一筋の光

『まぁ、如月先生のデート時間を邪魔してしまうのも申し訳ありませんし、早速本題に入りましょう───実は、私の方で一つ、出版枠が確保できました』


 出版枠とは、毎月決められた刊行数の一つだ。

 例えば、とある文庫は社内規定によって月に約八冊本を出版するとする。枠というのは、その八冊のことを指し、その文庫は毎月八つ出版枠が存在するということ。

これから新しい本を出版するためにはその枠を予め確保しておかなければならなく、そこに既存の作品の続巻を埋めるか、はたまた新作を埋めるかを決めていくのだ。

確保した───というのは、槇原さんの方で続巻なり新刊の枠を部内で押さえることができたということだろう。


『その枠を、如月先生の新作で埋めようと私は考えています』


「マジっすか!?」


 驚きのあまり、周囲など気にせず大声が出てしまった。

 見渡せば往来の何人かが俺の方をチラチラと見ている。少し恥ずかしい。


「いいんっすか!? 俺、企画書も何にも通ってないですよ!?」


 基本的に出版するまでのフローは編集が企画書を読み、よければ企画会議に提出し、それが認められて初めて正式に出版することが決まる。

 俺はまだ正式に出版するまでの前段階にすら立っていない。

 槇原さんからのおーけーももらってすらいないし、そもそも企画書すらできていないのだ。


『たまたまクソやろ───いえ、編集長飲みに行く機会がありまして』


 口悪っ。


『そこで如月先生が書こうとしている企画書の話をしたんです。そしたら「面白そうだ」と言って一枠いただけました』


「……軽いですね」


『もちろん、一定基準の面白さがなければ別の先生の作品で埋めます。なので、次に提出していただく時は私だけでなく編集長にも同時に見てもらうことになりますので、覚悟しておいてください』


 ゴクリ、と。長という名前が挙がったことにより息を飲んでしまう。

 きっと、次に出す企画書は軽い気持ちで提出できない。といっても、今まで軽い気持ちで提出したことはないのだが、今回に限ってはいつもの槇原さんだけでなくレーベルの長が見ることになるということ。

