2-1


 絶対悪い目を見る。これはあとでしっぺ返しを食らう。――そうわかっていても、引けないことがある。

 それは男の意地とか生き様とかそういうカッコイイ感じに語るヤツもいるが、傍から見れば何バカやってんだよコイツ頭に脳ミソの代わりにオガクズ詰まってんじゃねーのかカス! と、思われるような行動である。


 わかっている。わかってはいるのだ。


 それでも、散々ロクでもない目にあっても、そしてやはりまた同じ目にあうとわかっていても、しかし〝今〟を変えたければやるしかない! という時がある。

 いつかその無駄な足掻きが何かの肥やしになると信じて、走り続けなければならない時がある。


 ……何故なら、止まるのは退歩するよりも恐ろしい行為だから。


 立ち止った時間が長ければ長いほど、脚は錆びつき鉛のように重くなり、行くも戻るもできなくなる。

 だから、まだ何者でもない僕らは走り続けなければならない。行動し続けなければならない。書き続けなければならない。

 それが徒労に終わり失望を覚え、駄作を生み出し続ける行為であっても、止まるよりはるかにマシなのだから。

 停滞は悪だ。ゆえに僕らはどこに続くかもわからないこの道を、延々必死に歩まなければならない。

 この道は本当にどこかに繋がっているのか……そんな漠然とした不安に胸を焼かれていたとしても。


                  ※

                       

「鬼見――霊視って言うのはさ、もともと、どんな人間にも備わっている能力なんだって」


 時刻は午前十時半。朝食にしては遅過ぎて、昼食にしてはやや早い時間帯。

 僕は海江田と向き合い、モンタナ食堂の長テーブルの前に座していた。

 周りに学生の姿は少ない。大学の講義は間に十分の休憩を挟んでほとんどが二枠ごとで設定されているため、今はちょうど二時限目の真っ最中だ。


「色んなパターンがあるらしいけど、肉眼で見るわけじゃなくて大脳の器官がそれを認識するんだって。さしずめ夢を見るみたいに。だから、夢を見るってことは、それだけで霊視できる才能があるってことなんだよ」


 両手の指を組み合わせ、霊を見る呪い〝狐の窓〟を作って覗いてみせると、海江田はプラスチックの箸を手に取った。

 彼女の前にはカツ丼と月見そばが並んである。身振りを交えご高説を垂れ流しつつ、合間にそれをガツガツと平らげていく。小柄なのに旺盛な食欲だ。

 ちなみに僕は購買で買ったサンドイッチのみ。朝はそんなに食べる方じゃない。


「過去のことを思い出したり何かを妄想したりする時、目で見てるわけでもないのに頭に映像が浮かぶでしょ。アレに近い感じらしいよ」

「それ、どこで聞いた話だ?」

「美輪さんが言ってた」


 ずずず、とそばのつゆを飲み干して海江田は言った。


「つっても霊視の力を売りにして世に出てる霊能者の九十九パーセントは偽物らしいけどね。ま、超常現象でご飯食べてるような輩って、確かに胡散臭いし」

「それで――君が言うその娘は、本物だっていう確証があるのか?」


 サンドイッチを齧り、パックの野菜ジュースを飲む。

 低血圧の僕はこの時間まだ頭が起ききっていない。意気揚々とエネルギッシュに語る海江田との間には抗い難い温度差がある。


「あれ、要っちは知らないの? 今年の入学式で起こった事件」


 いかにもわざとらしく驚いて、海江田はそんなことを言い出した。


「学長が緊張して、入学おめでとうと卒業おめでとうを言い間違えたアレか?」

「何それ?」

「僕らの時、文学部の入学式でやらかしたんだよ」

「そうなんだ。ウケるじゃん。天然なの? 学長」

「いや知らんけど」


 軽口を叩いたことを後悔しつつ、僕は食いついてきた彼女に先を促すよう顎をしゃくった。


「それで、君が言う事件ってのは?」


 海江田は食べ終えたどんぶりの上に箸を置き、また身振りを交えて語り始めた。


「これはあたしたちの入学式で起こったんだけど……祝辞とか挨拶が終わって一年生が講堂から退出していた時、照明の一つが落ちかけて、一時パニックになったんだよ。老朽化で留め具が錆びてたのが原因らしいんだけど」

