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「くぁ~……」 


 耐えきれず、つい出てしまった欠伸を手で押さえながら、大学内の道路を歩く。

 僕が通う玉林大学は山を切り崩しそこかしこに学部校舎を建てた、山岳観光地帯のような造りをしている。坂道の傾斜は大きく学生は息切らしながら登らなければならないが、教授連中は車の使用が許可されてるため、ヘバる学生を傍目に優雅な出勤ができるワケだ。

 現在時刻は正午過ぎ。坂道を歩く人の姿はまばらだ。

 朝は必修の多い一年生らが一斉にやってくるが、昼以降、この通りが混雑することはそれほどない。二年生以上でも早い時間に講義を済ませて、そのあとを有意義に使おうという学生は少なくないのだ。

 勤勉で結構だ。おかげで午後の選択授業には空きが出て取りやすくなるし、朝が弱い僕のような人間にはありがたい。 


 その結果、怠惰な生活が助長してゆくわけだが……。

 

 二、三度続けて欠伸をし、それから首を左右に曲げる。

 体調はあまりよろしくない。バイトの翌日――いつもなら昼まで熟睡しているのに、床で雑魚寝したうえ中途半端な時間に起きてしまったから寝不足気味だ。

 あの女――海江田からの話を聞いたあと、あいつが帰ってからも寝直す気にはなれなかった。

 それは額の痛みを意識してやたら目が冴えてしまったこともあるが、胡散臭さ満載のあいつの話が、何故か僕の頭を離れなかったこともある……。


                  ※      


「マヨイガ……遠野物語に出てくる長者屋敷か」


 伝奇、怪奇小説を好み、民俗学を専攻する学科にいる僕は当然その名称に聞き覚えがあった。


「知ってるよねぇ、要っちなら」


 にんまりと笑ってみせると、海江田は首から下げた勾玉を掌の上に置いた。


「遠野物語に出てくるのは三浦家と山崎家の話。全国的にある椀貸し伝説が元だと柳田国男は見ていた。無欲ゆえに無限に米、麦が湧く椀で富を授かった女と、欲を出したせいで二度とマヨイガに辿り着くことができなかった婿たちの話」


 以前に読んだ口語訳のものを思い出しながら僕は言う。


「柳田によればマヨイガに行ける者には気質があり、それは異界、異郷との交通が可能な気質だとか。そして――マヨイガが現れる場所の条件。山崎家の話に出てくる白望山の麓のような、神秘体験が多いところだとか」


 僕は視線を勾玉に向けた。

 黒い勾玉。黒曜石か何かだろうか。見た目は平凡で安っぽい、スピリチュアル・アクセサリーショップで売ってそうな石だ。


「で……いったい君はどこからマヨイガに行って、その勾玉を取ってきたって?」


 信じたわけではないが一応訊いてみる。


「ベッドの中から、すーっと」

「……つまり夢ってことか?」

「そうなるかな?」


 おどけたように言う海江田に、呆れと、軽い怒りが湧いてくる。


「バカバカしいっ。作り話でも、もう少しまともなこと言えよっ」

「まあまあ、そう結論を急がないでって」


 掌から勾玉を胸に落とし、海江田は含みのある表情を浮かべる。


「確かに、あたしがマヨイガに行ったのは肉体を伴った現実でのことじゃない。でもね、奇妙なことにその現実じゃない場所でもらったはずの勾玉が、起きた時のあたしの首に掛けられていたんだよ」


 宗教に熱を上げた信者のように、海江田は生き生きとした口調で喋る。しかし瞳の色は正常だ。妄想に憑りつかれているメンヘラには見えない。

 疑惑の目で見つめる僕に、とつとつと海江田は自分の過去を語り始めた――。

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