1-10
呑み始めて一時間。
十九時を回る頃には、僕はすっかり出来上がっていた。
「――ぼかぁねぇ、本物の小説が書きたくて現文研に入ったんだよッ! なのにあいつら時代はエンタメだの細かい状況描写はテンポを遅らせるだのッ! 売れセン狙った安っぽい小説しかとりあげないし誉めやしないッ!! それでもぼかぁ我慢したよッ! 上を立てるぐらいの礼儀はあったし、クラスでやらかしてから僕の居場所はあそこだけだったしッ!!」
もともと酒には強くない――が、ビールを飲み終えたあと、海江田がおもむろに冷蔵庫から取り出したのは〝幻〟という銘柄の日本酒一升瓶だった。
「結構いいお酒なんだよ、コレ」
と注がれるまま口をつけたところ、その飲みやすさに驚いた。
つまみもそこそこにいいペースで盃を重ねてしまい、気づいた時には酒の名の如く幻に溺れるような心地に陥った僕は、延々くだを巻いていた。
「うんうん、そうなんだぁ。辛いよねぇ~」
適当に相槌を打つ海江田は僕以上のペースで呑み続けているのに、顔色一つ変わらない。
ザルってヤツか……。しかし僕と一つしか違わないのに、何でこんなに呑み慣れてるんだ?
「でもッ、でもあいつらッ! 売れない小説はいかに優れていようと意味がないってッ!! 金にならない文学なんて力のない正義だってッ!! そこまで言われて黙っていられる健全な文学青年がいるかッ!?」
僕は立ち上がり、拳を握りしめて吠える。
「うんうん、そりゃそうだよねぇ。自分が大事だと思ってることを馬鹿にされたんだもんねぇ」
あたりめを齧りながら頷き、海江田は僕と自分のコップになみなみとおかわりを注いだ。
「そうなんだよッ! だから僕は言ってやったッ!! そんなに言うならあんたらが批判した僕の小説で賞を取ってみせるってッ!! 優れた作品なら売れセンに走らずとも自ずと大衆が手に取るってことを認めさせてやるってッ!!」
「それで帰ってきたら、送った小説が第一次選考落ちだったってわけかぁ」
「………………………………………………………………そうだよ」
唐突に勢いを削がれ、僕は顔を背けて腰を落とした。
勧められるまま、コップを手に取る。
「今回は……確かにダメだった……でも次は……次こそはッ! もっと凄い作品を書いて、サークルの連中も落とした出版社の連中も見返してやるんだッ!!」
「おお? その意気だよ。で、次回作の構想はあるの?」
「………………いや、プロットが中々進まなくって……」
再び急速に落ち込んでいく気持ちに抗うよう、僕はコップの酒を呷る。
「――でもっ! 僕はっ、僕はまだまだこんなもんじゃないッ!! まだやれるッ! もっとレベルの高い作品を書けるハズなんだッ!!」
叫んで、それから大きく息を吐く。
ここまで泥酔したのは初めてだ。現文研の飲み会じゃあ酔うと余計なことを言いそうだったし、クラスのものには参加しなかった。
何となく、気を許せないみたいな気持ちがあったのかもしれない。
「いいねぇ、素晴らしいよ、要っち。根拠なく高い志を持つことは若者の特権だよっ!」
知ったようなことを言って海江田もコップに口をつける。
――だが、そのいい加減な煽り文句が今の僕の耳には心地良い。励まされている気持ちになる。
空けたコップをちゃぶ台に戻すと、海江田はびっ! と人差し指を僕に差し向けてきた。
「――なればこそ、君はマヨイガ探索隊に入るべきだよっ! 経験に勝る知識はないよっ? 要っちが小説のネタ集めとして利用するには、これ以上ないサークルだよっ!?」
「それは……確かに、そんな気もするが……」
酔いのせいで思考回路が落ちている。しかしそれを差し引いても、海江田の言っていることはあながち間違いではない気がした。
現代文学研究会は辞めてしまった。その代わりといったら難だが、例え稚拙な活動であっても、大学内での居場所の確保と小説のネタ探しのため、新たなサークルに入るのはアリではないか。
――そうだ。僕に必要なのは決断と思い切りだ。優柔不断な態度でいたため、幾度もチャンスを逃してきた。
これ以上限りある時間を無駄にするわけにはいかない。僕に残されたモラトリアム期間は、決して長くはないのだから。
