睦月を怒らせてしまった

 翌週の早朝。槙原さんのおかげでやる気満点のまま企画書作りに勤しみ、寝不足の状態で目を覚ました俺に二通のメッセージが来ていた。

 一つは睦月から『おはようございます、先輩♪』という可愛らしいモーニングメッセージ。


 通知時間は朝六時前。本人曰く、弁当を作ることを考えるとこの時間に起きないといけないらしい。

 勤勉というか、しっかり者だなぁと文面を見るだけでニヤけてしまう。

 そして、もう一通のメッセージ───


『今日の五時、いつものところで集合よ』


 すごい、具体的な主語がどこにも見当たらない。

 集合場所も何目的で集まらないといけないのか……睦月の方が文字数が少ないのに、彼女の方が分かりやすい。


 差出人は『ガチ桜』という桜アイコンの主。どこか湘南でタオルを回していそうな名前なのだが、生憎とそれ以外の名前を知らないからいじりようがない。

 とりあえず───


「いきなり過ぎて予定がパンパンなんだよね、と」


 今日は睦月を家まで送って企画書作りに取りかからないといけないから。

 俺は先に睦月のモーニングメッセージに返事を返すと、湘南でタオルを回していそうな差出人にそう返した。

 すると、何故か睦月よりも早く既読マークが文面上に浮かび上がった。

 そして、間髪入れずにメッセージが返ってくる。


『いいから来なさい』


 有無を言わそうとしない返信に涙が出てくる。


「いつも休日に集まるじゃねぇか。今日は流石に唐突すぎるだろ」


『そうは言うけど、私と姉崎さんが集まれるのが今日しかなかったのよ。次集まろうとしたら新年明けてからになっちゃうし』


「新年明けてからじゃダメだったの?」


『明けてでもよかったけど、どうせなら最後にもう一度会いたいじゃない? 姉崎さんも会いたいって言ってわ』


 まぁ、最後に会ったのが先月だったし、その時はまともに「一年ありがとう」って雰囲気で終わったわけじゃないからちゃんとしておきたいって気持ちは分かる。

 企画書の期限は近いのだが……何かこいつらから得られることもあるかもしれない。


 別に行ってもいいだろう。


「そういうことならいいよ。とりあえず、学校終わったら直行で行くわ」


『私と姉崎さんは買い物してから行くわ。ちょうど五時に着くようにするから、席の確保お願いね』


「ういーっす」


 そう打ち返すと、スマホをベッドに放り投げる。

 いつもであればカーテンから射し込む陽射しによって瞼が覚醒するのだが、今日に限っては体に悪そうなスマホの光だ。

 時刻は七時すぎ。飯を食べて身支度を済ませれば睦月が来る時間にちょうどいいだろう。


「今日はトーストをチンでいいかな」


 とりあえず、俺は重たい体を無理やりベッドから叩き起した。


 ♦♦♦


 冬の朝はどうにも苦手だ。寒さで温もりを求めるために回れ右を本能的にしたくなってしまう。

 朝食を食べ終わったのと同時に睦月が我が家まで迎えに来てくれて、いつものように一緒に登校した。

 もちろん、手を繋いだ状態である。


「なぁ、睦月? 今日は一人で帰ってくれね?」


 ちらほらと生徒の姿が見えてきた時、俺は唐突にお願いをした。

 ピンク色の派手なマフラーを首に巻いた睦月は唐突な発言に首を傾げる。


「珍しいですね、先輩は年中無休の睦月ちゃん屋ですのに」


「初めて聞くな、そのお店」


 とりあえず、何の商品を売っているのか皆目見当もつかない。


「そりゃ、ずっと睦月ちゃんに愛を注ぐためのお店ですよ!」


「流石に無休は可哀想だとは思わんのか?」


 睡眠時間ぐらい確保させてくれ。働き方改革もびっくりである。


「冗談はさておき───本当に珍しいですね? 先輩、放課後は基本的に用事は入れない人じゃないですか?」


「まぁ、そうなんだが……今日は人と会うんだよ」


 睦月の言う通り、俺は基本的平日には予定は入れない。

 睦月と一緒に帰るためというのもあるが、平日は企画書作りをしようと思っているからだ。


 休息は土日に設定───それ以外で予定を入れるとしたら、睦月と遊ぶ時ぐらいだ。

 ……そう考えたら、案外睦月ちゃん屋というのも間違っていない気がする。


「……人? 編集さんですか?」


「違う違う。俺の同期」


「同期……? 先輩、同期さんとかいるんですね」


「そうそう、ちょくちょく連絡取ってる奴らだよ」


 俺が新人賞を受賞した時、俺含めて受賞作家は五人いた。

 その内の二人は俺と同じく売上と人気が芳しくなく打ち切りになり、業界から足を洗ったらしい。

 打ち切り作家でも、企画書を作って再び出版しようと頑張る人間もいるが、挫折して筆を折る人間もいる。

 打ち切りが決まってから、どうにも声をかけることができずそのまま連絡はとらなくなり、今やその二人とは関係値がなくなってしまった。


 そして、五人の中で成功を収めている者が二人───そいつらとは、マメに連絡は取っている。

 今日連絡があったのも、その内の一人だ。


「新人賞を受賞した作家って、受賞式に一回顔合わせをするんだよ。そいつらとはそこで仲良くなって、たまに同期会とかしてるんだ」


 情報交換やら近況報告やら、近しい立場にいるからこそ話せるたわいもない話や愚痴。

 始めこそぎこちなかったが、今では月一で会うぐらいには仲はよくなったと思う。全員年上だけども。


