48 最後の晩餐

 マーフィーが迎えに来るまであと一日。三日後に来ると聞いたときはあんまり深く考えていなかったけど、いざ準備をするとなるとなかなかにバタバタしてしまった。

 まず大志さんには二人が親戚のもとへと帰ることを告げた。いつの間にか二人の身寄りは海外にあることになっていて、大志さんは日本を離れても元気でいて欲しいとエールを送ってくれた。

 心寧に聞いてみると、やっぱり彼女が入れ知恵したものだった。なんだか大志さんに申し訳なくなったけど、実際、海外よりも遠くへ行くのだから間違いではないと認めることにした。

 心寧も二人が修行を終えることを惜しみ、絶対にお祝いのパーティーをするのだと言い張った。だから今日の夜はまた心寧が家に来る。


 たぬきの塾に二人を送るのも今日が最後。どうしても一日休むことはできなかったから、午後は休んで二人のことを早めに迎えに行こう。折角の門出だ。盛大なパーティーを開くには手を抜くことはできない。

 半分上の空で午前の仕事を終わらせ、つい数時間前に訪れたばかりのたぬきの塾へと向かう。


 大志さんは迎えに来たことに気づくと、大部屋まで通してくれた。

 エヤとミケは友だちとハグをしながら別れを惜しんで瞳を潤ませている。

 この場所でたくさんの思い出を作ったのだろう。はじめはどうなることかと思ったが、いつの間にかここは彼女たちにとってのかけがえのない居場所になっていた。


「何人も子どもたちの卒業を見てきましたが……やっぱり別れは寂しいよねぇ」


 大志さんが感慨深そうな顔をして深い息を吐く。


「二人とも、すっかりみんなの人気者でしたし、しばらくは余韻を引きずっちゃうかもしれないなぁ」

「……二人が楽しんでいたのなら、何よりです」

「あははっ。それは間違いないよ。至さん、二人を連れてきてくれてありがとう」

「……こちらこそです」

「皆、二人が来てから少し前向きになった気がするんだ。……出会いって、素晴らしいね」

「大志さんも良いこと言いますね」

「あっ! 意外だって思ってるでしょ?」

「そんなことありませんよ。いつも思ってました」

「嘘だぁ! 至さん、褒めたって何も出てきませんからね?」

「はは。残念です」


 まったく、と眉を下げて笑う大志さんのもとに、挨拶を終えた二人が駆け寄ってくる。


「何を話していたんだすかっ?」

「ん-ん。内緒。大人のお話です」

「なにそれ」


 ミケはきょとんとしたまま少し呆れたような顔をした。


「二人とも、大志さんにもちゃんと挨拶した?」

「うんっ! タイシサン! お世話になりましただす! エヤ、たぬきの塾が大好きだすっ。皆のことも、タイシサンのことも……! スター、大事にするだすねっ」

「うん。またいつでも来てね」

「ありがとう。楽しかった」


 ミケは言葉こそ少ないが、頬を噛みしめ涙を堪えているのがすぐに分かった。大志さんはぴしっと姿勢を正し、見事な敬礼をしてみせる。


「それでは! また会う日まで、各々日々の発見を忘れないように!」

「はいっ!」


 エヤとミケは元気よく敬礼を返し、手を振りながら玄関に向かう。

 門を出る前に振り返ると、大志さんと子どもたちが見送りに来てくれていた。


「みんなー! ばいばーい!」

「元気でね」


 大きく手を振り合う二人と皆。俺は後ろ歩きで最後まで皆の顔を見ようとする二人が転ばないように足元に注意を向ける。すると。


「至さん! またね!」


 大志さんが口元に手を添えて大きな声で呼びかける。


「……はい!」


 彼の笑顔に向かって感謝を込めた言葉を返す。

 大志さんはそれを聞いて、また大きく手を振ってくれた。



 心寧も仕事を早めに終わらせたらしく、家に帰ると下の扉の前ですでに待ち構えていた。

 傍らにはケーキ箱を持っていて、エヤが目を輝かせるとニヤリと得意気に笑ってきた。

 部屋を楽しそうに装飾する三人をよそ目に、俺は一人たこ焼きの準備をする。

 何が食べたいかと聞いた時に二人はたこ焼きが食べたいとはしゃいだからだ。

 タコだけじゃつまらないからちょっとした変わり種も混ぜてみた。


「できたー!」


 飾りつけを終えた三人がどや顔でこちらを見る。


「こっちも準備できたよ」


 プレートを持って机に向かうと、三人は同じような顔をして笑うのだった。

 たくさん用意したつもりだったけど、意外にも四人ですべて食べ尽くしてしまうことが出来た。

 デザートにケーキが待っているのに食べすぎただろうか。

 ちょっと反省しかけた。でも結局それもいらない心配で、ワンホールのケーキはすぐに姿を消した。

 明日の仕事が朝早いという心寧は今夜で二人とはお別れになる。

 玄関で靴を履いた心寧は、見送りに来た二人の顔を見て表情を崩した。


「さみしくなるなぁ……っ」


 出てきた涙を隠すこともなく、心寧は二人をぎゅっと抱きしめる。


