頑張る理由④
「だけど、あえて今の先輩に言います───頑張れ、って」
不意に俯く俺の頭を包み込む温かい感触が訪れた。
その時の俺は突然のことに驚いてしまったのだが、反応する心の余裕すらもなかった。
だから、大人しく睦月の紡ぐ言葉だけに耳を傾けた。
「先輩は今、誰にもできないようなことをしようとしています。私にも、和葉くんにも、同い年だけじゃなくて色んな人でもできないようなことを。並大抵のことではないです。凄いです、本当に尊敬します。その上、こんなに弱音を吐いてしまうぐらい辛い思いをしてまでも頑張ろうとするなんて、才能だけの言葉じゃ足りない……本当に凄いことです。先輩は今の自分を情けないって思ってるかもしれませんが、私はそうは思いません、格好いいです」
睦月の言葉は、具体的な言葉や例えを用いた分かりやすい言葉ではなく、本心を綺麗に並べた言葉───俺を、褒めてくれる言葉だった。
「私にできることなんて、こうして抱きしめて「凄いね」って褒めることぐらいです。結局は、その辛さを分かち合うことも理解することもできないです───だって、その辛さは先輩だから、誰にもできないような凄いことに挑戦している先輩にしか分からないことだから。それに、薄っぺらい言葉を並べて支えようとしても、結局は先輩の辛い重りは先輩にしかのしかからないですからね」
俺は睦月の言葉に黙って聞くしかできなかった。
頭で思いついた言葉を投げようにも口が開かず、年下でこの前知り合ったばかりの女の子の温もりが俺の心を逃避という言葉を許さなかった。
見栄を張らず、黙って聞けと───そう言われているようにも感じた。
そして……徐々に弱り切っていた心の水槽が、ゆっくりと満たされていくような感じさえしたんだ。
「私は本心しか言いません。先輩の本が読みたいです、打ち切りって言うなら早く出して私に読ませてください。ずっと楽しみにしています。先輩の原動力がこの言葉なら、いくらでも言いますよ。だって、本当のことですもん。嘘じゃないです。でも、先輩が先を目指し、どこかで心が折れてしまって泣きそうになるんだったら───」
睦月は抱きしめる腕の力を強め、俺に安心させるように口を開いた。
「こうしてまた抱きしめてあげますよ」
「ッ!?」
その言葉で、俺の中で何かが壊れた気がした。
瓦解したはずの慢心で詰まった心が最後まで潰され、芽生えかけていた新しい心が形になっていくような……そんな感覚。
決して見栄や体裁で取り繕ったものではなく、明確な何かが。
「辛いのは嫌ですもんね、一人で辛い思いをするぐらいだったら、私にぶつけてしまいましょう。わがままを言ってる私が責任をとって、先輩がまたパソコンに向かえるようにしてあげます。八つ当たり上等ってやつですね」
「……男としてどうかと思うけどな」
「何かを達成することに男も女も関係ないです。支えたい人を支え、託したい人に願望を託し、叶えたい人が叶える───この中に、性別なんて必要ありません。そんな見栄を張るぐらいだったら、今すぐパソコンに向かってください!」
「容赦ないな、睦月は……」
「ごーごー、です先輩っ! 先輩が願望を叶えられれば私の願望も叶うんです! そのためなら鞭だって振るいますよー! 応援は、特等席でしてあげますからね♪」
そう言って、睦月は俺の頭を放した。
貌を上げた先には、気まずい表情を浮かべている睦月ではなく───満面の笑みで背中を押してくれる、かわいらしい小悪魔の表情。
落ちていった空気が、睦月によって明るく照らされているような気分になる。きっとそれは気のせいじゃないだろう。
「じゃあ、先輩っ! 私はベッドで本読んでいるので、私に気にせず頑張ってください!」
そして、睦月は今度こそちゃんと俺から離れ、大量に本が置いてある棚を見てこれから読もうとする本を漁り始めた。
そんな彼女の姿を見て───不思議と、先程感じた心が完全に形を作った気がした。
(……本当に、不思議なものだ)
現実の厳しさに打ちひしがれ、情けない姿を見せてしまったと後悔しても、結局は可愛い後輩の言葉で立ち直ってしまう。
それはきっと睦月だから。踏み込み、受け止めてくれた彼女だから、俺の心は重りがなくなった身軽さを覚えてしまったのだ。
和葉も、他の人間の誰かも同じように慰めて支えて立ち直らせてくれるかもしれない。
だけど、この時の俺に言ってくれたのは両親でも高校の時にできた友達でもなく───睦月だったんだ。
だから───
(睦月のためにも頑張らなきゃな……)
俺は、改めてパソコンに向き直った。
ネタは思いつかない。すぐにキーボードを叩けるわけでもない。立ち直ったとしても面白い企画書が書けるとは限らない。またどこかで辛い思いはするだろう。
でも、辛さをはねのけられるほどの勇気は与えてもらったんだ。
これが、今の俺が頑張れる理由。
数多の誰かに「読みたい」と言ってくれる姿を見るためではなく、一人の少女に「読みたい」と言ってくれる姿を見るために。
俺は、この日から『一人の作家』としてパソコンに向かうようになった。
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