2-8


「――くぅ~! 講義後のビールは腹に沁みますなぁ!!」

「おっさんみたいなこと言ってんじゃないわよ」


 一口でジョッキの半分を空けて、海江田は心から美味そうに息を吐いた。

 横目でそれを眺めていた南条さんは気怠そうにグラスの氷を指で回す。


「ええ呑みっぷりやねぇ。よもぎちゃんは酒強いん?」

「いえいえ、たしなむ程度ですわ」

「わたしよりも呑めるよ、この娘。酒覚えさせたのもわたしだけど」

「響ちゃんよりもって相当やなぁ! 今二十歳やっけ?」

「二十一です。学校に戻るのに二年かかったので」


 まあ、と野美さんは嬉しそうに両掌を頬に着けた。


「じゃーウチと同い歳やん。敬語はいらんわー」

「そお? じゃーラフな感じで」


 一瞬で切り替えた海江田は、にへらとした笑みを浮かべる。


「崩し出すと際限なく崩れてくわよ、この娘」

「そーいうこと言わないでよぉ、響ちゃんっ」

「わたしは許してない。敬語使え、海江田」


 同じ調子で言った海江田に、南条さんは冷たく言い捨てた。


「もぉ~ノリ悪いなぁ、響さんはぁ」

「えっと……お二人は三年生で?」


 このまま地蔵でいるわけにもいくまい。思い切って、僕は二人に話しかけた。


「そう。わたしは一年浪人してて二十二、茜は現役よ」


 鰆のから揚げを摘まみながら、南条さんがクールに答える。


「じゃあ海江田の一つ上なんですね」

「学年では二つ上だったけどね。風紀委員やってて知り合いになって、そのあと一緒に同じ予備校通って……まあ、腐れ縁ってやつ」

「腐ってても篤い絆じゃないですかぁ」

「余計なことは言わんでいい」

「あはは~仲ええんやねぇ」


 ほんわかとした雰囲気で野美さんが場を和ます。

 そして僕の方を見て、


「御堂くんは、秋吉くんと呑んだりするん?」


 と訊いてきた。


「いや……呑みとかはあんまり……」


 ロクに酒も強くなく――そもそも犀川とは友達ではなく知人といった方が正しい。

 この間のクラス会の誘いも、僕の方から断ってしまったし。


「そーなん? 秋吉くんも強いと思うで。去年は一年生やったから、お酒は遠慮してたけど」

「えと、野美さんは空手部の人たちと呑んだり?」

「部全体での呑み会は年三回くらいやけど、親しい子たちとは行くねぇ」

「犀川とも?」

「今年になってから、たまぁにね。秋吉くん部活以外でも通っている道場で稽古しとるから、誘ってもなかなか来ーへんのよ。ほら、あの子去年の全日本大会でベスト8に入っててね。うちの空手部期待の星言われとるから。面倒見もいいし、来年は部長任されるんやないかな」

「へぇ……」


 イメージ通りストイック。そして思っていた以上に凄まじい実績を持つ男だった。

 長身、屈強、短髪をうしろに流した姿は男塾にでも出てきそうな風貌。海江田は弱点を探るとかぬかしていたが、あの男に苦手なものなどあるのだろうか。


「――茜ちん、そこで訊きたいんだけどさぁ」


 早速あだ名まで付けて、海江田が話に飛びついてきた。野美さんはニコニコと笑っている。


「なに~?」

「茜ちんってさ、秋吉くんと付き合ってるの?」


 ――ぶっ。


 思わず吹きかけ、僕はおしぼりで口を塞いだ。


 こいつ、突然何ぶっこんできてんだよ……!?


「あはは~誰から聞いたん、それ? 違うよ~」 


 ケタケタとおかしそうに笑い声を上げて、野美さんはあっさり否定した。その顔をじっと見つめ、海江田は納得したように頷く。


「そっかぁ。――そいつは失礼しました。あたしの勇み足だったわ」

「まあ男子の中じゃ仲いい方やけどね~」

「茜の彼氏は学科の先輩よ」


 南条さんが、冷めた口調で淡々と告げた。


「見せてあげれば? イケメン彼氏」

「言うほどでもないって~」


 謙遜しながらも、野美さんはいそいそとスマホを取り出す。


「これ」


 写し出された画像を、僕と海江田は揃って覗き込む。

 おお……確かにイケメンだ。野美さんと並んで左斜め前から撮ってある。

 野美さんも美人なので、二人並んで立つとまるで雑誌のモデル写真のようだ。


「ふむ、ヘイセイJUMPの山田涼介風ですなぁ」

「え~そうかなぁ~」


 海江田の、おそらく誉めたであろう言葉に野美さんは照れたように頭をかく。芸能関係に疎い僕にはイマイチピンとこないが。

 まあ少なくとも犀川とはタイプが違う。汗の臭いがしない、爽やか系の男性だ。


「なるほどなるほどなるほど、そういうことですかぁ~」


 海江田は興味深そうに三度頷き、それからビールのジョッキを持って、中身を干した。


「グラスいいっすか?」

「いいわ、作ってあげる」


 用意されたグラスの一つを取り、南条さんがロックを仕上げて海江田に渡す。


「あざっす!」


 海江田は両手でそれを受け取ると、舐めるように口をつけた。


「――で、話は変わるんだけどさ、茜ちん。次は去年、空手部の夏合宿で起こったっていう事件、聞かせてくれないかな?」

「空手部の夏合宿?」


 スマホをしまいながら野美さんは小首を傾げた。場の空気を気にしない、またずいぶんといきなりな話題転換だ。海江田らしいが。


「ほら、最終日の前日にレクレーションを兼ねて肝試しやったそうじゃない。その時に秋吉くんが……」

「あー、あの話」


 ぽんと手を打ち、それから野美さんは耐えかねたように口元を押さえた。


「ふふふっ、あの時は確かに大変やったわぁ。秋吉くん、ひっくり返ってしまって……」

「?」


 思い出し笑いをしている。犀川がひっくり返る?

 十代で空手の全日本大会上位にいくような男がいったい何をしたら――と思って海江田に目を向けると、彼女も笑っていた。

 ……しかし、その笑みはほのぼのとした空気を振りまく野美さんとは似つかない、敵の急所を見つけた策士の笑みだった。


「――そうそう、その話。詳しく聞かせてくれるかなぁ?」


 瞬間、背筋に冷たいものを覚え、僕はそれをごまかすようにジョッキを呷った……。

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