第3話
「読め」
久し振りに入ったフォールの部屋は大きく様変わりを遂げていた。
空いた場所が多かった本棚は隙間もないほどだし、勉強机はそのまま執務机に用途を変え書類が山積みだ。
長椅子に腰を掛けるなりフォールから数枚の紙を渡された。
この来客用の家具の揃えも今まですべてなかったものだ。
私の部屋だって色々変わっているのだからお互い様だが、幼い頃に一緒に遊んだものがなくなっているのは少し寂しい。
フォールのその言い方に、私も言い返そうかと思ったが、真剣な顔を見て言うのを止めた。
せめてと言わんばかりに少々乱暴に紙を受けとる。
私が大人しく紙に目を通し始めたのを確認すると、フォールは鈴を鳴らし侍女を呼んだ。
いつもならフォール付きの侍従が控えているはずだが、今日は下がっている。
間を置かず侍女が入って来て用を聞いていく。
紙には昨日お義父様から伝えられた私の婚約予定の貴族の令息名があり、その彼にまつわる様々な事が書いてあった。
見合いで使う釣書といえば聞こえはいいが、フォールの出したこれは身上書に近い。
趣味が悪い。と思うが、どんな手を使ったのかたった一晩で情報を得るとはさすがに舌を巻く。
ただ、どうせ覆ることがない決定なら、知りたくもない相手の過去なぞもっと知りたくもない。
私は一枚目の半ばまで読み紙をテーブルに置く。
「何よ。これ」
「見て分からないのか?お前の結婚予定の男だ」
「だから、何?」
「何ってお前。知ってるのかこういうやつだって」
「知らないわよ。知りたくもない」
一旦話すのを止め、お互い剣呑なまま睨み合う。
そんな雰囲気の中に入室してきた侍女たちは、私達の空気に構うことなくお茶の用意を進めていく。
だって私とフォールの意地の張り合いは王宮では当たり前の日常茶飯事だから。
侍女たちも何事もなく各々の仕事をし、私達もいつも通り、睨みあったまま侍女たちが下がるのを待つ。
そして侍女らが退室した扉を閉める音を聞いてフォールが口を開く。
「自分が婚約する相手がどんな人物か知りたくもないとはどういうことだ」
「知ったところで嫁すことに変わりがないなら、知らないままの方がいいと思うからよ」
「……馬鹿が」
「何ですって?!…フォール。言っていいことと悪いことの区別がとうとう出来なくなったみたいね?!」
「出来るから言ったんだ。一生を共にする相手がこんな阿呆でいいかと分かってないみたいだからな」
「私の結婚相手が阿呆かどうかなんてフォールに関係ないでしょう!」
思わず大きくなった私の声に、大きなフォールの溜息で会話が途切れた。
とても王宮で交わされる会話では決してない。
また睨み合うか?と思いきや、フォールは眉間に皺を寄せたまま濃緑のビロードで張られた椅子の背もたれに深く身を預け目を瞑る。
腕組みをしていた右手もこめかみの辺りにやり、また大げさに溜息を吐く。
今日のフォールは私と同じく公務がないのか、普段からすれば幾分軽装だ。
赤茶のトラウザーズに白いシャツのみだ。
首元も大きく開けてあるため、たまに鎖骨が覗く。
恋する欲目か、長い足を組み、悩む姿も……良い。
いや、見惚れている場合ではない。溜息を吐きたいのも、頭痛がするのもこっちだって同じだ。
私は乱暴にお茶を呷り、自分の聞きたいことがまだ何も聞けていない状況を思い出し、苛立ちを覚える。
「大馬鹿には阿呆が似合いだが、忠告してやる」
「!」
「この家との繋がりを持ちたいなら何も縁続きにならずともどうにでも俺がする。こんなろくでなしが義弟なぞ許せん。そしてキャデル。お前はどこにもやらない。陛下に一年間の猶予を頂いた。その間に教育をし直せ」
「……教育?今更この国で王女として育った私が何を学び直すっていうのよ」
普通に考えれば王女しての教育は国の最高峰であり、すべての令嬢の見本となるべく教えを受けている。
向かいに座る剣呑な銀の妖精から次々に出てくる言葉に、どう反論すればいいか考えあぐねている間に、フォールは雰囲気を一変させ獲物を捕らえる捕食者のような視線に変え、獅子が鼠を転がすように悠然と私に面白がる笑顔を見せる。
顔が美しいだけにそんな黒い微笑みも様になって、思わず見とれてしまうが、なにか背筋を凍った手で撫でられたように感じた。
焦って周りに目を泳がせるが別段変わったことなどなく、向かいに悪魔のごとく微笑む義兄がいるだけだ。
本能的に次のフォールの返事を聞いてはいけないと思ったが、無常に時は進む。
「王女として学び直すんじゃない。新たに学ぶんだ、妃・教・育・を」
「……はぁ?」
思いっ切り間抜けた返事を返してしまった。
今も衝撃に耐えかね、呆けた私は口を開けその間抜けな顔をこの美形の義兄に晒していることだろう。
フォールがなお続ける。
「お前には俺の妃になってもらう。せいぜい一年間、よく励めよ」
誰が言ったか知らないが、悪魔は美しく人を魅了するとはよく言ったものだ。
暗に逃がさないぞと私に圧を掛け、壮絶な妖艶の笑みを向ける義兄に重ねる。
私が返事をしないことを何とも思っていないのか、フォールは機嫌を直し、冷めた紅茶に口を付けている。
その動作を心ここに非ずと眺め、言われたことを頭の中で復唱してみる。
……私が……フォールの…妃……?
……冗談でしょ……
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