1-8


 十四時半。午後最初の授業を終えて、遅い昼食を食べに学食へ行く。

 玉林大学のキャンパスには四つの食堂があり、一番人気は開いている時間がもっとも長く、メニューも豊富な文学部棟近くのモンタナ食堂である。

 本日のBランチ――白身魚のフライ、タルタルソースと海藻サラダ――を食べながら、僕は周囲の絶えることのない喧騒にため息をつく。

 昼時はズラしたのだがまだ人の数は多い。授業の待ち時間を潰す者、特にやることもなく集まる者、くだらない話に花を咲かせる者など……長く開いているゆえ、この食堂には必然的に人が集まってしまう。

 講義があった学部棟から近かったのでここに来たが、工学部の方にある日向食堂に行った方がよかったかもしれない。今さら悔いても仕方ないが。

 目的もなく、限りある時間を無駄に浪費する連中。今が永遠に続くと思っている連中。その中で囲まれていると、自分も同じレッテルを貼られてる気分になる。


 ……いや……実際、僕も同じか……。


 自分に才能があると信じて書き続けている小説が、本当に僕にとってプラスになっているのだろうか。単なる自己満足に過ぎず、若い時間を無駄にしているに過ぎないのではないか……。

 彼らにしたって、今は暢気に笑っていても自分の進み道について思い悩むことはあるだろう。僕よりも実のある努力をしているかもしれない。

 印象だけで決めつけるのは偏見だ。


「………………」


 身勝手な思い込みに自己嫌悪するが、それでも心のざわつきは収まらない。

 感情を押し殺すよう味噌汁を飲み下す。


「御堂、ここ空いているか?」


 不意に声をかけられた。驚いて顔を上げると、定食のトレイを持った長身の男が僕を見下ろしていた。

 同学科、去年一緒のクラスだった犀川秋吉さいかわあきよしだ。


「……別に、空いてるけど」


 無表情で訊ねてきた彼に素っ気なく答え、僕は味噌汁の器を置く。


「そうか」


 トレイを机に置くと、犀川は隣に腰を降ろした。食堂内はそこそこの混雑状況で空いている席はまばらだ。

 まあ……騒がしいグループの近くに行くよりは親しくなくても静かな知り合いの傍の方がいいかもしれない。

 僕とタイプは違えど、犀川もテンションが高い方ではない。


「午後からか?」

「三限目、七津橋の授業から」

「ああ、必修選択で履修したのか」

「まあ……そう」


 鳥南蛮定食大盛りに箸をつける犀川をチラリと見て、僕は頷いた。

 確か……彼はフルコンタクトの方の空手部に入っていて、高校の頃に黒帯も取っていると一年生の時に聞いた。学生自治会にも所属し、今年は新入生たちに学内での行動や規則についての説明役をやったとか。

 長身、がっしりとした身体つきに短髪をうしろに流した髪型。切れ長の鋭い目は二十歳になったばかりの学生には見えない。

 黒スーツに金バッジが似合ってそうな、凄みのある風貌だ。


「どうだった?」


 そんなことを思っていると、重ねて犀川は訊いてきた。


「……え?」

「授業内容。俺は午前に〝金枝篇から生まれた劇場芸術と時代史〟を受けた。同じ舞台演劇で違う脚本家のものを五本も見るらしい」


 淡々とした口調の中にもやや辟易とした感情を混じえ、犀川は言った。

 こいつは常に表情を崩さない。動揺するという言葉の意味を知らないと思う。


「――あ、ああ。まあ興味深くはあったよ。僕は日本民俗学専攻するつもりだし」

「そうだったか」


 大盛りどんぶりの米を見る間に平らげながら犀川はつぶやく。

 僕とはやはり違う意味で、犀川も一人でいることが多い。

 去年のクラスではまとめ役を務め、親睦会などを仕切ったのは彼だった(僕は一度しか参加しなかったが)。周囲は慕い頼っているが馴れ合うことを好まず、友人はいるだろうが、誰かと学内に一緒にいるのを見ることは少ない。

 二年生になって顔を合わすことも少なくなったが、今日僕に話しかけてきたのは〝ただ知り合いの近くの席が空いていたから何となく〟程度の理由だろう。

 客観的に見て、彼が僕を友人として認識しているとは思えないから。


「ヨーロッパ民俗学も面白そうだと思ったが、俺が受けた講義は今一つだったな」


 大きい鳥南蛮の切り身を二口で食べて、犀川は気難しそうな顔をする。


「そうか。えーと……そういえば犀川。君、今年の一年に校内説明みたいなことしたんだろ? 学生会の仕事で」


 会話に困り、僕は咄嗟に思いついたことを口にしていた。犀川の目がこちらへ向く。


「ああ」

「その中にさ……何ていうか、変な女いなかったか? 出会い頭に飛び蹴り食らわしてくるような」


 海江田が本当に人類文化学科の所属で僕の後輩なら、犀川が担当した一年の中にいたかもしれない。

 そう思って訊いてみたのだが、犀川は眉間の皺を深めて首を捻った。


「いや……俺も一人一人を覚えているわけじゃないからわからないが……跳び蹴り?」

「ああ、えっと……例えばの話だよ……」


 いや、どんなヤツだよ我ながら。例として出すには稀すぎる特徴だった……。


 いらんことを言った。話慣れてないヤツが下手に話題をふるもんじゃない。

 後悔しながら、僕は食べ終えた定食のトレイを持って立ち上がる。


「それじゃあ僕、次の授業芸術学部の方だから」

「そうか。――ああ、御堂」


 返却窓の方へ歩き出すと、背中に犀川の、低くてよく通る声がかけられた。


「来週の金曜に、前のクラスで呑み会をやろうって話があるんだが……君も来ないか?」


 ……なるほど。犀川はこれに僕を誘うため隣に座ったのか。


 彼らしい面倒見の良さだ。クラスでの集まりなど、僕は一年の頃からほとんど参加していないと言うのに。

 振り返り、僕は苦笑いをして首を振った。


「遠慮しておくよ。呑み会あんまり好きじゃないんだ」

「……そうか」


 言って、犀川は軽く手を挙げた。

 彼の気遣いに、申し訳なさと若干の屈辱を感じつつ、僕は早足で食堂を去った。

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