彼女のお家

 学生の解放時間───放課後を迎えた俺達は、茜色が差す住宅街を歩いていた。

 やはり冬だからなのか、いつも以上に暗くなるのが早くなっているような気がする。

 カラスでも鳴いていたら雰囲気が出ていたのかもしれないが、生憎と聞こえるのは車が排気ガスを出す音と通行人の話し声。

 活気ある街であればこんなことはないのかもしれないが、俺達の地元はちょっと都心から離れた田舎なのだ、悲しいことに商店街まで行かないとコンビニすらない。


 寂しい、不便さえ除けば静かで、街の人達も優しいし、いい所ではあるんだが……やっぱり不便が一番堪えてしまう。

 出版社に行くために電車を乗り継ぐのが本当に億劫。電話でいいじゃんって思うが「私の唯一の逃げ場を奪うおつもりですか?」と言われてしまえば行かざるを得ない。

 っていうか、自分の家があるじゃん家が。家でも逃げられない環境なの?


「今日は先輩が〜来〜る〜♪」


 隣でいつも以上にウキウキな睦月が歩く。朝とは違って、十二月の寒さに負けてしまった俺達の両手には手袋がはめられており、繋いでいる手からは直接の温かみは感じられなかった。


「……そうだな、俺が行くな」


 気力と体力が睦月のテンションについていけない。

 この先の未来を想像するだけで色々と吸い取られていくような感覚……流石は睦月の母親だ。

 いないはずなのに、確実に俺のメンタルを削っていく。


「いつも先輩は私を送った後、狼から逃げる羊のような姿で帰っていきますから、ちょっと楽しみです!」


「とりあえず、骨は拾わなくていいから。変わりに俺のパソコンにある『数学』ファイルを消しといてくれ」


「分かりました。生きていようがいまいが、先輩の『数学』ファイルは必ず削除しておきます」


「あれ? 生きてたら消す必要なくない?」


「……パソコンごと潰しますよ?」


 やだ、睦月の目が怖い。琥珀の瞳からハイライトが消えてるんですけど?

 ……分かったよ分かりましたよ。帰って『数学』のファイルを消しときますよ。

 ぐすん……結構な逸品データがあったんだけどなぁ。己の失言を恨みたい。


「まぁ、でも大丈夫ですよ! 今日は大人しくしといてってお母さんには言っときましたから!」


「ん? ありがとうな」


「じゃないと、私の部屋でいつまで経ってもイチャイチャできないですもんね!」


 この自分の母親と同じ屋根の下でもイチャつこうとするマイペースさ、羨ましい。

 俺の知見では、そういうのは恥ずかしがるようなものではなかっただろうか?


「とりあえず───ようこそ、我が家へ!」


 そうこうしているうちに、いつの間にか見慣れた睦月邸へと辿り着いてしまったようだ。

 外観、普通の一軒家。アンカーでしっかりと固定された表札には『椎名』と綺麗に書かれてあった。

 いつもであれば、この瞬間に50m走6.9秒の自慢の脚力を使って回れ右をするのだが……今日は踏みとどまらなくてはならないだろう。


「いざ行かん……戦場へ」


「先輩は私のお家をなんだと思っているんですか?」


 ヤヨイズ・アイにはあの玄関が魔王城への入り口のように見えるが?

 人生二度目。俺は玄関のドアノブを強く握りしめ、己の心を奮い立たせる。

(気合いを入れろ、東堂弥生! いつか、お前は睦月をもらいに行く時にこの扉を開けるんだろうがっ!)


「いらない覚悟をされている気がします……」


 ため息を吐く睦月を放置し、俺は勢いよく扉を開け放った。

 視界に入るのは、綺麗な木目のフローリングとタイルが貼られた玄関。二階に上がる階段と───


「いらっしゃ〜い、弥生く〜ん!!!」


 俺に向かって猛烈に突進してくるエプロン姿の女性であった。


「あぶしっ!?」


 タックルとも呼べる突進を一身に受けると、口から情けない声が漏れてしまう。


「先輩のその声、とても貴重でよかったです」


 端正な顔立ちにはどこか睦月の面影がある。だが、睦月のように可愛らしいというよりかは、大和撫子を思わせる美人といったような人。

 美しく、大人という印象を与えてくれそうな顔ではあるが、言動がそうとは思えない。

 特に、タックルをかましたすぐ後にホールドして俺の頭をわしゃわしゃと撫でている今の姿とか。


「……久しぶりですね、菜々花さん」


「お義母さんって呼んでもいいのよ〜♪」


「……いえ、まだ言えないっす」


 抵抗したくても、絶妙なホールドが抵抗を許さない。

 故に、されるがまま抱きつかれ頭を撫でられることしかできず、ごっそりとHPが削られていくような気がした。


「お母さん、今日は大人しくしてって言ってなかったっけ?」


「大丈夫、今だけよ〜! これからご飯の用意をするから、二時間ぐらいは邪魔しないわ〜♪ だから、何をしていても割って入らないわ!」


「っていうことはつまり───」


「ヤっちゃっておっけー♪」


「流石だよ、お母さん!」


 やはり、睦月が積極的な小悪魔に成長したのはこの母親のせいなのだろう。

 立派な大人で乙女な二人に恥じらいという言葉はどこかに消えているらしい。


「和葉くんから聞いたわ、今日はご飯食べていくんでしょ!?」


「えぇ、ご迷惑でなけれ───」


「腕によりをかけて作るわね!」


 セリフすら最後まで言わせてくれないマイペースっぷり。マジでリスペクトっす。

 加え、このやり取りの間も続くホールドとさり気なくあちらこちらを触ってくるスキンシップに涙が止まりません。


「はい、はいっ! 先輩は私のものなんだから、お母さんはこれでお終い! 後は私とせんぱいだけの時間!」


「えー」


 頬を膨らますものの、渋々といった様子で俺から離れていく菜々花さん。

 割り込んでくれた睦月が救世主メシアのように見えて仕方ない。


「じゃあ、お母さん! 私、ヤってくるねっ!」


 どうしてだろうか? 一度瞬きをしただけなのに、睦月が小悪魔のように見えて仕方がない。

 激しいスキンシップでごっそりと体力と気力が削られてしまった俺は、睦月に手を引かれるがまま階段を登らされられた。

 ……俺、今から襲われちゃうのかしら?

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