頑張る理由③

 その日から、俺は槙原さんに何度も電話をするようになった。

 どうすれば本を出せるのか? もう一度新人賞から応募するのか? 書いたのを見せればいいのか?


 次回の新作に向けて、色々と質問をするようになった。


『企画書を出していただければ、私の方で目を通します。その後、部署会議に回しこの企画書で出版させるかを協議し、許可がもらえれば出版できますよ』


 結論を言えば、とりあえず「企画書を出して槙原さんを認めさせろ」というものだった。

 企画書の書き方が分からなかった俺は槙原さんや同期の面々に話を聞きに行き、早速企画書作りに取りかかった。


 まだ、この頃の俺は天狗のままだ。企画書さえ作れば必ず通るだろう。何故なら俺は中学でデビューするほどの才能を持っているのだから、と。

 でも、現実は容赦なく鼻っ柱を折っていく。


『そうですね……設定自体は悪くありませんが、ストーリーが目を惹かない。どこに面白い要素を詰め込んだのか、企画書を見る限り伝わりませんでした───残念ですが、ボツですね』


 槙原さんは優しい方だ。何がダメで、どこが共感できなかったのかを自分なりに答えてくれた上でボツにしてくれるのだから。

 だけど、『仕事』という重みを知らない子供だった俺は当然苛立った。


 幸いにして、その苛立ちは「次こそ認めさせてやる!」という筆をとるモチベに繋がった。

 だが、そのモチベも何度も何度もボツが続いてしまえば折れてしまう。

 そして徐々に……現実の厳しさを知っていったんだ。


『あの……大丈夫ですよ、如月先生。次も持ってきていただければ、私は目を通しますので』


 子供だからか、それとも俺の纏う雰囲気を見て罪悪感を覚えてしまったからなのか、出版社から帰る度に見せる槙原さんの顔がどうにも辛かった。

 故に、何回目かの時で───俺は心が折れた。ポッキリと、キーボードに指を置くことに抵抗感を抱くようになってしまう。


 現実の厳しさ知ってもなお書くことをやめようとしなかったのは、未だに睦月の顔が脳裏にチラついてしまうから。


「ダメだ……本当に書けねぇ」


 スランプというのだろうか? パソコンの前に座っていても、外を歩いたとしても何もネタが思いつかなかった。

 ワードは白紙のまま。体裁を整えただけの企画書であれば作れるだろうが、またボツにされ……槙原さんの申し訳なさそうな顔を見ることになる。


 それが焦りへと変わり、プライドも慢心も全てを壊していく。

 端的に言えば、この時の俺は現実の厳しさに打ちひしがれてしまったのだ。

 そんな時───


「せんぱ〜い! 睦月ちゃんが遊びに来ましたよ〜!」


 突然、室内にそんな声が響き渡ったのだ。

 俺の気持ちとは正反対の明るく元気のある声。

 どうしてこの部屋にいるのか? そんな疑問が浮かび上がってきたが、その時はたまたま親が家にいたので、親に入れてもらったのだと理解する。


 別にその部分に文句はない。遊びに来るなとも言わなし言うつもりもない。いつでも来てもらって構わなかった。

 ただ、その時はタイミング悪く……今の自分を見てほしくなかった時だった。


「……悪い、今日は企画書を作らなきゃだから」


「企画書って、何ですか?」


「……新しい作品を作るために必要なもの」


 素っ気なく当たってしまった記憶はある。

 打ちひしがれている時の俺には、睦月の明るさは眩しすぎた。「うるせぇ」と突っぱねてもよかったが、それはどうにも女々しく感じてしまう。


 故に、最大限の平静を装い普通に接っしようと努める───が、どうにも心というものは弱い。

 普段通りに接しようと思っていても、弱い部分が言葉となって冷たくなってしまうんだ。


 けど、睦月はそっち側の人間じゃない。最近になってようやく読み始めた人間なのだ。

 業界の事情など知る由もなく───今の発言も、決して悪気があったわけじゃないのだろう。


 喚き散らしたい。怒鳴って少しでも脆いプライドを守りたい。社会人としては未熟な自分という蛹を、八つ当たりで癒したい。

 でも……どうしても、友人であった睦月を傷つけるような行為はしたくなかった。


 故に、その時の俺から出てきた言葉は情けない、弱々しいものだった。


「……打ち切られたんだよ。だから、企画書を書いてる」


「ッ!?」


 俺は口にした瞬間、激しい後悔が襲ってきたのを覚えている。

 いくら業界を知らない睦月でも『打ち切り』がどういう言葉で、どういう意味を持っているかは理解しているはずだ。


 正直な話を口にしてしまえば、睦月は必ず気まずい思いをして軽々しい発言を悔やむだろう。

 でも、いつかは話さなければならない話。

 黙ってこの場凌ぎで取り繕ったとしても、続巻が出なければ打ち切りだと察する。企画書が上手く通ったとしても、どこかで「あの作品の続きはまだですか?」と聞かれるに違いない。


