作家を続ける理由

「仮に今の生活が楽しかったら、作家業なんて『楽しい時間』を削る仕事でしかないの。書くことは好きでも、それを商業にしている時点でどこかで楽しさから外れてしまう。苦しいとか辛いとか、時間に縛られたり好きなものが書けなかったり───今まで好きでやってたことに『自由』がなくなる」


 あんたも経験あるでしょ? と、桜は柔らかい笑みを向ける。

 その言葉に、重たくも頷いてしまいそうになった。


「お金は手に入るけど、頑固たる目標がなければやってられないわ。この業界なんていつ消えるか分からないわけだし、苦しい思いをしてまでやる価値はあるの? ぶっちゃけ、私はないわ。今の生活が最高に楽しかったらやめてる。筆を折ってるわ」


 桜と初めて言葉を交わした同期会の時、作品を応募した理由を聞いたことがあった。

 その時、確か桜は「暇つぶし」と答えていたような気がする。

 もちろん、作品を応募する理由は人それぞれだ。金のため、人気のため、憧れていたため、誰かに追いつきたいため───例え他の人間が聞いてしまえば「は?」と思ってしまう理由だったとしても、編集部に選ばれたのだから文句は言えない。


 それに、俺自身も「何となく」で応募していたから人のことは言えなかった。

 けど俺は今、明確な目標が目の前にある。だからこそ情けなくもこの業界にすがりついている。


 しかし、桜にはそんな目標は存在しなかった。

 多分、今もなお見つかってはいないのだろう。


「まぁ、私はやっぱり今の生活が楽しくてもやめないかな〜。悩んで、葛藤して、最終的には筆を取っちゃうと思う」


「姉崎さんは、結局続けるんだな」


「そりゃそうだよ〜。印税って、大学生でも馬鹿にならないし、お金があれば滝くんといっぱい遊べるしー。それに、ね───」


 姉崎さんも、俺に向かって柔らかい笑みを向けてくる。

 先程から、どうして俺の方に向かって口にするのか分からないが、先の言葉に耳を傾けてしまう。


「こうして集まれるぐらいに仲良くなった二人に出会えたんだもの。この繋がりは大切にしいたいと思わないかな?」


 チリリン、と。姉崎さんの言葉に合わせて来店を知らせるベルが鳴る。

 姉崎さんの言葉はベルの音によって掻き消えたものの、この三人の空気の中に静寂を落とした。

 そして───


「まぁ、そうね……私も、もしかしたら悩んで続けるかもしれないわ」


「やっぱり、桜ちゃんも私と一緒〜」


「えぇ、だって作家を続けていればこいつにデカい顔をしてご飯を奢れるもの」


「おぉう? しんみりとした流れだったのに、いきなりマウントをかましてくるとはふてぇ野郎だ」


 ふふっ、と。からかわれた俺を見て、二人は小さく笑い出す。

 いいようにオチを作るための贄にされた気がしてならない。これも歳下が背負うべき業なのだろうか?


 だけど、それがどうにも腹が立ち、ムキになって思わず立ち上がってしまった。


「見とけよ! いつかお前らを超えるような本出してやっからよぉ! 重版とコミカライズ野郎は首を洗って待っとけ!」


 ビシっと、マウントを取ってきた桜と姉崎さんに向かって指をさす。

 布告の意味を込めて。いつまでもこいつらには負けられないと闘志を燃やす。

 そんな俺の布告を受けた二人は───


「眩しいねー」


「……やっぱり、高校生に戻りたかったかもしれないわ」


 何故か俺に向かって温かい目を向けていた。

 ……待って、その目やめない? たまに槙原さんが向けてくる目と同じ感じなんだけど?


「まぁ、それよりまずは企画書を通すことが先なんだけどね」


「うっ……!」


「如月くん、企画書できた〜?」


「うっ……!」


 二人を超えると決意した闘志はどこに行ったのか? さした指はみるみる縮こまってしまい、やがては俺の膝の上へと帰ってきてしまった。


「分かっています、まだできてません……」


「大丈夫なの、そんなので?」


「よくないです……」


 いけない、二人の温かい目からどこか哀れむような目に移り変わろうとしている。


「だ、だけど真面目な話! 一応何となくは浮かんでるんだ!」


「それ、作家としてはかなりアウトラインよね」


「締め切りから逃げる作家みたいだねー」


「逃げてないやいっ!」


 俺は大声で二人に向かって必死に弁明する。


「俺は今月末に企画書を出す! それでダメだったら、俺に次はない!」


 ガタッ、という大きな音が、俺が言い終わるのと同時に耳に入った。

 桜と姉崎さんから聞こえた音ではないようだし……他の客だろうか?


「……え? あんた、そこまで追い込まれてんの?」


「ご、ごめんね……? お姉ちゃん、無神経なこと言ったや……」


「待って、違う。気持ちの話だから」


 今度は申し訳なさそうな瞳を向けられる。今日一日で俺はどれだけ色んな目で見られなくてはならないのだろうか?


「実際には提出期限が今月末で、うちの担当さんが出版枠を確保してくれただけだから」


「あ〜、なるほどね〜」


「それならそうと早く言いなさいよ」


「うん、俺が悪いのね」


 どうにも桜だけ当たりが強い。

 もしかしなくとも、恋人ができない要因はこれなのではないだろうか……?


「まぁ、頑張りなさい。一応、同期のよしみとして応援だけはしといてあげる」


「素直じゃないな〜、桜ちゃんは〜! 一応なんか付けなくても、普通に応援してるんでしょ〜?」


「そ、そんなことないわよ……」


「だって、たまに『ねぇ、如月って今どんな状況か聞いてる?』って私に聞いてくるじゃん〜」


「なっ!? そ、それをここで言う!?」


 へぇ〜、桜ちゃんはそんなこと言ってたんだ〜、ニヤニヤ。普通に心配してくれてたんだ〜、ニヤニヤ。


「あんたもニヤニヤするなっ!」


「だってー、心配してくれて嬉しいんだもんー」


「うざいわねっ!」


 桜は顔を赤くし、上品さの欠片もなく紅茶を飲み始める。

 いつもからかわれてばかりだったから、こういった感じでやり返すことができるのは新鮮で気分がいい。モチベが高まった気がする。


「もちろん、私も如月くんを応援してるからね〜! 無事に出版できたら、またご飯を食べに行こ〜!」


「その時は財布は持っていかないようにするわ」


「じゃあ、私も〜」


「待って、それって私が奢る流れになるじゃない!?」


「でも、さっき「デカい顔で奢れる」って言ってなかった?」


「そうだけど! 流石に祝いの場でデカい顔はしないわよ!」


「あ、普通に奢ってくれるんだ」


「奢るわよ! その時は、姉崎さんもお金出しなさいよ!」


「おっけ〜」


 軽口を叩き、からかいからかわれながら場が盛り上がる。

 奢る奢らない抜きにしても、こうして祝ってくれると言ってくれるだけでも本当に嬉しいものだ。

 同期という関係しかないのに、今では友人のような関係としてこの場に座り、楽しい空気を味わえる。


 年上で、作家になってなければ関わることもなかった二人と出会えてよかった。


(本当に、いい同期に恵まれたなぁ……)


 それから、担当の愚痴やら最近の市場やら作品の話しやらで、俺達はかれこれ二時間は喫茶店に居座った。

 解散する頃にはすっかり外は暗くなっており、雪でも降りそうなぐらいに寒かったのを覚えている。

 だけど、今日に限ってはその寒さも心地よいものに感じた。


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