「迷っている間にも時間は過ぎていくよ~? ほら~どお? ここで一つ、勇気を振り絞ってっ!」
「――わかったっ!」
耳元で囁く海江田の言葉がダメ押しとなり、僕は決めた。
「いいだろうっ! そのマヨイガ探索隊とかいうふざけたサークル、入ってやろうじゃないかッ!!」
「ふざけたとは心外だなぁ~。……でもま、いいや」
ぼやきながら海江田はちゃぶ台上のつまみやコップをどかし、上のカスを近くにあるゴミ箱に落として、例の申請書を広げる。
「じゃ、ここに署名とハンコ、してくれるかなっ?」
「よしっ!」
テレビ横の小さい戸棚からハンコとペンを取り出し、僕は殴り書きで記入する。
海江田は住所を確認し、それからにんまり笑い、唇を歪めて頷いた。
「うし。まず一人目ゲット」
「ああ?」
「んーん、何でもない。まあ呑もうや、要っちの入会祝いに」
ダボダボとコップに酒を注ぎ、海江田は心底嬉しそうに笑う。
その笑顔は――何というか、無邪気にはしゃぐ同年輩のカワイイ女の子のモノであり、僕はそれに少し心を動かされた気もしたが……酔いのせいなのだろう、多分。
「で、早速なんだけど。サークルに入った要っちに頼みたいことがあるのだよ」
「……何だよ?」
ぐぐい、と顔を寄せ、海江田はまあるい瞳に僕の顔を映す。
「あたしの同級生で、ちょっと不思議な力を持ってるって噂の娘がいて、その娘をマヨイガ探索隊に勧誘したいんだよ」
「……ふ、不思議な力って?」
ご存知のように女子の接近に慣れていない僕は顔を反らせつつ、息が当たらないように訊く。
海江田は身を引き、意味深に指を振ってみせた。
「ふっふっふっ。何を隠そうその娘、普通の人には見えないモノが見える〝見鬼の目〟の持ち主らしいのっ!」
「見鬼って……霊視か……?」
また出た胡散臭い話。しかし興が乗っている海江田は僕の胡乱な視線も気にせず、嬉々として喋り続ける。
「その娘の目には他人に憑りついているモノが見えて、相手の過去や未来に起こることもわかるとか。普通じゃないモノが見えるのなら、彼岸と此岸の間にあるマヨイガの場所もわかるかもしれない。――要っちだって、彼女が見えていることを聞けば、リアリティに富んだ小説のネタが手に入るかもよっ?」
「人伝えに聞いたものは参考にはなってもいくらか歪むからな……そもそも、どれだけその話に信憑性があるかにもよるし……」
「細かいこと言わないっ! 作家目指すんなら何でも飲み込んで文章の肥やしにしなさいっ!!」
言い切られ、僕は口を閉じる。
最終的には力技というか勢いで押し切るよな、こいつ……。
「ともかく、その娘を勧誘するの、手伝ってくれるよね? ――心配しなくても作戦はあたしが考えるから。要っちは、あたしの指示通りに動いてくれればいいし」
邪気のない笑顔で言うが、こいつのこれまでの行動を思い返すと信用ならない。
僕に対してと同じような手段じゃないだろうな。下手すれば訴えられるぞ。
まあ……さすがに女子相手に不法侵入とか飛び蹴りとか手荒な真似はしないと思うが。
「ま、今日は大いなる目標への第一歩達成ってことで、とりあえず呑もうかっ! 明日は土曜日だしねっ!!」
「僕はバイトだ……」
暢気に笑って言う海江田の言葉を遠くに感じながら、僕はそろそろ、自分の限界が近いのを悟り始めていた……。
※
――翌日。目を覚ました時に海江田の姿はなく、散乱したちゃぶ台の上や台所を見て僕はうんざりした気分にさせられた。
ヒドイ二日酔いを引きずりながら片づけ、夜までグロッキーに過ごしたあとバイトに出勤。
そこで納品した麺六ダースを盛大にぶちまけ、クビを言い渡された……。
「ああ、あー! あー! あー! あー!」
麺まみれになった倉庫でそう叫ぶことしかできなかった僕を見て、パツキン先輩もその時ばかりは怒りよりも憐憫の勝った声で、
「……とりあえず麺片づけろ。そしたらもう帰っていいし、来なくていいから」
と、告げた。
どうしようもない挫折感とやり場のない無力感。
しかし、内心ではほんのわずかにほっとした気持ちを抱えながら、僕は薬局で買ったキャベジンを手に帰宅の途に着いたのだった……。
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