1-9


「おっかえーりっ!」

「くっ……!」


 思わず前につんのめりそうになり――しかし、どうにかそれを堪えて――僕は当然のように人の家でくつろぐ海江田の姿に絶句した。

 ちゃぶ台の上にはスナック菓子が封を切って広げられ、つけっぱなしのテレビ、本棚から抜かれ読み荒らされた漫画本という状況から察するに、すでに上がって小一時間は経つと思われる。


 ……ってか、こいつどうやって人んちにっ!?


「あ、買い物してきたんだぁ、自炊してんの? ……何だ、値引き弁当かぁ。出来合いのものばっかじゃ栄養偏るよ?」


 とてとてと駆け寄ってくると、無遠慮に僕の手にあるスーパーの袋を覗き見て、余計な感想を述べてくる。


「まーあたしも人のこと言えないんだけどねぇ。一人暮らし始めたとしても、料理なんかしないだろうしぃ」 


 喋りながら、今度は冷蔵庫を開けて缶ビールを二本取り出す。

 僕はそんなもの、買い置きしておいた覚えはないぞ。


「でもま、ちょうどいい時間だよねぇ。あたしもボチボチ退屈してたし。ほれ、突っ立ってないで乾杯しよう?」

「――どうやってっ……僕の家にっ、入ったんだっ!!」


 ようやく体勢を立て直し、力の限り僕は叫んだ。

 ――が、海江田に怯む様子はなく、耳をかきながらちゃぶ台の前で胡坐を組み、スナック菓子を一つ摘まんでみせる。


「ふふーん、気づかなかったぁ? 今朝、財布を預かった時に合カギを失敬させてもらったのさ。同じの二つあったから、これはもしやと思いまして」


 言われて、僕は慌ててポケットからキーケースとサイフを取り出す。

 実家の鍵とマンションの鍵。そして、予備として作っておいたはずの合カギが財布の中にない。


「お前っ……窃盗の上に不法住居侵入だぞっ! 勝手に人んち入ってっ!!」

「大袈裟だなぁ、この部屋からは何も盗っちゃいないよ。あたしはただ、要っちと腹を割った話をしたくて、こうして酒宴の準備をして待ってただけだよ」

「そんな言い分、通るかっ――!!」


 早足で玄関を上がりちゃぶ台を挟んで海江田の前に行くと、僕は、どかっと腰を降ろして右手を差し出した。


「とりあえず、鍵返せっ!」

「えー、そしたら呑むの付き合ってくれんの?」

「っ……このあとバイトあるから酒は飲めんっ!」

「嘘。今日休みだって知ってるよ」


 ぐ……コイツ、どうしてそんなことまで……!


 何から追及したらいいのか考えあぐねる僕に、海江田はにんまりと笑いかけ、そして覗き込むような上目遣いで見てきた。


「――ってかさぁ、家帰ってきたら可愛い女の子がいて、しかも宅呑みに付き合ってくれるなんてフツー嬉しいもんなんじゃない? しかも準備までしてあげてるんだから、むしろ感謝してほしいくらいだよ」

「何で君は自分の非を棚に上げてそう図々しいことが言えるんだ……?」


 平然とウィンクを返す海江田。その憎たらしい態度に、もはや怒りを通り越して脱力を覚える。

 ダメだ。ここまで自信満々だと文句を言う気力も湧いてこない。何故かこっちが敗北感に包まれる。絶対こいつがおかしいのに……。


「んふふふ。ま、何でこーも要っちにウザ絡みしてくるか、っていうとね――ホントのトコ、あたしは多少強引なことをしても、キミにマヨイガ探索隊に入ってもらいたいからだよ。これは結構マジな話」


 僕の瞳をじっと見つめ、海江田は缶ビールを差し出した。

 いつの間にか睫毛の動きがわかる距離までつめられ、それに少しだけドキリとしてしまう、女慣れしていない自分が嫌だ……。


「確かに昨日はちょっと突然だったし、あたしなりに悪いとは思ってるんだよ?」


 嘘つけ。昨日の今日でこんなんやってて――と、思っていても口には出せない。

〝押してダメなら引いてみる〟。その駆け引きのうまさにまんまとやられ、次に彼女が何を言うつもりなのか、何をするつもりなのか……期待している僕がいる。


「だから、これはそのお礼。ちょいと落ち着いて話すために、お酒入れるのも悪くないっしょ?」


 屁理屈。方便。それはわかっている。

 しかし僕の心を支配していた海江田に対する怒りの波は治まっていた。むしろ、確かにこのシュチュありじゃね? という採決を、脳細胞の過半数が支持している。

 げに悲しきかな男の本能、もとい下心か……。


「……でも君この間入学したばっかだろ。未成年じゃないのか?」


 咳払いして、冷静を装いながら僕は指摘をする。


「お堅いこと言うねぇ。でも、ノープログレ~ム」


 ニッと笑い、海江田は僕にビールを渡して、自分の缶のプルトップを引いた。


「寝たきりだったことが原因で、あたし二年留年してるから。歳の上では要っちより一つ上なんだよ」

「……なるほど」


 少なくとも僕は年下女子にほだされたワケではない。

 誰に対してなのかわからないが、そういう言い訳は立つ。

 安っぽいプライドがほんの少しでも守られたことに安堵し、僕は海江田が誘うままに、彼女が持ち上げた缶に自分の缶を軽く当てたのだった。

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