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「――くそ……これだから直情系の連中は嫌なんだ……もっと理性的に教えてくれればいいのにすぐ感情に任せて怒鳴って……」


 深夜0時半。

 日を跨ぎ家に帰る道中、このどうにもならないむしゃくしゃした気分を少しでも晴らせないかと、コンビニで買った缶ビールを呑みつつ僕――御堂要は、人通りのない道をしょんぼりと歩いていた。

 まったく最悪の一日だった。所属しているサークル――現代文学研究会通称〝現文研〟では先輩とケンカして三行半を突きつけられ、自信作のつもりだった小説は一次選考落ち、バイトのラーメン屋では使えないカオナシと罵られる……。


 僕が住むのは神奈川と東京の境目に位置する街。某二十代で直木賞を受賞した作家が住んでいたり、芥川賞を受賞した某作家の通っていた大学があることで知られている。

 駅前は栄えた繁華街がある一方、その通りを離れれば北へ南へと住宅街の広がるベットタウンだ。


 最寄り駅の路線列車、小田急線沿いの道を歩きながら、僕はぶつくさつぶやきながら脚を進める。

 明日の朝は講義を入れていない。昼まで寝てから向かえばよい。

 何の益にもなっておらず、ただ無為に過ごす大学生活二年目。しかし形のない焦燥だけは喉元を上がってきて、どうにかしろと僕を急かす。


 でも……だからといって、一体どうしろというのだろう。


 夢。作家になれると信じて中学から小説を書き続けてきた。未熟な部分はあっても、人に見せられるくらいの力はついた、と思っていた。

 しかし一歩進んでは二歩戻っての繰り返し。そのたび自身の自意識過剰ぶりを恥じて自己嫌悪を抱くが、だからといって諦めることもできず、同じことを繰り返す。

 人間関係の構築が苦手で要領も悪くて手先も不器用な僕が誇れることと言ったら、続けてきた小説しかないのだから。


 でも……続けてきたからと言って、才能があるわけではないのかもしれない……。


 酒に弱い僕はビール一本で酔いが回り、目元には涙が浮かんでくる。

 男は泣いてはならぬ、背中で泣けとハードボイルドな小説の主人公たちは言外に語るが、今の僕に泣く以上の癒しがあるのか。

 この、何もない僕に。


「くそぅ……いいことなんて、何にもねーよ……ああ、どっか優しい世界に行きたい……」


 戯言をほざきながら線路に沿った大通りを曲がり、マンションやアパートが多く建つ深夜の住宅街路を進む。

 道なり二つ目のマンションが僕の住む家だ。


「……?」


 と、足を止める。

 僕の正面からおよそ二メートル、マンション入り口前の道路。街灯に照らされたその下に、仁王立ちをした小さな人影があった。

 黒地に赤いマリナーズのロゴが書かれたキャップを目深に被り、素顔は窺え知れない。

 街灯に照らされた姿は子供か女性か。夜中見るには少し異様な雰囲気を放っていた。

 立ち止まったまま、僕はそいつと向き合った。

 そいつは僕の姿を認めると、両腰に据えていた手を離した。


「遅かったじゃん。バイト」

「――ああ?」


 女、だ。

 こちらをからかっているようなやや高い声。口調は親し気だが聞き覚えはない。


「ずいぶん〝待った〟んだよ、こっちは。……ま、いいや」

「……えと……あんた、何言って……」

「とりあえず、挨拶代わりに――」


 困惑する僕の言葉を遮り、女はタメを作るように膝を折り曲げ低く構えた。

 そして次の瞬間、


「――とぅっ!!」


 バネを放つように跳び上がり、直線――僕の顎に飛び蹴りを叩きこんできた。


「――がふっ!」

「あ、やば。もろ入っちった」


 耳に残ったのは女の暢気なつぶやき。

 目の上でキラキラと弾ける星。沈んでいく意識の中で、僕は心を詰めた小箱の蓋をゆっくりと閉めた。


 ……最悪な一日は日を跨いでも続いていた。もう、どーにでもしてくれ……。


 深い深い絶望の中で、僕は諦観を抱いたものだった。

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