 どうせいつかはバレてしまう───けど、今この瞬間。顔を歪めて俯いてしまっている睦月の姿を見てしまうと「取り繕った方がよかったな?」という後悔が襲ってきてしまったのだ。


「別に気にしないでくれ。一巻で打ち切られる作家もいるわけだし、二巻を出せただけでもありがたい話だったんだ」


 俺はどうにか気にしてほしくないと、思いついた言葉を並べる。


「…………」


 睦月は俯いたまま口を開かない。

 それが何とも辛くて───取り繕った心を徒に刺激してしまう。


「編集と繋がれたことだけでも、俺は恵まれているからな。こうして企画書を作れるのも、編集さんと繋がれたからだからな……まぁ、ボツばかりだけどさ」


 刺激された心は鎧を剥がし、打ちひしがれた時の心へと戻り始めていく。


「……俺が甘かったよ。若い年で本を出せたとしても結局上には上がいる。面白い作品もまぐれのくじを引いただけで、二度目三度目に大吉を引けるような実力なんてなかった」


 睦月に向ける言葉が徐々に弱々しいものへと変わってしまう。

 俯いた睦月を見れば見るほど涙を誘い、罵詈雑言よりも情けない……鼻を折られた天狗の成れの果ての姿が露見する。


 ある意味、男としてこれ以上のない屈辱を自ら曝け出しているようだった。

 でも、一度漏れてしまえば穴の開いた堤防のように弱い俺が溢れ出してしまう。


「企画書も何度もボツを食らって、こうして一人で落ち込んでいく。天狗にならずに、色んなものを吸収して学べばよかったって……今更ながらに後悔してる。正直、パソコンに向かうのが辛いよ。今すぐ和葉の家に行って思いっきり遊びたい、現実から目を背けたい、こんな思いをするなら作家をやめたい。所詮、俺には続けるような力も心も持ってなかったんだ」


 でも、それでも───


「睦月がさ……読みたいって言ってくれたから、頑張らなきゃって。辛い思いをしても本を出さなきゃって。こんなにも「読みたい」って言ってくれる存在が嬉しいとは思わなかったからさ───もう一回、本を出したいんだよ。逃げたくても、もう一度「読みたい」って言ってもらえるためにさ」


 創作を続けるモチベなど人それぞれだ。金や名誉や評判、自分の書いた作品を「面白い」って言ってもらうためなど。

 それが、俺にとっては「読みたい」って言ってもらうため。そう口にする存在を見てみたいため。


 けど、世の中願望だけで生きていくほど甘くはなくて───結局は、どこに行っても『諦め』と『妥協』が後ろを追い回す。


「辛いよ……今逃げ出したら、絶対願望は掴めない。ここで筆を折ってしまえば確実に次が書けなくなるし、この願望もただの思い出として俺の未来に残してしまうことになる。だけど、今が本当に辛い。諦めきれないから、余計にもこの辛さを味合わなくちゃいけない……ある意味拷問だよ。俺は後何回心を折らなきゃいけねぇんだよ……」


 気が付けば、目尻に涙が溜まっていた。鏡を見れば情けなくも弱々しい己の顔が映っているようで仕方がなかった。

 だから俺は我慢できず睦月から目を逸らし俯いてしまう。


 溢れた堤防の水は空になった。しかし、底を見てしまえばただの弱音を吐露した自分が残っていた。

 突然俺がこんなことを言って、睦月は気まずい思い以前の感情を抱いてしまったことだろう。


 情けないと、気持ち悪いと、俺に対する印象が大きく変わってしまったのかもしれない。

 こんなに格好悪い男だとは思わなかったと、視線を上げれば侮蔑の視線を送ってくるのかもしれない。


 だから顔を上げたくなかった。このまま目を逸らし、睦月が立ち去っていくのを待っていたかった。


「……軽率な発言をしたことは謝罪します。何も知らない私が気軽に踏みこんでしまいました」


 だけど───やっぱり、睦月は睦月であった。

 今の俺がよく知っている……睦月だったんだ。


「だけど、あえて今の先輩に言います───頑張れ、って」

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