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 ――人の同情誘うような話はしたくないんだけどさ、あたし小さい頃事故に遭って、寝たきりだったことがあるんだ。

 一年ぐらいまったく起きなくて、いわゆる植物状態。

 脳波や心音、内臓に異常はなかった。お医者さんも原因がわからないって身内に説明してたけど、実はその時、あたしに意識はあったの。

 と言っても寝たふりしてたワケじゃないよ。色んな測定器付けられてたし、そんな真似すればすぐにバレるし。

 つまりね、あたしの身体は眠っていたけどあたしの意識は起きていて、その意識は身体の外に出て、どこへだって自由に行けたんだ。

 明晰夢じゃなくて……幽体離脱ってやつ? 魂だけが抜け出てた感じ。

 空を飛ぶことも建物に透けて入ることもできて、びっくりするほど楽しかった。その頃はうんざりすることばっかりで辟易としていたから。

 身体はなかったけど、あたしはどこへでも行けたし、誰とでも会えた。でもほとんどの人にはあたしが見えなかったみたい。たまに目が合う人、もっと稀に話せる人もいた。いわゆる霊視ができる、霊能者ってヤツ?  

 あたしみたいな状態なのを、見慣れている人、初めて見たっぽい人――霊視できる人にも色々いたよ。話せる人は平然としているあたしを見て、めずらしいって言ってたな。

 霊体だけになってるのって肉体が臨死状態の場合が多くて、ほとんどの人が混乱してるんだって。

 意識だけで自由なあたしを見て、羨ましがる人もいた。

 その中の誰かに聞いたのかな……人々が暮らす現世とマレビトが住む常世、その狭間にある場所がどこかに存在する。

 そこには双方の者が行くことができて、生者と死者が混じり合う、境目のない世界なんだって。

 意識だけだったけど、あたしは肉体を失い死霊となったマレビトじゃない。当然、肉体を持つ人間でもない。

 今のあたしがそこに行けるのか。そこには何があるのか……妙に心を惹きつけられて、あたしは色んな場所を飛び回り、帰り道も忘れて知らない山に入り込み――ついにそこに辿り着いた。

 そこには先客がいた。もうずいぶん長いこと、マヨイガにいると言っていた。

 穏やかで静かで、安らぎと心地良さだけがある空間。立派な屋敷と、広い庭だけの世界。

 その場所は、あたしとその人だけのものだった。

 あたしもしばらくの間そこで過ごして、ずっとここにいたいと思った。目を覚ましても面倒くさいことが多かったし、目覚めたいという理由もなかった。それならここで、ずっと、ずーっと、その人と一緒に暮らしていたかった。

 ……でも、その人はダメだと言った。

 自分もあたしもこれ以上ここにいるわけにはいかない。自分たちの世界と向き合わないとダメだって。

 あたしと会ってそれに気づけたって。自分にもあたしにも待っている人がいるから、目覚めないとダメだって。

 その人が別れ際にこの勾玉をくれたの。それからすぐに、あたしはずっと入院していた病院のベッドの中で目覚めた。

 その時、あたしの首にはこの勾玉がかけられていたんだよ――。


                 ※                   


「……そこがマヨイガだとして、君よりも先に人がいたって……その人は人間だったのか?」


 荒唐無稽な話に戸惑いつつも、語り終えて満足そうな表情の海江田に僕は訊いた。


「残念ながら、あたしはそこでの出来事をぼんやりとしか覚えてないの。霊体だけで動き回っていた時、何を話したとかは覚えているんだけど、人の姿とか顔とかは曖昧でほとんど記憶に残らなかった。だから、その人の正体はわからない。でも……結構歳はとっていた気がする」

 

 初老ぐらいだったかな、と言って、僕の反応を窺うように海江田は顔を覗きこんできた。


「どお。この話は小説に使えそう?」

「それだけじゃな……」


 ……もしかして作り話か? 


 人を食ったようなこの女の態度を見ていると、ただからかわれているだけの気もする。でも、さっきの話をしている時の彼女にふざけたところはなかった。

 内容はともかく、話す言葉にはリアリティに満ちた迫力があったし、今までため込んでいたものをやっと吐き出せたような、熱気さえ感じられた。


 ――どちらがこの女の本性なのだろう。


「そっか。まあ肉付けする部分はこれからの活動で見つけていけばいいよ」


 取り直すよう言って、海江田はおもむろにポケットから財布を取り出し、中に挟んであった紙片をちゃぶ台の上に広げた。 


「――で。長くなったけど、あたしが君に会いに来た目的がこれ。メンバーとして入会に必要なサイン、書いてくれる?」


 目を落とせば、それはサークル活動の申請書だった。責任者兼発端者の所には海江田よもぎとあり、他の所属者の欄にはまだ名前がない。


「まだ君だけじゃないか……マヨイガ探索隊?」


 申請書一番上の記入欄であるサークル名。主な活動予定として、民俗学にちなんだ僻地を回っての実地体験とある。


「……でも、何で僕をメンバーに加えようと思ったんだよ?」


 海江田は僕の文章力を評価しているようだが初対面でよくも知らない相手である。

 いや……これまでの言動からして、海江田には僕を知っているような素振りもあるが。

 胡乱げな顔を向けた僕に、海江田は、ふっふっふっ、と不敵な笑いを洩らして口を開いた。


「こう見えてあたし、人脈は広くてね……サークル実績作るのに文化祭での展示品や冊子作りで文章書ける人いないかって現文研の知り合いに聞いたら、そこそこ文章力はあるけど意識も高くて孤立気味でもうすぐ辞めそうなヤツがいるからそいつ誘ってみたら? って聞いて。そいつ無駄に熱くてすぐ自分の作家感とか語り出すのウザいし人の書いた小説の感想言う時はだいたい上から目線で鼻につくわりに自分の小説批評されるとめっちゃ早口で捲し立ててきて見ててイタい、色々キツい。できるだけ早く視界から消えてほしいから家の前で待ち伏せでもしてたらって――」

「え? それ誰のこと? ってか、誰が言ってたの?」

 

 唐突に始まった現文研の暴露話――というか罵詈雑言話に思わず泣きそうになって僕がつぶやくと、海江田は人差し指を唇の前に立てて、


「それは守秘義務があるから言えないなぁ」

 

 と、いたずらっぽくウィンクして言うのだった。 

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