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 工学部方面、林の茂る区域にある林道図書館は大学敷地内でもっとも大きな図書館だ。

 所蔵している本は主に歴史学や社会学の本。民俗学関係のものもここにあり、分厚いハードカバーから新書のようなわかりやすいものまで数多く揃っている。

 一階の受付で学生証を提示し、ガラス張りの螺旋階段を上がって二階へ行く。妙に洒落た造りなのは、図書館に足を向けない学生に媚を売っているからだろうか。

 僕は使ったことがないが、受付前にあるオープンカフェのような丸テーブルとイスは、女子学生が時間潰しにダベっている姿をよく見る。本来は借りた本を読むための席であるハズだが。

 持ち出しを禁止するための改札型電子ゲートを潜り、館内に入る。

 この図書館は、奥の映像フロアに置かれている映画を個別ブースで鑑賞する学生がたまにいるくらいで、本棚の周りに人の姿はほとんどない。せいぜい読書スペースで自習する者がいるくらいだ。

 窓はあるが見えるのは薄い松林のみ。この隔離されたように静かな空間は、大学内で僕が好む数少ない居場所だった。

 いくらか落ち着いた気分で、民俗学の蔵書が並ぶコーナーへ行く。

 

 ――と、そこにはめずらしく先客がいた。

 

 本棚から抜き取った厚い本に目を落とし、立ち読みをしている女学生。

 栗色、ショートカットの内巻き髪。派手なパープルの肩出しブラウスに首にかけたヘッドフォン、デニムのショートパンツ。

 図書館よりもビレッジバンガードが似合いそうなサブカル風の風体だ。リスのような大きな瞳が時折動き、文章を追っている。

 束の間、僕は女学生に見惚れ――それからどうしたものかと思案した。

 読みたい本は彼女の傍の棚にあるのだが、人の少ない館内でわざわざ近くに行くのは、不審に思われる可能性がある。

 僕はあくまで本を探しに来たのであって、そんなことで誤解を受けるのは心外だ。だいたい今朝は無駄に傷ついたのだ。これ以上余計な傷を増やしたくない……。


 ……少し、時間を空けるか。


 そう考えて目を離そうした瞬間、女学生は、弾かれたように僕の方へ顔を向けた。

 少し釣り目がちな目が僕の姿を捉えるや否、彼女は、


「――危ないっ!」


 と叫んだ。


「っ!?」


 その迫力に、咄嗟に身をのけ反らせる。

 一泊後、ガラスの割れる激しい音が響き、何かが目の前を通り過ぎた。

 それは壁に当たると、数度バウンドして床に転がった。


「…………野球ボール?」


 足元に転がってきた球を拾い上げ、僕は乾いた声でつぶやく。

 そういえば――確か、松林の向こうには運動部用のグラウンドがある。僕も一年生の頃、体育の授業で野球やらサッカーやらを少ない人数でやらされたものだ(大学に入ってまさかそんな授業を必修でやらされるとは思わなかったが)。

 まだ部活が始まる時間ではないから、今年の一年生が野球でもしていたのか。僕らの代はダラダラと流したものだが、こんなところまで届くとは……強豪校の長打者でもいるのだろうか。

 しばしそんなことに思いを巡らせ――それから我に返り女学生の方に目を向けると、彼女の姿は消えていた。

 あの位置からだと窓は見えない。前後は本棚で入り口には僕がいる。


 ……何で彼女は、この球が飛び込んでくるのがわかったんだ?


 握ったボールに目を向ける。

 何の変哲もない、砂にまみれ、使い古されたボールだ。


「すみませーん!」


 やがて体操着姿の学生と講師がやってきた。

 何でも体育をしていた一年生に、甲子園の予選で決勝までいった元野球部がいたそうだ。タイミング悪くグラウンド周囲に張り巡らせたネットの一部が破れていて、そこから抜けた出た一打が図書館にまで届いてしまったのだと。


 そんなものが目の前にくるなんて、何という不運か……いや、それでなんともなかったのだから幸運なのか?


 頭を下げる一年生と講師に大丈夫だからと言って、僕は図書館を出た。

 本を借りることもすっかり忘れ、脳裏に残る、立ち去った女学生の姿を思い返しながら――。

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