「そういや四月に講堂が立ち入り禁止になってたな」


 文学部の掲示板やアナウンスに出てた気がする。

 詳細は読まず、講堂にもほとんど立ち寄る機会がないので気にしていなかったが。


「それだよっ。――でね、事件のあと、その日居合わせた一年の間で噂になったことがあって。実は入学式で一年生が講堂に入る直前、新入生の一人が誘導を担当した職員に相談をしてたんだって」

「何を?」

「最近、講堂で何か事件がなかったかって。照明か窓ガラス関係で」


 神妙な表情の海江田に、僕は細めた目を向けた。

 サンドイッチを包んでいたフィルムを握りつぶし、ビニール袋に入れる。


「その人はなかったって答えたらしいんだけど、そしたらその娘、危ないことが起こるかもしれないから式を中止しようって言い出したんだよ。でもはっきりとした根拠があるワケじゃなかったし、直前で辞めるなんてできないよね? 入学式は予定通りに行われて、そして事件が起こった――」

「まあ、話を聞いてた目撃者がいればちょっとした噂にはなるよな」


 渋々言った僕に、海江田はニヤリと笑い人さし指を差し向けた。


「そゆこと。で、あたしなりに調べてみてね……違う学部の子で、その娘と同じく内部の付属校から進学してる子がいたの。高校時代の彼女のことを聞くと、やっぱりイロイロあったらしくて――見えないものが見えたり、不吉な予言をしたり、居合わせていないのに起こったことを知っていたり」

「言っちゃアレだが、本人がそういうキャラ作りしてたっていう可能性はないか?」

「自分で調べて、思わせぶりなことを言ってたってこと?」


 僕は頷く。

 自分には特殊な力があると周りの人間に思わせる。或いは、自分自身でもそう信じこむイタい現象は、多かれ少なかれ十代前半に起こるものだ。

 ひどくなると周りにそれを信用させるため下調べや思わせぶりな言動(自分で信じている場合、この辺りは大いに矛盾しているのだが……)、さらには手品のトリックまで仕込んで披露したりする。

 もっとも、仮にそれで一時の賞賛を得られても必ずタネや嘘を見抜く者がいて、羨望の眼差しは蔑みの視線へと変わり、大いなる屈辱を味わうことになるのだが。

 思い出したくもないが――かくいう中学時代の僕もその重度の中二病患者だった。だから、高校は同中出身の者がいない遠くを選んで進学した。

 無理なキャラ作りや虚言は身を亡ぼす。貴重な教訓を得たものだ。


「んーあくまで人伝えに聞いた話だから信憑性は半々ぐらいだけど……でも、講堂の件は気にならない?」


 一考したのち、目を輝かせて訊く海江田に僕はため息を吐く。

 真相はどうあれ、その娘をサークルに誘うことは諦めそうにない。


「君がそういうのを好きなのはわかるが……でも、その娘の方がどう思うかはわからないぞ」

「かもねぇ。しかもその娘、ずいぶん気難しいらしいの。あたしとしてはファーストコンタクトでなるだけ好印象を与えたいし。だからまだ接触もしてないんだけど」

「僕の時にもそれぐらいの考慮がほしかったなっ」

「でも下手な小細工は趣味じゃないし、あたしの流儀にも合わない。だから結局正面から行くしかないんだけども……ま、人畜無害そうなメンツが一人いれば、彼女も多少は気を許すんじゃないかと」


 僕のささやかな抗議を無視し、海江田は腕を組み首を捻る。


「気難しいなら逆に警戒されそうな気もするけどな……」


 空になったパックからストローだけを引き抜き、ビニール袋に入れる。分別は大事だ。


「ってか、確かに僕はサークルに入ると言ったが、荒唐無稽なオカルトを信じているワケじゃないぞ」

「でも気になるでしょ。見鬼の力を持つ少女。でなきゃ要っち、こんな時間にここに来てないよね?」

「それは……まあ……」 


 言い淀み、僕は図書館で出会った女学生のことを思い出す。

 野球ボールが入ってくるのを予見した少女。あれが見鬼の力だとしたら、それが実証された場面に僕は居合わせたことになる。

 正直、それについては興味がある。彼女が本当に海江田の言う娘なのであれば。


「もうすぐ出ている授業終わるし、そしたら出向いてその娘と直接話してみようよ。兎にも角にもまず行動、ってねっ」


 黙り込んだ僕に楽観的に言うと、海江田はごちそうさまと合掌したのち、トレイを持って食器を返しに行った。

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