってその証拠を握るかだけど……ふふふっ、中々面白くなってきたねぇ!」


 くるり、と振り返って海江田はわくわくした表情で僕を見る。

 その姿が、三つ四つに増えて、僕は頭を振る。


「……やばい……乱視が十倍くらい進行してる……」


 千鳥足でふらつく僕の肩を捕まえ、海江田は、先ほど寄ったコンビニで買ったペットボトルの水を握らせた。


「ほれ、飲んどきな」

「……ありがとう」


 掠れた声で礼を言い、キャップを外して口をつける。


「茜ちんに話聞けたのは大きかったねぇ。最初、空手部の名簿を見て一年生から当たったんだけど、イマイチ感触悪くてさぁ。秋吉くん、なまじ実績あるせいか同級生からは少し距離を取られてるみたいだね。――それで上級生何人かに絞って響さんに相談してみたら、学科の知り合いに彼女がいたワケよ。人脈って作っとくもんだねぇ」


 海江田は上機嫌だ。だが酔いの気配は薄い。

 僕よりもはるかに杯は進んでいたというのに。


「……う。ちょっと、ストップ」

「吐くなら家戻ってからにしなよ。道汚したら迷惑だし」

「……大丈夫、まだ持つ」

「おお、えらいえらい」


 子供をあやすように言う。


「しかし……今日の呑み会、僕必要だったか……?」


 胸の中には苦い後悔。聞きたくないことを聞いて、言わなくていいことを言ってしまった。

 だから酒は嫌なのだ。心に留めておけばいいことを半ば強制的に口から出してしまう。


「何言ってんの。要っちみたいに人畜無害そうなキャラがいれば南条さんも茜ちんも少しは緩むでしょ。あたしだけだと、変に勘ぐられる可能性あるし」

「……結果的に、荒らしまくったけどな」


 あははは、と乾いた笑いを放ち、海江田は僕のぼやきを流した。


                  ※


「――合宿最終日前日の夜は、毎年打ち上げの呑み会前にそれまでの稽古の気晴らしを兼ねて近くの山道で肝試しするのが恒例なんやけど、一年生の男子がお化け役をやって、驚かすっていうのがお馴染みやねん」


 ビールから切り替え、ロックの焼酎をちびちびと呑みながら野美さんは語り出した。


「そんで上級生の男子が女の子と組むっていう。――まあ女子の方が少ないし、数合わせるためなんやけど、先輩にいい目みせーやっていう暗黙のしきたりやね」

「驚き怖がる女子に抱き着かれたりして、吊り橋効果で恋が生まれたり? 意外と軟派だねぇ、空手部」

「あははー。それでカップルできたって話は今まで聞いたことないけどねぇ」


 口を挟んだ海江田に、野美さんは軽い調子で答える。


「でも先輩男子にとっては美味しいイベントやし、一年男子もそこで気合入れとかんとあとで叱られるわけよ。女子が怖がってくれんと意味ないし」

「くっだらないわねぇ……そんなスケベ根性してる連中が武道やってるの?」


 心底軽蔑視したように南条さんが言う。この人は肝試しとかまったく怖がらなそうだ。


「まあそうツッコまれると辛いんやけどねぇ……。でも、女子も一年男子も意外と楽しんどるんよ。そこでうまいこと怖がらせとけば、呑み会でも話のネタになるし」

「で……犀川も驚かす側だったんですよね?」


 僕が訊くと野美さんは頷いた。


「うん。秋吉くんは身体も大きいし大トリ。被り物で仮装して、ルート終わり直前にある林から出てくる予定やったんよ」


 喋りつつ、野美さんは堪えきれないというようにまた口元を手で隠した。


「――でもねぇ、あとで聞いた話だと、秋吉くんそれを嫌がってたらしいんよ。先輩の言うことは筋さえ通していれば二つ返事で頷くが彼が、それを渋るのはなんでやろうって。最初、そういうイベントは硬派な彼には認められんのかなと皆思って。これも部員同士の交流やからって部長が押し切る形で頼んで、やっと引き受けてくれたんよ」