「本当におめでとう。素敵な天使と悪魔になってね……!」

「はいだす。ココネチャン。こちらこそありがとうだす」

「ココネ、いつも見てるからね」

「うん…………っ!」


 涙を拭いながら立ち上がった心寧は、俺の顔を見てくすくすと笑う。


「ヘンタイだと思ってごめん、お兄ちゃん」

「はは……もういいよ、それは」

「うん……。二人に出会えて、私、嬉しかった……っ」

「……ああ」


 心寧は大きく息を吸い込み呼吸を整えた。


「じゃあね、エヤちゃん、ミケちゃん。天界でも、元気でね」

「ココネチャンも!」

「われたちは大丈夫。ココネも元気でね」

「ふふっ。ありがとうっ!」


 もう一度二人の頭を撫で、心寧は玄関の扉を開く。


「では! お気をつけて!」


 そう言って手を振りながら去っていた心寧。

 扉が閉められると、賑やかだった空気が徐々に静かになっていく。

 鍵を閉め、部屋の片づけをしようとキッチンに戻る。


「二人はもう帰る準備できてる?」

「はいだす! ちゃんとまとめただすよっ!」

「マーフィーに見せても問題ない」

「そっか。それは良かった。……じゃあ、俺は片付けをするから、二人はもう明日に備えて寝る支度。寝坊とかしたらマーフィー怖そうだし」

「んふふふ。確かにそうだすなっ」

 エヤとミケはお風呂グッズを取りに部屋へと駆けて行った。

「……さて」


 残った俺は、まだたこ焼きの匂いが充満する部屋の中で一人腰に手を当てる。


「やりますか……」


 放置したままの食器と部屋中を飾る紙で出来た賑わい。マーフィーの目もあるし、できれば今日中に片付けたい。

 俺は皿を重ねながら、バタバタと風呂場に向かう二人の足音を耳に入れる。




 二人が眠った後、俺はソファに座ってスマホチェックをする。

 といっても、ネットニュースとかを見るだけで大したことはしないんだけど。

 いつものアイコンをタップしようと画面に向かい合うと、不意に通知のマークがついた別のアイコンが目に入ってきた。

 もうずっと開いていないエンチャンテッドロードのアイコンだ。

 ゲームの中の世界は今、一体どうなっているんだろう。

 しばらく顔を出していないせいか、ゲームを開く前から浦島太郎になった気分になる。


 最後にログインしたのは、多分、直音さんの入院を知る前だ。

 そこまで前の話でもないのに、もうずっとずっと昔のことのように思えた。

 どのアイコンにも触れることなくじーっとスマホを見つめていると、背後で扉が開く音が聞こえてきた。

 横目で見ると、ミケとちょうど目が合った。

 ぐっすり寝ているエヤを起こさないように、ミケは慎重に開けた扉を閉める。


「……イタル、まだ起きてた?」

「うん。ミケ、ちゃんと寝ないと明日起きれなくなるぞ?」

「わかってる」


 ミケは口ではそう言いながらも俺の横に座ろうとソファに手をついた。


「……? どうかした?」


 ちょこんと隣に座ったミケ。特に何も言うことはなく、正面を向いたまま口を尖らせる。


「…………あのね」


 俺の方を見ることもなく、ミケは一点を見つめたまま口を開く。


「われ、イタルにお礼が言いたい」

「……お礼?」


 反射的に首を傾げる。ミケはこくりと頷き、両手を脚の下に入れて視線を下げた。


「うん。われね、悪魔になれるかなって、ずっと気にしてた」

「…………うん」

「皆のこと好きなのに、われは悪魔にならないといけない。それが少し自信なかった」


 二人でお月見をしたことがあった。エヤとミケが喧嘩した夜。その時に見た彼女の不安そうな表情を思い出す。


「でもね、イタルの話を聞いてね、われ、悪魔であることに自信が持てた」


 ミケは顔を上げてまた前の方を見る。


「今はね、われ、素敵な悪魔になりたいって思えるの。心から。そうなりたいって思う」


 淡々と、でも力強く。

 ミケは彼女の心に眠っていた野望を誇らしげに教えてくれた。


「ねぇイタル」

「ん?」

「…………ありがとう」


 前を向いていた彼女の顔がこちらを向く。ミケは照れくさそうに不器用に笑いながら肩をすくめた。


「どういたしまして」


 彼女の真摯な言葉に答えるために、ミケの眼差しにしっかりとした声を返した。


「へへ……」


 ミケはふにゃりと頬を崩し、満足気に身体を揺らす。


「ほら、それじゃあもう寝ようか」


 ふわふわとした空気がそのまま彼女の目を覚ましてしまいそうだったから、気を取り直して彼女にそう呼びかける。


「うん。おやすみ」


 しかしまだミケは立ち上がろうとしない。

 何かを訴えかけるように彼女は俺の表情を窺ってくる。


「おやすみ、ミケ」


 そんなミケの小さな頭を撫でると、ミケはくすくすと笑って頷いた後で部屋へと戻っていった。

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