「……私、そんな話聞いてないです」


「そういや言ってなかったな」


 聞かれたら答えるスタイルだし、同期会も睦月との予定がない休日にセッティングしてるから聞かれることもなかった。

 ……というより、完全に報告するのを忘れていた。


「……同期会はいいでしょう、作家さんとお話することによって得られるものもあると思いますし」


 流石睦月だ。話が早くて助かる。


「けど、一点だけ質問があります───」


 ただ……どうしてだろう? 握られる手の握力が増した気がする。若干、骨の軋む音が伝わってくるのが痛い。


「その同期さんは……女性ですか?」


 いけない、握力が強くなった理由がはっきりと分かってしまった。

 軋む音から逃げるように俺は手を離そうとするが、睦月は離そうとしてくれない。

 だから、本能的に睦月から顔を逸らしてしまう。


「……どうして顔を逸らすんですか?」


「……冬だなぁって思って」


「……女性、何ですね」


 睦月が急に立ち止まってしまったことにより、登校するための足が止まる。

 チラリと顔を見れば、ハイライトの消えた双眸が俺を捉えているのが見えた。


「い、一応言っておくが一人は《・》彼氏いるから!」


「もう一人は?」


 この返答はダメだったようだ。普通に睦月の逆鱗に触れたような気がする。


「ほ、本当にただの同期会だからっ! 浮気なんてこれっぽっちも考えておりません!」


「では、どうして私達のルールを守ってくれなかったんですか……?」


「…………」


 この言葉で、俺は絶対に逃れられないと理解した。

 俺達のルールに『異性と出掛ける時は報告する』というものがある。

 浮気防止───というより、相手を心配させないために予め報告をしようというもの。

 正直に言おう───今回は、全面的に俺が悪い。

 言い訳を並べてはいたが、元はといえば俺が約束を忘れて報告をしなかったことが睦月を怒らせることになった原因だ。


 何度も同期会をしていて、相手が女性となればもっと前から報告しておかなければならない。

 頭の中で色々な言い訳が思い浮かぶ。

 だが、これ以上言い訳を並べるのは流石に失礼だと思い、俺は素直に頭を下げた。


「すいませんでした」


「……どうしてですか?」


「もっと早くに報告しなければならないのに、ルールを忘れて報告しなかったことです」


 しばしの沈黙が広がる。

 手を繋いだまま頭を下げるという行為が珍しいのか、たまに横を通り過ぎる人の視線が突き刺さる。

 それでも、今回ばかりはしっかりと頭を下げた。

 そして───


「はぁ……もういいですよ、先輩」


 睦月のため息が頭上から聞こえた。


「今回だけ……今回だけは許してあげます。先輩は自分のことをあまり自分から言わない人なので、単に忘れていただけでしょうし」


「ありがとうございますっ!」


「ただ───次忘れたら、それ相応の覚悟はしておいてくださいね!」


「はいっ!」


 円満な関係は小さな亀裂によって瓦解する。

 だからこそ、今回睦月が許してくれたことに内心ホッとした。

 ……次からは、本当に気をつけよう。マジで、睦月を悲しませるのはやっちゃダメだもんな。


「一応聞きますけど、その人とは同期さん以外に何もないんですよね?」


 頭を上げ終わると、睦月の足取りに合わせて学校へと向かう。


「ない、それだけは本当にない。あいつらとは本当に仲のいい同期ってだけだ」


 確かに、あいつらは目を惹くぐらいには美人だが睦月ほど惹かれたりはしない。

 何回も会っているが、やましいことなど考えたことすらない。それだけは胸を張って言える。


「ちなみに、その人達の年齢は?」


「年齢……? それって何か関係が───」


「いいから答えてください」


「二人とも大学生という情報ぐらいしか分かりませんっ!」


 今日に限っては、何故か睦月に逆らえる気がしない。

 ご機嫌取りってわけじゃないが、今度お詫びに何かを奢ろう。


「(大学生か……先輩はこの様子だと靡いている様子はないし、本当に私だけ見てくれてる……でも、流石に相手は分からないよね。大学生だったら先輩をそういう目で見てる可能性ってかなり高いし……先輩、かっこいいし全然あり得る話)」


 俺が答えると、睦月は顎に手を当てて一人でブツブツと呟き始めた。

 本当にボソボソとしているものだから何を言っているのか分からないし聞こえない。


「お、おーい……睦月さんやーい?」


「(とりあえず、実地調査が必要? 先輩が靡くわけないって信頼してるけど、分からないままは私的には無理……泥棒狐は神出鬼没だし、女性だけってのが怪しさ満点だから確認する必要が……)」


「うっす、黙っときます」


 一人の世界に入り込んでしまった睦月を見て少しばかり涙が出てくる。

 これも悪いことをした罰なのだろうか? 何か彼女に無視されるって……辛いなぁ。

 結婚した男性の皆に教えてもらいたい───愛しい女の子がどうしたらこっちを向いてもらえるでしょうか? って。

 そんなことを思いながら、互いに会話がないまま通学路を歩く。

 結局、学校に辿り着くまで俺達の間には一言も会話がなかった……ぐすん。


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