2-6

 

 それから三日間、海江田からの連絡はプツリと途絶えた。

 考えてみれば携帯番号もLINEも交換していない。あいつが僕に接触を取る時は、いつも家に上がり込んで来た。

 一度目は待ち伏せて跳び蹴り。二度目は一升瓶片手に酒盛り。

 サークルに参加することを決めた以上、連絡先ぐらいは交換しておくべきだった。……いや、わかってはいたのだが、妙なプライドが邪魔してついつい海江田の方から訊かれるのを待ってしまった。


 ああ……僕はこういうトコロがダメなのだ。


 何かをやると決めたら自分から動くべきなのだ。受け身な態度では目の前のチャンスも逃してしまう。それで何度後悔したことか。

 例え傷ついても、張り裂けそうな胸の痛みを覚えたとしても、人は主体性を持って行動してこそ何かを得ることができるというのに。


 そう……わかっている。わかってはいるのだ。


 されども、この全身から湧いてくる無力感とダメダメなオーラは何だろう。

 やる前からすでに疲労困憊に陥っているような。やることなすことすべてが徒労に終わるという確信に満ちているような。

 ふと我に返ると、とことんネガティブな思考に陥るのは僕の悪いクセだった。


                  ※


「……………………書けねぇ……………………」


 時刻は夕時、午後十七時。ちゃぶ台に置いたノートパソコンの液晶にはテキストソフトの真っ白な画面が広がっている。

 F、Jキーに両の人差し指を置き数十分粛々と黙考していた僕は、とうとうがっくしと首を落とし、消え入りそうな声でつぶやいた。

 難航していたプロットをどうにか完成させて、新たな作品に取りかかる予定だった。

 とある田舎に転校してきた中学生の主人公。彼はそこで今まで自分がいた日常と異なる風習や文化に触れていき、古の忘れられた存在と出会うことになる。

 地方に伝わる伝説を参考に、一さじのファンタジー要素を加えた怪奇ミステリー小説。頭の中で構想はできており、プロットで話の流れも作り終えた。


 ――なのに、最初の一文字が出てこない。この主人公はいったいどこから語り出し、どういう心境で経験を積んでいくのか。その情景が浮かんでこない。


 こんなことは今までなかった。概要を作る中で、主人公の気持ちは自ずと僕の気持ちとシンクロしてゆき、ごく自然に文章は空白を埋めていくはずだった。

 なのに、どうしてだろう。今は何を書いても上っ面の空虚な言葉しか出てこない気がする。

 主人公の――〝彼〟の気持ちを理解できず、知ったような言葉を綴ることしかできない気がする。


 ……これがスランプというヤツなのか……。


 書きづらくなったことはあっても、ここまで動けなくなることはなかった。どこかで語るべきことは見つかるはずだった。


 いや……それとも、これが限界なのだろうか……。


 中学の頃から始めた執筆活動。高校に入ってからは投稿もして、近い歳で入賞した者を知れば激しい嫉妬に苛まれつつも、モチベーションに転化して書き殴った。

 最初の一次選考が通るまでに一年。送った作品は五作。次作では二次選考を突破し、そこから三次の壁を破るまでに三年の歳月を費やした。

 そして、この間の自信作。これこそは僕の代表作になるはずだと信じて投稿した作品は一次すら通らず落選した。

 もしかしたら……知らず知らずのうちに僕の才能は枯れていて、今の僕は自分が作家になれると信じているだけの、ドン・キホーテなのではないか……。


「……ぐ、ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 思考の末、認めたくない可能性に行き着いてしまい、僕は頭を抱えてごろりと横になった。

 それは嫌な想像だった。受け入れがたい事実だった。

 ……だが、残酷なことに現実そうである可能性は高い。

 どれだけ努力しても、どれだけ求めても、届かないものはある。

 そのことに、僕は薄々気づいてしまっているのだから。


「………………………………」


 しばらくの間、横になった態勢のまま放心し、やがて僕はのそのそと重い身体を起こした。

 ノートパソコンを閉じ、鞄から取り出したタウンワークとスマホをちゃぶ台に置く。

 執筆は一時中断だ。このままうだうだ考え続けても精神衛生上よろしくない……。

 ラーメン屋のバイトはクビになってしまったし新しいバイトを探さなくては。仕送りの生活費は必要最低限で、食費以外の余裕はない。


 次はあんまり忙しくないバイトがいいなぁ……それと、上下関係が厳しくないやつ……。


 実際のところは入ってみないとわからないのだろうが、ネットの掲示板で見た経験則を参考にいくつか当たりをつける。

 そして、憂鬱な気持ちで連絡をしようとスマホを持った、その時


「――っ! 電話?」


 知らない番号からの着信だった。少し不安に思いながらも、迷ったすえ僕は通話ボタンを押す。


『あ、要っち?』


 聞こえてきたのは海江田よもぎの声だった。


「海江田? 何で僕の番号……」

『繋がってよかったよっ! 今大丈夫?』


 僕のつぶやきを遮って、海江田は大きく声を張る。


「……ああ、まあ平気っちゃ平気だけど……」

『じゃあさ、今から玉林大学駅前まで出て来てよっ!』


 海江田の声は弾んでいる。何か良いことでもあったのだろうか。


「大学前って、今からか? ……突然だな。何の用だよ?」


 訝しげに訊ねると、海江田は電話先で、ふっふっふっ、と含み笑いを洩らした。


『聞いて驚け。秋吉くん篭絡の一手――その約束を、本日取り付けられたのさっ!』

「……はあ?」

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