 一気に、プレッシャーと期待が襲い掛かってくる。


『前提として、如月先生さえよければという話になります。既刊であるなら関係ありませんが、新刊となれば本人の意思を無視して強制的に書かせるわけにはいきませんからね』


 さぁ、どうします? そう、槇原さんがボールを投げてくる。

 その言葉に、冬にもかかわらず手汗が滲んできたような感じがした。

 不安もある、プレッシャーもある。それ以前に、俺は企画書すら作っていないし『何を伝えたいか』という問題すら解決していない。

 だが、それでも……これは滅多に巡り合わない大チャンスだ。

 逃すわけにはいかない。


「そのお話……もちろんお受けさせてもらいます」


『ふふっ、流石は如月先生です。そう言ってくださると思っていました』


 電話越しに小さな嬉し笑いが聞こえる。


『では、話を序盤に戻しましょう』


「……何の脈絡もなかった『気合い』にですか?」


『その通りです。出版業界なんて、ブラック企業もいいところですからね。如月先生には、若くしてその苦しみを味わってもらいましょう』


「え? 嫌です」


『書籍を出したくはないのですか?』


 卑怯な脅し文句だ。


「出版予定は今から五ヶ月後の四月です───逆算して今月中、それまでに企画書を提出してください。もちろん、最高に面白い企画書を、です」


 ……これまたハードな。

 今日は十二月の半ば、今月末まで後二週間ぐらいしかない。

 俺の今のスキルでは企画書は早くとも一ヶ月は作成期間を要する。

 それに加え、今までボツばかりを食らっていたのだから今まで以上のクオリティが求められるのだ───本当にハードすぎる。

 けど───


「やりますよ、やってやりますよ! 今月末にぎゃふんと言わせてやりますよ!」


 やるしかない。せっかく蜘蛛の糸が明確に垂れてきたのだ、弱音を吐いてよじ登らないわけにはいかないだろう。


『では、そのスケジュールで。月末は年末年始に入ってしまうのでそれまでにはなりますが、如月先生ならできると信じていますね』


 では、と。槇原さんは電話を切ろうとする。

 だが、俺は寸前で引き留めた。


「槇原さん、一個聞いてもいいですか?」


『何でしょうか?』


「槇原さんが飲みに行ったのって……俺のためですか?」


 槇原さんは以前「会社の人と飲みに行きたくない」と口にしていた。

 酒は嗜むようだが、どうにも口説かれているようで嫌いなんだとか。

 そんな槇原さんが編集長と飲みに行った───その結果が俺の出版枠確保であれば、普通は疑問に思ってしまう。

 もしかしなくとも、俺のためなのではないのか? と。


『……そういうのは、普通は聞かないものですよ』


「すみません、俺ってば高校生なもんで社会の常識とか疎いんです」


『まったくもう……』


 槇原さんの嘆息している姿が想像できる。


『一言だけ───如月先生を、私は尊敬しているんです。若い子なのに、頑張っているなって。これ以上は、言いませんから』


 ブツ、と通話が途切れる音が聞こえる。

 画面を見れば槇原さんとの通話は途切れてしまっていた。

 突然切られてしまったことに怒りは湧いてこない。

 湧いてきたのは───嬉しさと、溢れんばかりの感謝であった。


(ありがとうございます、槙原さん……)


 本当に、槙原さんが担当編集でよかった。深く、改めてそう思ってしまう。

 だからこそ、この感謝を裏切らないようにするために企画書を作り上げないといけない。

 最高の、誰もが面白いと思ってくれるようなお話を。


「先輩、お待たせしました!」


 電話が終わったのと同時に睦月がランジェリーショップから現れてきた。

 タイミングのよさに、思わず見計らってきたのでは? と疑ってしまいそうだ。


「女性は時間がかかるっていうしな、仕方ない」


「それ、少しだけ使う場面間違えてますよ?」


 小さなツッコミを受けてしまう。

 俺は肩を竦めると、睦月の片手に握られている商品袋を手に取り半ば強引に奪い取った。


「……そんなに下着が好きなんですか?」


「おいコラ、人の親切心を卑猥な動機にすり替えるな」


 荷物を持つのは男の役目───そんな紳士心溢れる行為を欲求不満の変態さんに置き換えないでほしい。

 俺、ちゃんとジェントルマンで界隈を轟かせているんだから。


「冗談ですよ! ありがとうございます、先輩♪」


 嬉しそうに笑みを浮かべると、睦月はそのまま俺の片腕に思いっきり抱き着いてきた。

 歩きづらい、などと口にしてしまうのはジェントルマン失格だろうか?


「じゃ、行きましょうか先輩っ! ここからが本当のデートです!」


「勇気ある突貫をデートの括りに入れてはくれなかったのね」


「……あれは企画書のため。とりあえず、私のサイズは記憶から消去しましょう。そして、遊びましょう」


 余程サイズが露見してしまったことを気に病んでいるようだ。


(別にサイズなんて気にしなくてもいいのになぁ……?)


 俺としては小さくても大きくても中身が睦月であるなら気にしない。

 外見の好みもあるが、俺が好きになったのは間違いなく中身なのだから。

 ……と言ってはいるのだが、睦月はどうしても気にしてしまう。

 つまり、そこは女性にしか分からない特有の悩みなのだろう。


「はいはい、遊びましょうかね」


「ちなみに、どうしても見たいと言うなら頑張ります」


「忘れさせたいんじゃないの?」


「それはそれ、見せるのであれば全力で責任を取ってもらいます」


 わぁ、なんて強引な女の子なんだろう。


「十八になってからな」


「つまり、十八になったら責任を取ってくれるんですか?」


「…………………………………………おぅ」


「なっがい間ですね」


 しょうがないじゃん? こちとら、まだまだ責任を取りますって気合いを入れるような歳じゃないんだからさ。


「で〜もっ! 責任は取ってくれそうなの感じで、私は満足です!」


 睦月が腕を抱きしめる手を強くする。

 それが嬉しさを如実にアピールしているような気がしてしまった。


「はぁ……とりあえず、次はどこに行くよ?」


「ちょうどよくはないですけど、ちょっと休憩しませんか?」


「じゃあ、睦月が行きたいって言ってた喫茶店行くか」


「了解です! その後に、本屋さんですね!」


 そう言って俺達は二人並んで、ランジェリーショップを後にし、睦月が言っていたカフェで一息ついた後、何の購入予定もないまま本屋に立ち寄った。。

 睦月が抱き着いてきているため本当に歩き難かったが……どこか俺の足取りは終始弾んでいるような気がした。

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