 ふんふん、と海江田は頷きを繰り返す。

 僕はビールを空けて、南条さんが作ってくれた水割りを受け取った。


「で、さあ肝試し始めてみると、大トリで出てくるはずの秋吉くんがルート所定の位置に行っても出てこない。当然、どういうことやー! って上級生の男の子たちは怒ったんやんけど、肝試し終わって皆が集まる時間になっても戻ってこない。これはおかしい、何かあったんちゃうか、ってみんなで懐中電灯持って隠れてる林の方行ってみると――被り物したままひっくり返って、倒れてる秋吉くんがいたんよ!」


 身振り手振りをつけて野美さんは軽快に語る。のんびりとした印象だったが、意外にテンポがいい話し上手だ。


「みんなびっくりして、大丈夫かー!? 言うて被り物を外してみると白目剥いとる。どうしたんやー!? って揺すったらすぐ目ぇ覚ましてな。すみません寝てましたー、って」


 言って、野美さんはくっくっくっ、と笑いを噛み殺す。


「こんなところで寝れるかい言うても、いや疲れて寝てしまいましたの一点張りや。身体に異常はなさそうなんで、そのあと普通に呑み会やったんやけど、考えてみればアレは寝てたんやなくて気絶してたんやなって話になって」

「気絶って……何で?」


 野美さんは、それはなぁ、とうっすら頬を紅く染めた顔を僕に向けた。


「実は秋吉くん、幽霊とか妖怪の類が苦手なんやって。それが出そうな暗いトコロや、雰囲気あるトコロも。だから誰かとコンビ組んで驚かす端役の方がよかったんやけど、一人でトリ務めることになってしもて、えらい困ってたらしいわ」

「つまり最後の驚かす役で待っている間に、夜の山の空気にビビって気絶しちゃったってこと?」

「そうなるなぁ、みんなの前では認めへんかったけど」


 満足げな様子で語り終えると、野美さんはぐぐっと焼酎を呷った。


「野美さんはそれを犀川から聞いたんですか?」

「うん。みんなから聞き出してみいやー言われて、ちょっと前に呑みに誘った時に追及して」


 不意に野美さんは僕に顔を近づけ、潤んだ瞳を上目遣いに向けてきた。


「こんな風に、〝ホンマのこと教えて?〟――って、ねだったら教えてくれたわ」


 仄かな芳香が鼻腔をくすぐる。

 目の前には美人の紅潮した顔。野美さんはスタイルもよく、胸を張った姿勢からはバストの大きさも伺える。


 ……これは。


 慌てて顔を背け、僕はこの話題の前に海江田が訊いていたことを思い出す。


 ――茜ちんってさ、秋吉くんと付き合ってるの?


 海江田が誰に何を聞いたのかはわからない。が、突拍子のないその質問を酔いも回ってないうちにぶつけたのは、犀川がこの野美さんという女性に好意を抱いていたことを知っていたからではないか。

 そして――野美さんが天然なのか演じているのかはわからないが、その犀川の好意を利用して、周囲から促されるまま――或いは自身のいたずら心から――彼をからかうためのネタとして聞き出したのではないか。

 空手部内での、笑い話の一つとするために。


 そう考えると、犀川の立場って……。


 もう一度、僕は野美さんの顔を盗み見る。

 ちょっとクセのあるポニーテールに潤んだ瞳、柔らかな笑顔で包容力のある女性――だがしかし、そこから受ける印象がすべてだと思うと大きな火傷を負うのかもしれない。


 ……女ってこえぇ……。


 犀川に同情しながら、僕は何だかやり切れない気分で焼酎をグビリと呑んだ。

 水割りはロックに比べれば呑みやすく、いくらでもイケてしまいそうだ。微かに酔いも回り気分も軽くなってきた。

 そう、それぐらい。そのほどほどのところでやめておけばよかったのだ……。

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