46 約束

 直音さんの遺品整理は、アパートの大家さんからも頼まれていたことだった。

 自分が亡くなった後誰が片付けるのか、なんだか申し訳ないな、と彼女本人がこぼしたこともあった。その時、俺は彼女と最後の約束をした。今日はそれを果たす日だ。


「本当にありがとうございます。もう、随分と本人が片付けているとは思うのだけど……」


 大家さんは鍵を受け取った俺に対して小さく頭を下げる。


「一回部屋に入った時、すっかり綺麗になっていたものだから。処分品は、この箱に入れてくださいね」

「ありがとうございます」


 続けて段ボール箱を受け取り、こちらも軽く頭を下げてから大家さんの部屋の扉を閉めた。

 直音さんから聞いていたのはボランティアへの寄付品と処分品の整理だ。彼女は入院の前にある程度整理しておいたと言っていた。彼女が遺した意思をしっかりと成し遂げなければ。


「…………責任重大だな」


 ぼそっと独り言が出ていくと、エヤとミケが顔を見合わせて首を傾げた。

 直音さんの部屋は俺が叔母さんから甥の特権として借りている部屋と比べるとコンパクトでシンプルだった。

 大家さんの言っていた通り、かなり整理整頓されていて、ほとんど生活感は残っていない。

 彼女が遺したメモを頼りに最後の支度をする。


「エヤ、ミケ、あっちにある本、束ねてくれる?」

「はーいだすっ!」


 二人に紐を渡し、俺は彼女が使っていたパソコンが載っている机を見やる。これはリサイクル行きだ。

 閉じられたパソコンの横では妙に親近感が湧くマスコット人形が口を開けて威嚇していた。

 手に取ると、少し埃の被ったモンスターのプラスチックの瞳が電球を映し、久しぶりの獲物を見つけて目に光を宿したように見えた。

 彼女がどのモンスターを迎えようか悩んでいた様が思い出される。

 選抜を勝ち抜いたこいつは、それを理解しているんだろうか。


「君は幸せ者だな」


 布と糸で出来たモンスターに語り掛けても何も答えるはずがない。プラスチックのつぶらな瞳は、先ほどと変わらずこちらを見て威嚇し続ける。


「……よし」


 マスコット人形を机に戻し、後ろで本を積み上げている二人に負けないように俺も作業に入ることにした。

 物数が少ないから時間と共に作業も順調に進む。

 処分品の分別をエヤたちに任せている間、俺は部屋の隅にぽつんと置いてある段ボール箱の前に座る。

 側面には”廃棄”と書いてあるから、これも処分品なのだろう。

 何が入っているのか確認するため箱を開けると、これまで部屋にあったどの物よりも懐かしい色をしていた。

 どこかの旅行先で買ったような小物やポストカード。小学生の時に周りの女子たちが夢中になって集めていたような雑貨。彼女の幼い日々の軌跡が箱の中には詰まっていた。

 いくつか取り出してみると、底の方にパステルカラーの革に愛らしい動物のデザインが施された何かの表紙らしきものが見える。


「…………ノート?」


 手に取ると、B5サイズの分厚いノートだった。

 使い古され味が出てきている表紙を開くと、一枚目に幼いタッチで描かれた三人の笑顔が迎えてくれた。

 三人の下には、おかあさん、のと、おとうさん、の文字。

 もう一枚めくると、日付と共に数行の文章とイラストで一日の出来事が綴ってある。


 ああ、そうか。

 これは彼女の父が残したプレゼントだ。


 ぺらぺらと日付を進めると、彼女の過ごした記憶が次々と現れる。

 抜けている日もあるから一冊で一年が終わることもなく、記録は数年にわたって綴られていた。

 それに従って彼女の筆跡も変化していき、イラストが添えられることも少なくなっていく。


“お父さん。ありがとう。私にとって、お父さんはただ一人です”


 最後のページに書かれていた一文。

 恐らくこの日、彼女は真実を知ったのだろう。

 彼女が感じた寂しさや喜び、冒険や学び。すべてがここに印されていた。

 ノートを閉じ、段ボールの側面に書かれた廃棄品の文字にピントが合う。


 彼女が生きていた日々。

 ふと顔を上げると、壁に飾られていたのは見覚えのあるメダルだった。

 立ち上がり、メダルを壁から外す。

 エヤとミケの話し声に紛れて、彼女の笑い声が聞こえたような気がした。

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